濃霧が巨人のいる世界に飛ばされて20日が経過した。

それはつまり、明日にはもと来た世界に帰るということを指し示す。
タイムリミットを指す懐中時計も残すところ二周となったところで幸か不幸か最後の壁外調査の機会が巡ってきた。
エルヴィンにタイムリミットは伝えていない。
四月一日と濃霧はこの約一ヶ月間、出来る限りの協力をこの調査兵団に注いできた。 
それは巨人討伐でも兵の訓練でもだ。
それを受けてエルヴィン達は更に二人の存在を重視している。
濃霧の恐れていた事態が引き起こされ兼ねなかったので彼等にはなにも告げずにこの世界を去ることにしていたのだが、夜中に単独で壁を突破し最初に飛ばされた地点まで行くことは骨が折れる作業だと考えていたので丁度よいタイミングだと、そう考えられる。

「四月一日、分かっていますね」

「もちろんッス先輩。」

既に没収された武器は回収済みである。

その全てを装備し、壁外調査に挑む。
さらに今日の雲は重く黒い雨雲。
まさに天は我らに味方しているというモノ。

「向こうでは一月経っています。」

「変態女装癖に忘れられてそうッスね。」

「…一発殴ってから優しく撫でてやれば何とかなりますよ。」

「…扱い方分かってんじゃないですか。」

「補佐官ですから。」

ニコリと笑う濃霧を横目に見ながら四月一日は義足と義手を装着する。
神経が繋がる感覚を確認してから太股までのブーツの紐を引き締める。
國津神の軍服を纏い、潰れた右目を黒い布で覆う。
ふと鏡の向こうの濃霧を見ればやはり自分と同じ様に体に変化があるようで眉を寄せている。
あたりまえだ。
一月経っているのだからもう時間切れだ。

「リンゴ、ツバキ、時間だってリヴァイが怒ってる」

ハンジが閉まったドアの向こうからそう言う。
あの一件以来、ハンジは無闇にドアを開けなくなった。
いい傾向だ。

「はい。今行きます。」

濃霧は知らないがあの勘違いからというもの、調査兵団内では四月一日と濃霧がデキているという噂が飛び交っており、さらに濃霧の見た目にすり寄ってくる男も女も皆四月一日によって締められていた。
それこそ、先輩に近づきたかったらこの俺様の屍超えな、と機関銃片手に言われた者は数知れず。
四月一日が手を下さずとも襲われる心配は無かったことくらい彼女も理解しているのだが…すべては四月一日の気紛れに過ぎない。

「行きますよ、四月一日」

「はい!先輩!」

見上げれば暗く重い雲。
どうやら今日は本格的に降りそうだ。





今回の壁外調査の目的はウォール・マリア奪還の拠点作りである。
さらに参加するのは選ばれた精鋭のみという少人数で行われる作戦。
濃霧、四月一日の二人が配置される所はその時々によって変わる。
討伐重視ならば両端に配置されたりまた中央のリヴァイ班に配置されたり後方、前方。
どこでも配置された。
今回は天候のこともあり、陣形事態を大きくしないということで中央、リヴァイ班に配置された。
コレは脱走に不利ではあるが今回に限っては巨人との交戦は避けたいところなので運の良い配置といえる。
それに恐らくいつも通り陣形は崩れる。
崩れた陣形は腸を垂れ流し手いるようなもの。
混乱と雨に紛れれば脱走は容易に遂行されるだろう。

生暖かい風が頬を撫でる。

「おい、」

不意にリヴァイが濃霧に声をかけてきた。
濃霧に好印象を覚えていないリヴァイは直接声をかけることなどほとんどないに等しい。
少し驚きながら返事をすればリヴァイの三白眼がギロリと濃霧を捉えた。

