よろしくね
それから私は眠ってしまったらしい。
朝までぐっすりだったようで、窓の外は明るくなっていた。だがまだ早朝。仄かに薄暗く、部屋の空気は僅かに冷たい。
泣きつかれて眠るなんて、まるで子供のようだと思った。
ぼんやりと天井を見つめる。初対面の人に、あんな醜態を晒してしまうなんて、本当に恥ずかしい。
夢だったんじゃないかと淡い期待を抱いたものの、開けづらい瞼は恐らく腫れているからで、泣きはらした昨日の出来事を裏付けている。
辺りは静寂だった。まだ皆は寝ているに違いない。ギルさんたちはどこで寝ているのだろうか。いずれにせよ、今のうちに、ここから出ていかなければ。しっかり休ませてもらったし、もうこれ以上、私のことで迷惑はかけられない。
「……っ、あれ?」
恐る恐る足を床に下ろす。
激痛を心していたのだが、僅かに痛みは走るものの、ただそれだけだった。骨折など今までしたことがなかったからわからないけれど、こんなものなのだろうか。
怪我をしてから4日。それだけでここまで回復してしまう、のか。
疑問は残るものの、これは好都合だ。部屋の作りからして、部屋数が多い家ではないだろう。ドアを開けたらギルさんがいる。なんてことは簡単に想像できる。
だったら窓から抜け出せば……
「た、高い……」
ここは何階なんだ。回復はしたものの、流石にこの体でここから飛び降りようとは思えなかった。
その時、
「何をしている?」
びくりと肩が跳ねた。振り返ると、ドアの前には昨日の女の子が立っている。
無表情の彼女は、一体私をどう思っているのだろうか。目を合わせることが出来なかった。
「ここから、出ていこうと思って。」
「道もわからないのにか?」
「……これ以上ここに居たら、あなた達に迷惑がかかるってことくらいは、私にもわかるよ。」
ぽそりと呟けば、女の子はドアの前で黙ってしまった。
窓からの脱出はまず不可能。それならば、この部屋の出口は、そのドアしかないというのに。
チラリと女の子を見れば、彼女はたいそう眉間にシワを寄せ、渋い顔をしていた。
頬は赤く、何かを言おうとしているのか、口を開いては閉じ、また開いては閉じを繰り返している。
そして、
「……っ、昨日はっ」
悪かった。と、蚊の鳴くような声で、彼女は言った。
その予想打にしていなかった言葉に、私の口はぽかんと開いた。謝られた。単純に、ただそう思った。
パチリと目を瞬く。
「……え?」
「聞き返すな!もう2度と言わないからな!」
女の子はプイとそっぽを向いた。謝って、くれたのか。
素直な謝罪ではないものの、ちゃんと本心であるということは伝わった。きっと、少しでも謝罪の気持ちがないと、謝るなんてことはしないだろうと思ったから。
なんだかその姿が可愛くて、気づけば私は小さく吹き出していた。それを見た女の子は、さらに顔を赤くして声を荒らげる。
「何を笑っている!笑うな!!」
「ごめん。ちょっと、びっくりしちゃって……」
この子は、自分の感情にとっても素直な娘なのだろうと思った。少し、不器用なだけで、決して悪い人ではないんだ。
昨日の興奮も冷めた状態で、これ以上彼女を責め立てようとは思わなかった。
「私も、叫んじゃってごめんなさい。
謝ってくれてありがとう。……って、ありがとうはおかしいか。
ごめんなさいって言われたら、そうだな……いいよ。かな。」
私も何だか照れくさくて、ハニカミながらの謝罪になってしまった。こんなにちゃんとお互いにお互いを許しあった仲直りなんか、したことがなかったから。
女の子はふん、と腕組みをすると、「まぁ、いい。」と相変わらず目を合わせないまま口を尖らせた。
だがすぐに思い出したようにはっとすると、また険しい顔に戻り、ズカズカと近寄ってくる。
かと思うと、私の体の匂いをくんくんと嗅ぎだした。
「え、ちょ、なに?」
話を聞いている限り、仕方がないとはいえ、私はここ暫くお風呂に入れていない。そんな状態での彼女の行動に、私は思わず身をよじって逃げようとした。
だが、それでもなお彼女は追ってくる。
「やはり、お前からは嫌な匂いがする……」
「そ、それは最近お風呂に入れてないからで……」
「違う。そうじゃない。」
言い訳をしようとしたのだが、女の子は私の言葉を一刀両断した。
「その突然現れた変な力とやら……いいものではないぞ。」
「え……」
「恐らく、何か悪いヤツがお前の中にいる」
「……」
悪いヤツ。そう言われてもピンと来なかった。だって、この力は2度にわたって私を助けてくれたのだ。
でも、女の子の表情は至極真面目で、嘘をついているようには見えなかった。
