※別ロマ8発行フリーペーパーSS
野崎が高校三年生へと進級し、堀が新たな学び舎に通い出してから、早二ヶ月が過ぎた。
暦は六月。関東地方の梅雨入りが宣言され、昨今の天気は雨続きだ。今日も早朝から雨が降っており、正午近くになった今も止む気配を見せなかった。
外出を億劫に感じつつも、野崎はショッピングセンターの画材売り場へと赴いた。折角の休日に雨が降っていようがいよまいが、仕事をする上で必須の漫画道具が底を尽きかければ、買い出しに来ざるを得ない。
原稿用紙やトーンを素早く購入し、野崎は早々に店外に退出する。雨の日は原稿用紙が湿気りやすくて嫌だな、などと店の前でぼんやりと考えていると、
「あれ、野崎先輩!こんにちは、お買い物ですか?」
「若松」
横手から掛けられた声に振り向けば、そこにはひとつ後輩である若松が居た。人懐っこく駆け寄ってきた彼に、天気のことやら先程購入した画材のことやら話題を振り、野崎は暫し後輩との雑談を楽しむ。
と、
「あれ、先輩。今日はネックレスしてるんですね」
「…ッ!」
若松が放った何気ないひと言に、野崎は思わず動揺した。中学生時代から交流のある若松は、以前から己が好む私服の傾向をなんとなく察していたらしい。
内心の動揺を表に出さぬよう努める野崎に対し、若松は常と変わらぬ朗らかな口調で、
「野崎先輩がアクセサリー着けてるの、なんだか新鮮です。お似合いですよ!」
「そ、そうか?ありがとう…」
屈託のない笑顔が眩しい。背後にキラキラと光が舞いそうな笑みを浮かべる若松から、野崎はつい視線を逸らしてしまった。折角の礼の言葉が尻すぼみになる。
―何をドキドキしているんだ。
別にやましいことをしている訳じゃないだろうと、野崎は自分自身に喝を入れる。
そうだ。別に、やましいことなどしていない。己はただ、アクセサリーを身に着けて外出しただけだ。そのアクセサリーが先日、六日の誕生日に恋人から手渡されたプレゼントで。その恋人との関係は、未だ周囲に内緒にしていて。いつかは、共通の知人にきちんと報告しようと、ふたりで約束を交わしている。今は関係を公にするタイミングではないから、若松にそれらの事実を伝えることができない。そうだ、そういうことだ。
勝手に早まってしまう鼓動を落ち着けようと、野崎は脳内で様々な逃げ口上を並べる。それに気を取られていたせいだ。
「これ、ドッグタグっていうんですよね。チタン製ですか?すごい、カッコいいなぁ…」
己の首元に顔を寄せる若松に気づくのが、一瞬遅れてしまった。だから、少々わざとらしくとも。野崎は身を飛び退かせて彼と距離を取らざる他なかった。
「え?野崎先輩?」
大袈裟な動作で距離を取った野崎に、若松はきょとんと目を丸めて首を傾げる。
己の不自然な反応を取り繕うのは、今更不可能だ。ならば、多少強引にでも話題を逸らして、彼の意識を己から他所に向けるしかない。
野崎は声量を上げ、
「わ、若松!お前も買い物に来たんじゃなかったのか?」
問えば、若松はハッと身を強ばらせた。
「あっ!そうだった!俺、今度の遠征試合のための買い出しに来てて…しかも、瀬尾先輩についでだろってお使い頼まれてて…!すみません、野崎先輩!俺、お先に失礼します!」
ガバリと頭を下げ、若松は本来の目的地へと駆けていった。慌てていても、屋内では大股早歩き以上に速度を上げないところが彼らしい。
あの様子なら、先程の野崎の奇妙な行動など、既に頭から消えてしまっただろう。野崎は安堵の息を吐くと、首に下げたネックレス―ドッグタグをぎゅっと握り込んだ。
十八歳の誕生日に手渡された、秘密の恋人からの、秘密のプレゼント。誕生日のプレゼントと言っても、そこに刻まれているのは、ハッピーバスデーなんて甘ったるく優しい言葉なんかじゃない。
刻まれているのは、己の名前と、彼なりの愛の告白と、それから。
―所有者の、名前。
己が彼のものである証。これを身に着けて外出したのは、今日が初めてだった。知り合いに出会う可能性を考慮せずに持ち出したのは早計だったかと、野崎は肩を落とす。しかし。
―きっと、誰かに見てほしかったんだ。
誰にも知られたくないけれど、この世の誰にも知られてしまいたかった。己の恋人は誰か、己が誰を受け入れたか―己が、誰のものであるか。
相反する思いが溢れて、心がパンクしてしまいそうだった。これを渡してくれた時。あの人も、己と同じ気持ちだったのだろうか。
「…堀先輩」
誰に聞かれるでもなく名を呼んで、野崎は恋人からの贈り物にそっと口づけた。
UMETARO/06 JUN.
DON'T YOU EVER
MISS YOUR MASTER.
FROM MASAYUKI