きっと私は、ここ数日考えに考えた愚かな考えで駄目になっているのだろう。



ぼんやり、そんなことを考えながら墨で真っ黒になった竹簡のひと欠片を火に焚べれば、パチンといい音がした。この大陸では北に位置する魏故に、春節の頃なんて未だ未だ極寒だ。ビリビリ痛む指先をもう炭になったそれに近づける。ああ、温かい。



さて、と新たな竹の破片に筆を向けて、墨に筆を浸す。これで何度目か? そんなの竹簡の紐がそこで山になってるからそれを解けばわかるだろう。



『賈充様』



そう書いた所で、ふと思い立つ。私みたいな者がこの様な真似をしているのに名まで書いてしまって良いものだろうか。ああ今更こんなことに気付くなんてどうかしている。



『賈様』


うむ、これでいいだろう。ここで役職名とか書こうものならそれは恋文ではない仕事の手紙だ。
さて、続き続き。



「何をしている?」

「うわはいっ」



ふと、声をかけられた。振り返ればそこにはなにかの影がそのまま形を得たような、そんな風格漂う賈充殿がいらっしゃって、首を少し動かしてこっちを見ていた。私としたことが足音にすら気付かないなんて。なんでどうして此処にと内心慌てふためくが、考えれば此処は自分の部屋でもなかったし、



「俺宛てか」

「うわっと」



覗き込まれたそれを即座に投げ捨てる。パチンといい音を立ててみるみる黒くなっていくそれに視線を注ぎながら、後ろの威圧感がさっさと何処かに移動してやくれないかと願ってみた。しかし、動かない。動かない。微動だにしない。

気不味い。さっきのはいっそ仕事について少々申し上げたいことがありましてと濁しておくべきだったと今になって後悔するが何とも、先程の気分はイヤラシイ内容の書物を親に隠れて読んでいたところを話しかけられた青年の気持ちに他ならなかった。





「どうした、書かないのか?」

「い、いえね、やはり辞めておこうかと、」

「あれだけ書き直しておいてか」

「............」



二の句が告げない。山となった紐から私がどれだけ書き直し続けているかを察したのだろう。
その目算、果てしなくいらない。いたたまれなくなった。



「余り、いい、内容では、その、ないので」



余計な言葉を言ってしまっただろうか。数秒経って、自分の言った言葉の軽率さに気が付いた。
これで万が一、と言うか何とか納得のいく恋文を書き上げたとて、差出人が私である文を私は先ほど良い内容ではないと断言してしまったのだ。嫌厭される可能性がある。というかそれしかない。



「悪い内容なら口で言え、その方が話が早い」



合理的思考、と言うやつかなるほどそっちの方が早い。納得すると共に自分が特大の墓穴を掘り上げてしまったのを感じた。さて何と誤魔化すべきか、
こういった状況下をけむに巻くための方法が思いつかずに右往左往し始める頭が、徐々に霞掛かっていく。頭が真っ白と言うやつだ。何も思いつかず、何も考えられず、ただただあのえっとと続ける自分に、降り積もる焦燥感と自己嫌悪。こんな奴に恋文渡されたところで、一体全体賈充様が何をするというのだろう。伏せた頭が重く、




重量が増した。




「う、ぁ?」



もずっもずっと叩くように頭上を動く手に、頭の霞が一瞬で霧散した。いつもの無表情をほんの少しゆがめた賈充様が、少しだけ首を斜めにしてこっちを見ている。母親か父親に何か言うことは無いのかと諭されているようだと思った。




ああ、違うなぁ、お座りと命令された犬の気分だ。






「賈充様に、恋文をと、思って、いたのです、でも、どう書けばいいか、思いつかなくて、分からなくて、こうして、考えあぐねて、おりました」




ぼそぼそと、何とも聞き取りづらいような独白に、賈充様はそれでも合点がいったようでなるほどなと燃え盛る火と、のたうつ紐を見て、くすくす嗤う。




「満足のできる内容が出来たら俺の部屋に持って来い」

「読んで、いただけるのですか」

「出来栄え次第だ」



短く伝えて去っていく賈充様の、細いとずっと思っていた腕がするりと離れていく。案外普通の、男の人の腕だった。

ちらと、先ほどまで賈充様が見ていた、炎と、紐の山を見て、思う。



なんだ、たったこれっぽっちか



けたたましく座り、仰々しく筆を取り、ぐいんと竹の板に齧りついて一文字目を書く。



きっと今の私なら、あの手の為ならあの人に殺されたって喜ぶんだろう。全く物騒極まりない。