「わかった……気をつけるよ。」
言えば女の子は、1つ頷いて私から離れた。この力がなんなのかわからない。
恐らく、女の子の言うことを聞いていても、違法契約者を倒した時に聞こえた声からしても、この力は私のものではないのだろう。
私の中に何かがいて、その何かが私の体を借りて力を発しているのだ。バケモノに襲われた時にどこからともなく聞こえたあの声こそが、私の中にいる悪いヤツ、なのかもしれない。
「よし。腹が減った。鴉とオズを起こしてくる!」
「あ、う、うん」
さっきまでここから出ていこうと思っていたというのに、何故だろうか。ドアが開けられても、私の足はそこから動くことはなかった。
「え!?もう歩けるの!?」
男の子は、私を見て開口一番そう言った。
やっぱりこの状態はおかしいらしい。いくら何でもこんなに早く回復するのは不思議なことだ。と、私も改めて自分の考えを肯定した。
これももしかすると、あの力のおかげなのだろうか。だとしたらなぜ、また私を助けるようなことをするのだろうか。
「おい。食べないのならもらうぞ。」
「あ、た、食べる!」
ぼやぼやと考えていれば、隣の女の子が私を小突いた。改めて見てみればなんて美味しそうな朝食なのだろうか。
呼び方を、ギルさん基、お母さんと改めようかと思うほどだ。
こっちに来てから、こんなにしっかりとしたご飯は初めてだった。味ももちろん美味としか言いようがない。
「おいしい……っ」
「それはよかったんだが……
お前達、いつの間に仲直りしたんだ?」
二人並んでご飯を掻き込む姿を見て、ギルさんは不思議そうに尋ねた。
「今日の朝に。」
「ちゃんと私から謝ったんだぞ!
オズに言われたから仕方なくな!」
「はい。えっと……彼女が先に謝ってくれて。
私も、あんなに騒いでごめんなさいって。」
口の周りにたくさんの食べかすをつけながら、女の子は自慢げに言った。
ちょいちょいと食べかすを指でつまんで取ってやると、「自分で出来る!」とゴシゴシと腕で口の周りを擦る姿がなんだか小動物のようで、愛らしく思えた。
「そうだ。私、シオリって言います。
助けていただいてありがとうございました。
昨日もたくさん騒いでごめんなさい。
それと、朝ごはんまで……ありがとうございます。
あとは、えっと……」
「もういい。気にするな。」
ギルさんはまくし立てる私の前に手を突き出し制した。
「それに、ヴィンスのところに住んでいるとなると、これきりの関係というわけにもいかないだろうしな。」
そうだった。ギルさんはヴィンセントをあまり良く思っていないような素振りを見せていた。
もしかすると、私が向こうに戻った途端、今度会う時は敵同士だ、なんてことになってしまうのだろうか。
そう考えると無性に悲しくなってきた。ずんと落ち込む私を見て、ギルさんは取り繕うように「あぁ、そうじゃない。」と慌てて言った。
「自己紹介が遅れたな。俺はギルバート。
ヴィンセントの兄だ。」
「……へ?」
間抜けな声が出た。思わずまじまじとギルさんの顔を見る。似ている。ヴィンセントの面影を感じたのも、気のせいではなかったのだ。
「今は訳あって1人で暮らしているが、別に仲が悪いわけじゃない……はずだ。
あいつが何を考えているのかわからないことは多々あるがな。」
「そう、なんですか……」
驚きでうまく返答ができなかった。こんな偶然があるものなのか。たまたま助けてもらった相手がヴィンセントのお兄さんなんて。
はぁ、と1人驚愕していると、突然男の子がギルさんを押しのけ、ずいと私の前に現れた。
「オレはオズ!オズでいいよ!
オレ達も、昨日は疑ってごめんね。許してくれる……?」
「……、うん!もちろんだよ。」
そんな可愛らしい表情で上目遣いをされれば許さざるを得ないだろう。頭がくらりとした気がした。
私が肯けば、オズは嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「よかった!きっとこうして出会えたのも何かの縁だ!
仲良くしよう!シオリ!」
「!、ありがとう、オズ」
思わず笑顔を向ければ、オズも満足げにニッコリと笑った。「それから、」と私、オズ、ギルさんの目が女の子に向けられる。
もぐもぐと朝食を頬張っていた彼女は、その視線に気付き、ごくん、と口の中のものを飲み込むと、
「アリスだ。」
それだけ言い、再び朝食にありついた。
こっちに来てから、外で初めて出来た友達だった。
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