「んあ、」

「うえぇ」




指の先がほとんど氷のような温度になるこの季節にあって、書き仕事と言うのはとんでもない苦行だと思う。冷たい指が竹簡を滑る度にピリピリ痛んで、凍えた指でまともな文字を掻こうとするたびに悴んだ指がぐにゃりと文字を歪めるのだ。精神肉体全てが削られる。




ほんの短い、ほとんど意味をなさない会話で、この部屋から備品と言う備品が尽きてしまったことを知った。
どこぞの熊に似たような感じで集めに集めた備品はそれなりの量を買ったはずだったが、それでもこの北国の長い冬には耐えきれなかったようだ。こんな時頼るべきは冬でも元気に肌を出して鍛錬している徐晃殿や張遼殿をぱし、基お願いしたいところだが生憎と雪中行軍訓練の真っ最中で、寒さに強い武官の皆様はもれなくお外だ。全く持って嫌なときに切れてしまった。






「ここに一本の筆があるんだけどさ」

「断る」



ため息ついて、硯の上で立てていたバサバサの筆を戻す。右か左か、どっちを選ぶーと言うのは昔からやりまくっていたせいでもう通じなくなっているのはもう知っているが、それではいはいと乗ってくれるならそれは「自分が買いに行くよ」という返事だ。出たくないのはお互いさまらしい。まぁそうだろう。誰が好き好んで寒風吹きすさび地面が凍り付く外へ出なければならないのかと言う話だ。ここも中々に寒いが、外はそれの比じゃない。



「なまえ」

「ん?」

「分かりやすく今日の曹操殿の勝率でどうだい」

「そう言えば夏候惇殿非番だったっけ」

「お見通しか」



冷たい隙間風に吹かれて、2人揃って縮こまったら会話が切れた。寒い、何のする気も起きない。



「いっそ二人で買いに行くかね」

「のった」













羽織すらもすり抜ける風は見えない針か何かの様で、ぶすぶす突き刺さるそれに顔をしかめていれば、不意にもらしたうめき声が隣と被った。



「痛い」

「全くだ」

「今更のことを言っていい」

「何だい」

「2人でくるもんじゃなかったね」

「...........そうだねぇ」



のろのろ歩きながら、一転に集中しままま動いてくれない視線を2人揃って元に戻そうとするが、それでもそう言えばとお互いの存在を考えて、さらに湧き出る欲望に唸る。やはり悲しき、残念なほどに思考が重なるのだ。



「終わったら、だ。なまえ」

「分かってる」



何とか酒屋の前を歩き去って、使い慣れた筆がずらりと並ぶそこに入る。顔なじみの店主がおやおやと温かいお茶を出してくれた。



「あー、温度が分からない」

「老体にゃぁこれは応えるねぇ」



ぎゅうと握った器から滲み出ているはずの温かさは、肌の少し内側をしびれさせるだけに止まった。口に流しても痛いだけ。申し訳ないがこれは拷問に近いかもしれない。せめて指が何に触れているかが分かるくらいになるまで口に含むのは止めようと降ろして、ふうと息をつく。

ついて、先ほどからくすぶり続ける欲に改めて目を向けた。




「賈ク、らおちゅ」

「やめなさい」

「らおちゅう」

「やめなさいって」

「おとーさーん」

「あのねぇ」



注文して、慣れ親しんだ太さ長さの筆ができるのを待ちながら暇つぶしの会話に今現在最高の地雷であろう言葉を連呼する。ほら素直になればいいのに。私はすでに開き直ったぞ。さっきから頭ン中酒一色なの、知らないと思うてか。ここまで揃ってて、それなりに考えが被るようになったのなら、そりゃぁもう求めてるものだって一緒だろう。まぁ、そうであってほしいと言う願望混じりの予測だが、それが破れたことはありがたいことにない。



「一応仕事の合間縫って買いに来てるんだがねぇ」

「知ってるって、でもさぁ、寒い痛い辛いをはいはい続けるよりこう、終わったら美味しいのが待ってると思いたいじゃない。」



郭嘉殿には内緒、それでよかろうやと聞けば、しょうがないねと苦笑する賈ク。嬉しくて笑って、随分温くなっただろうお茶を啜る。ああ、あったかい。



「そうだねぇ」賈クが隣で呟いて、すいと店の入り口を指さした。滑り込もうとする雪を阻む戸を、がらりと顔面を真っ赤にした男が開ける。



「5人目でどうだい」

「のった」



暖かいお茶をまた喉に流し込んで、次に入ってきた女官ら色女を見ながら「2人目」と呟く。「男に酒代」と謳えば、「じゃあ女に酒代」と返された。3人目。小さな、私塾の子供であろう少年が握り拳をもう片方の手で包みながら駆け込んでくる。



「肴は何がいいかなぁ」

「贅沢に行きたいがねぇ、良いのがあったか」

「干し肉」

「........これ以上褒美ちらつかせるのは止めようか、仕事が手につかなくなりそうだ」

「んじゃそうしようか」



白い息を吐く白い髪と髭の老人が、よろよろと入ってきてずらりと並んだ筆の前に立った。4人目だ。残り数滴になった、最早冷めきった数滴を口に含んで、ご馳走様と器を店主に返す。もし賭けに勝ったらほんの少し色をつけた会計をしようと決めた。






「はい、私の勝ち」



見知った顔が仏頂面でこっちを見ながら店に入ってくるのを見ながら、隣で肩を竦めた賈クに言い放つ。


ああ、今日の夜が楽しみだ。