※ツイッタータグ #夏という言葉を使わずに夏を一人一個表現する物書きは見たらやる より
※両片思い
片恋の文月
(ほり←のざ)
工具を掴む手に汗が伝う。
蒸し暑い体育館の舞台裏で。彼の汗が、肘から手首へと。中手骨から爪の先へと流れていくのを、ただ呆然と見ていた。
声を掛けることは憚られた。
今、彼の煤竹色の瞳に、己の姿を映すべきではないと。湿り気を帯びた唇が、己の名を紡ぐべきではないと。
本能がそう、叫んでいたのだから。
(ほり→のざ)
カリカリと、紙の上をペン先が走る音が響く室内で。そっと彼の横顔を盗み見る。
冷房の効いた部屋では、汗ひとつ掻かぬ頬に季節感は無く。
―何もできない。
そこをハンカチで拭ってやることも、指先で掬ってやることも。
―彼に触れる口実が、無い。
今の己にできるのは。時折そっと、視線を上げることのみだ。
(みこ←のざ)
ラッシュガード、という物を初めて着た。
とってもカッコいいよ、と賛辞をくれる小柄な女子と。女子力高ぇじゃん、と揶揄ってくるがさつな女子と。…似合わねぇな、と、ボソリと呟いて顔を背けた男子。
賛辞にでも揶揄にでもなく、その静かな雑言に心臓が跳ねた。
布下のうなじに汗が伝う。誰の目にも触れさせたくない、刹那の宝がそこにはあった。
(彼が気まぐれに残した噛み跡は、照りつける日射しよりも、ずっと)
(みこ→のざ)
なぁ、今日泊まってもいいか、と尋ねれば。
いいなぁお泊まり、と、羨望を隠さず言う少女と。俺もまた先輩のご飯食べたいです、と人懐っこい笑みを浮かべる少年と。あぁいいぞ、と、なんて事ない風に了承する家主。
友人と後輩同様、一切の裏表を見せず首を縦に振った彼に、身勝手な苛立ちが募る。
どうすれば、飄々とした彼を乱すことができるのか。連日の茹だる気温にやられた頭は、そればかりを考えている。
(この時彼が、己と視線を合わせずに頷いた理由なんて。思慮する余裕は、欠片も無くて)
(まゆ→うめ)
―口外すればきっと意外だと言われるだろうが、夏は好きだ。
正確に言えば、好きになった。長期休暇を利用して帰省する、兄が己の傍に居る限定的な夏を。
「真由、また扇風機の前で寝て…直接風に当たるのは体に毒だぞ」
肩をポンポンと叩く掌。その甲に頬を擦り寄せれば、兄が苦笑したのが気配でわかった。
昼食は何が良いかと尋ねる声に、未だ眠気に支配されている唇をなんとか動かし、応える。
「兄さんの、おにぎり…」
己の返答に、兄はまたかと呟いてクツクツと笑った。素麺とかじゃないのか?なんて言いながら、それでも昼の食卓には兄手製のおにぎりが並ぶのだろう。
暫くして、台所から食欲をそそる匂いが漂ってきた。今日のおにぎりの具材は焼き鮭のようだ。
幸せな予感に目を細めると、再び意識が微睡んだ。