「何企んでるかしらねぇがバカなまねはすんなよ」

おかしな事を言うものだ。
何か企んでいるとすればそれは何にしても他人から見てバカな行為に見えるだろうに。

「もちろんですよ、リヴァイ。
今日もしっかりお役目を全うするつもりです。」

濃霧は笑顔で嘘をついた。

嘘といっても役目を放棄するわけではない。
濃霧のお役目とは主に巨人討伐のことをさす。

驚くべき身体能力と圧倒的な火力をもって巨人を討伐する。
それは國津神で培われ、開花した能力であり、人為的に操作された人類の叡智でもある。
つまり、濃霧や四月一日の驚異的な戦闘能力や情報処理能力は人類の叡智、生命科学の応用により遺伝子レベルの人体改造による産物なのである。
この技術を″操作的覚醒″と呼ぶ。
だがその技術は國津神の知的財産である。
もし捕虜になり脳味噌を調べ尽くされればその技術は簡単に盗まれる。
それを防ぐために自動的にネクローシス作業による細胞破壊が行われる。
周期は月に一度。
自覚しないままに脳が自身の一部を破壊する命令を出すのだ。
そして新たに操作的覚醒遺伝子をナノウイルスに乗せた注射によって体内に取り込むのだ。
そして周期的にもう操作的覚醒遺伝子は破壊されている。
つまり、濃霧も四月一日も調査兵団となんら大差のないただの兵士となったのだ。
補助装置もつけずに10m跳ねることも出来ない。
何十kmもの距離を全力疾走出来ない。
おそらく立体軌道装置をつけたリヴァイと互角にやり合うことすらままならない。
四月一日にいたっては隻眼隻腕隻足。
雨天ということもあり各切断面が痛み、無意識に庇う手足のために体に負担が掛かり、義肢は骨を軋ませる。
すべてがワンテンポ遅れることになる。
そこいらの兵士よりも巨人に食われやすい。
いまこの時も四月一日は慣れない不快感に眉を寄せている。
つまり役目を全う出来ないのだ。
放棄するしかない状況におかれたのだ。

「四月一日、大丈夫ですか」

四月一日が馬に乗らないわけもその義肢にあった。
馬の振動が接合部分の肉に負担をかけるのだ。
それは操作的覚醒遺伝子が機能している場合でも相当な負担になる。
ソレが機能していないこの状況での馬上線は四月一日にとって辛いことこの上ない。

「…はい、大丈夫ッス」

「何時でも此方の馬に乗りなさい」

「…マジっすか、嬉しすぎて吐きそうッス。」

その言葉にも何時もの覇気と笑顔は見えない。
口元は歪な笑みを浮かべているというのにその顔にはいつもの余裕は見えない。
オルオがどやしかければいつも通りに軽口をたたき、ペトラと共にオルオを罵り、エレンに引っ付き童貞をからかう。
いつも通りにみえる彼女の仕草や表情の裏に見える素の顔に気が付くのは恐らく濃霧のみである。

門が開かれ一斉に走り出す。
しばらくすれば雨が降り始めた。
生暖かい水滴が顔や首筋を通る。
チラリとリヴァイを見ればやはり涼しい顔をして馬を駆っている。
潔癖症故か、些か眉間に皺が寄っている。

馬を駆ければ戦意が浮き上がり、覇気がもどってくるのを感じる。

気力で勝負するしかない。

そう感じざるを得ないほどに消耗していた。

それでもそれを悟られないようにするしかなかった。

四月一日はぼうとする意識を奮い立たせ、辺りを見渡した。
エルヴィン、リヴァイ、ハンジ、ミケ、この1ヶ月で接点を持った人間達。
いずれ巨人に食われて死ぬであろう命。
意地汚く生き残ろうとする人間らしい人間達。
痛みを無くす方法も捕虜の扱い方もアサルト銃も楽しいことも汚いことも知らない純朴な人間達。
國津神にはいない人間。
そこまで考えてふと、

…何考えてんだ?

と茶化して自嘲するいつもの自分がいる。

いつもならこんな感傷的なことは考えない。
馬鹿馬鹿しい。
人間ってのは弱るとすぐコレだと肩をすくめて考えるのを止めた。
楽観的に前を見れば視界が広くなった気がした。





奇行種五体。

いつもなら苦労しない数。
でも今は違う。
体中の銃器が重くてあがる息が苦しくて体が痛くて…
銃弾が急所に当たらない。

嗚呼、だめかもしれない。

そう思いながら巨人に目を付けられた奴に手を伸ばした
ら強く引かれて馬から投げ出され受け身もとれずに転がった。
調査兵団の奴等が此方の異変に気が付き始めた。
一体の奇行種が目の前に迫った。
全てがスローモーションみたいだった。
迫ってくる巨人の手。
先輩が俺様と巨人の間に体を滑り込ませた。
両手を大きく広げて俺様を背に庇う先輩と死んだ兄貴が重なって見えた。
先輩の腹を巨人のデカい手が鷲掴む。
先輩の口から血の固まりが吐き出される。
何かが砕ける音がする。
とっさに懐刀で巨人の手首を切断した。
倒れる先輩をなんとか受け止めて銃弾を乱射する。
巨人の眼球がギョロリとこちらを向いた。
もう片方の手が此方に伸びる。
こんどは先輩を背に庇う。
でも甘んじて食われるつもりはない。
愛用のショットガンライフル以外の装備を全て捨てて引き金を引く。
それでも仕留めた時には奴の手が迫っていて、俺様の体をいとも簡単に弾き飛ばした。
視界の向こうに義手が飛んでいくの見た。
メキメキと骨が軋む。
生身の足も義足もイかれていて動かない。
リヴァイ達が此方に走るのを横目で見ながら迫る新たな巨人と目が合う。
上を見上げれば曇天。
いつも見上げる憎いほどの蒼空はどこにもない。
これが俺様の死の色なのかと灰色の雲に問う。
せめて先輩だけはもとの世界に帰って欲しいと思った。
あれ、なんか作文みたいになった。

リヴァイが驚異的なスピードで巨人の項をそぎ落としたのと俺様が奴の口内で砕かれるのは同時だった。

「椿!!!」

先輩の声。
そう呼ばれるの懐かしい。





ワタヌキとノウムの様子がおかしいことには気が付いていた。
巨人と交戦するときも何時もの余裕を纏っていなかった。
それでも順調に進んでいた壁外調査を停止させたのは分隊長の一人。
ワタヌキがそいつを助けようと馬上から手を伸ばす。
そいつも必死だったのかワタヌキを引きずり落とすようにして馬を奪った。
いつものあいつならそんなことくらいで地面に転がったりはしないのに受け身もとらずに転がった。
巨人が奴に迫るのをみて流石にヤバいと思うがこちらも交戦中なので助けられない。
視界の端を青い何かが通り過ぎた。
今朝から綺麗な顔で嘘をつきやがったノウムである。
あいつも必死な形相でワタヌキと巨人の間に滑り込んだ。
躊躇のないその動きに目を見張った。
どんなに大切な奴であってもそいつを庇って巨人の餌になるような奴などそうそういない。
そのあとは悲惨なものだった。
どちらかだけでもと全速力で巨人の討伐に向かった。
…俺がそいつのつむじを抉るのとワタヌキが食われるのは同時だった。

ノウムがワタヌキの名前を呼ぶのを初めて聞いた。

蒸発した巨人のなかからワタヌキの小さな体が出てきた。
ヒクリヒクリと動くことから生きていることがわかる。
しかしこの状態でそれが良いことなのかは分からない。

「四月一日、」

腹の中をスクランブルエッグにされたノウムが歩いて来るのが見える。
何故立てるのかは分からない。
痛みを感じないと言っていた奴はその痛みに顔を歪ませている。

懐中時計を見て、ワタヌキの傷の具合を見る。

「エルヴィン、僕達はここでリタイアします。
行ってください。」

淡々とそういい放つ。
リタイアするということはつまりココで残って巨人の餌になるということ。

「バカなことを言うな」

「大丈夫です。
すこし手当てに時間が掛かるだけですから。」

すぐに追いつきますよ。

そう笑顔で言った。
その笑顔にまた違和感を感じる。
今回の作戦は天候の問題もあり、時間勝負。
このまま此処で留まるわけにはいかない。

「ならば先に行こう。」

エルヴィンは感情の読めない目でそういった。

こんなことは何度かあった。
瀕死の重傷を負った兵士達に手当てをしておくからさきに行けと。
その後必ず、歩けるようになった兵士とノウムとワタヌキが戻ってきた。

だからこそ、いつもと同じ様に追い付いてくると…誰もがそう思っていた。

結論から言うならば奴等は戻ってこなかった。

まるで元から居なかったように消えてしまった。
しかし奴等の寝起きしていた部屋はその日のままで残っているし、ワタヌキが弾いた三味線もそのままだ。
ノウムが訓練した狙撃手達は駐屯兵団で重宝されているらしい。

巨人に食われたと言う奴もいるがそれにしては不可解な点が多すぎた。
まず奴らの武器が何一つ残っていなかった事。
食われたんなら何か残っていないとおかしい。
そして争った形跡が無く、馬の足跡が兵団の進行方向と全く違う方向に進んでいたこと。
逃げたんならそれこそ壁でもって兵団のほうにも行かずに何処に行ったのだ。
エルヴィンは何故か驚くこともなく、居なくなったのなら仕方ないな、なんて言いやがる。
まるで奴等が帰ってこないと分かっていたかのように。

その事をエルヴィンに聞けばずっこけるような答えが帰ってきた。

「じつはリンゴから言われていたんだよ。
いつか急に消えることがあるがそれは祖国に帰ったと思え、とね。
彼等はきっと祖国に帰ってしまったんだよ。」

残念だ、このまま留まってもらうつもりだったのに、話を付けようとした矢先に先を越されてしまった。

と可笑しそうに笑うエルヴィンに開いた口が塞がらない。

「そもそも、ワタヌキがいっていたじゃないか。
俺様は不死鳥だからな、死んでも死ねねぇんだ、って」

そういえばそんな事を言っていた気がする。

それにしても本当にそうだとしたらなんとも不作法な連中ではないか。
一月ほど衣食住を提供してやったのだから巨人討伐以外にも個人的な謝礼くらい述べるのが礼儀だろうに。
謝礼どころか無断で消えるとはどういうことだ。
タダ飯食らいもいいところだ。

団長室をあとにしてふらふらと外にでる。

ふと見上げれば憎らしいほどの美しい蒼空。
どこまでも続く蒼い空が広がっていた。

「…くそったれが…。」

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