解けない謎がある。
悪意から生まれた謎ではない。よって、それを解いて食うことはできない。食えもしない謎をわざわざ解く気はないが、酷く気になる。答えがわからないそれと対峙する度に、その謎は自分の理解を越えているのだと痛感する。こんな謎は、不快だ。


脳髄の空腹は満たされぬというのに、気がつけば思考を巡らせている謎。それに少々フラストレーションが溜まったものだから、ニヤけながらソファで菓子を貪るヤコに酸の粒を飛ばして遊んでみた。当たっても肌にたかだか3センチ大の穴が空くだけだというのに、五月蝿い悲鳴を上げながら避けまくっている。ふむ、意外に素早いものだな…などと、下等生物に対して珍しく感心してしまった。

「もう!この鬼畜!どS魔人!機嫌が悪いからって人に当たらないでよね!…ってイ゛タ゛タ゛タ゛タ゛タ゛タ゛!!ネ、ネウロ!!ギブ、ギブ!!」

生意気な口をきく奴隷の肘を通常とは逆に捻ってやる。何やら喚いているが、我が輩の知ったことではない。と、

「…なんか楽しそうだね」

ノックと同時に扉が開き、事務所内に気怠げな男の声が入ってきた。なんたる偶然だ。そいつはまさに、我が輩の脳を浸蝕する謎の持ち主だった。

「さ、笹塚さん!楽しくなんかないですよ〜!これはネウロの悪ふざけで…」

力を緩めてやった瞬間、安全地帯に逃げるようにヤコはその男のもとへと駆け寄った。笹塚衛士。フルネームを覚えたのはつい最近だった。この男との関係に、名前を覚える必要などなかったからだ。笹塚という姓と、刑事という肩書。この2つさえ知っていれば、なんら支障はなかった。
いつからだ。我が輩が、こいつの『名』を呼ぶようになったのは。
ヤコに促され、ソファに腰掛けた笹塚と目が合う。一瞬のアイコンタクト。色素の薄い瞳に我が輩の姿が映る。まるでそれを逃がさぬとでも言うように、笹塚はすぐに瞼を伏せて双眸を閉じ込めた。それだけで確信した。
あぁ、我が輩は今宵、この男の部屋に行くのだろうと。


来いと言われたわけではない。行きたいと思ったわけでもない。それでも、昼間に行われた一連の動作が、いつの間にやらこの行為のサインとなっていた。

「さ、さづか、刑事…!」
「…刑事って呼ぶな。萎える」
「あ、あ、あ…!衛…士、さ…!」
「…そう」

淡々と発っせられる言葉は、機械が発しているのではないかと思うほど熱がない。顔は無表情で、体温も低い。外見と行為との温度差が激し過ぎて、らしくもなく混乱した。笹塚は今、我が輩の後口に指を数本埋め、それらを激しく出し入れさせている。ジュポジュポと、半身から漏れた蜜と空気が掻き交ぜられる音が耳に痛い。この行為の時、笹塚の焦点はいつも我が輩の顔に合わせられている。無表情でひたすら我が輩を観察してくる様は職業病なのか、はたまたこの男の癖なのか。空いている方の手で我が輩の頬を捕らえ、正面を向くよう固定される。おかげで瞼が上げられない。笹塚の瞳に映る己から逃れるためだ。頬を紅潮させて涙を浮かべ、口を無意味に開閉して喘ぐ己の顔なぞ見たくない。逆に、笹塚は我が輩の痴態をじっくりと眺めているのだろう。それを見て一体何になるのか知らないが、忌ま忌ましいことこの上ない。奴の双眸を塞いでやりたいが、生憎我が輩の両手はシーツを掴むのに忙しい。強い快楽に耐え、行為中に自我を保つためにはこの方法しかないのだ。何度か、笹塚に見ないでくれと直接頼んだことがあったが、全てあっさりと却下された。恥をかなぐり捨て、泣き喘ぎながら訴えたこともあったが、結果は同じだった。
この男はいつもそうだ。人の願いは聞き入れず、ただひたすら、自分の欲望のみに忠実。簡単に言えば自己中心的で我が儘だ。普段の腑抜けた態度は何処へ行くのか。我が輩を抱く時、この男は異常なまでに強引になる。
つい先程、この部屋を訪れた時もそうだった。鍵を開けられ、玄関の扉を潜った。するとすぐに腕を捕られ、寝室へと連れ込まれてベッドに引き倒された。するすると我が輩の衣服を剥いでいく笹塚の動きは迅速で、我が輩に抵抗する隙を与えない。会話などない。靴を脱ぐことさえままならないのだ。それは今日に限ったことではなかったが。
笹塚が、我が輩にこのような行為を強いる理由がわからない。たが1番の謎は、この男を拒もうとしない己自身だった。

「…何考えてんの?」
「ひっっ!?ああああああっ!!」

笹塚が、我が輩が最も快楽を感じる箇所を重点的に擦り上げる。先程までの、中を広げるための動きではない。ただ快楽を与え、果てさせることだけを目的とした行為。散々中を弄られていたのだから、そんなことをされては射精を我慢できるはずがない。まだ、笹塚自身を挿入されてすらいないというのに。挿入前に果てた後の行為がどれほど体力を奪うか、今までの経験から嫌というほど思い知らされている。下腹部に力を入れ、射精感に耐える。情けないと思いつつも、我が輩は眼の前の男に懇願した。

「駄、目…!やめて、下さ…!そんなにしたら、もう、出…っ!!」
「集中してないアンタが悪い」
「な、に、言って…?」

何故か気分を害したらしい笹塚がボソリと呟く。言われた言葉の意味もわからぬまま、我が輩は与えられ続ける快楽に屈した。脳と身体が堪えることを諦め、精を吐き出そうと動き始めている。

「えい、し、さ…もう、イ…!」
「…イケよ」
「ひぁっ!!あ、あああああ…!!」

低く囁かれた瞬間、一層強く内部を擦られた。堪らず喉を震わせ、ガクガクと痙攣しながら射精する。我が輩と笹塚の腹に白濁が散った。シーツに沈み、肩で息をする我が輩を、先ほどから変わらずに観察し続ける笹塚。見るな、と言っても聞き入れられることはないだろうと諦めて、瞳を閉じて視線に耐える。と、笹塚が思いついたように身体を起こし、我が輩の顔の横へと腰を下ろした。何事かと考える間もなく、後頭部を掴まれ笹塚の半身へと引き寄せられた。下顎に親指を掛けられて、笹塚の意図を察した我が輩はすぐに頭を振った。

「や…!えいひは…!」

顎を固定されているため上手く言葉が紡げず、舌っ足らずに奴を呼ぶ。我が輩の唾液は強い酸だ。自身の意思でその濃度を変えない限り、岩をも溶かす威力は変わらない。性器を失いたいのか馬鹿め、と心中で罵る。と、同時に、謎が深まった。
何故、我が輩はこの男を傷つけまいとする?

「…舐めて」

口調は柔らかだが、顎に掛かった手には力が篭ったまま。拒否すれば、この男は無理矢理に我が輩の口内に性器を捩込んでくるだろう。先程の突発的な行動がその証拠だ。
我が輩を支配し、我が輩に命令する、人間。昼間は手駒として使えるのに、夜、性行中の笹塚は我が輩が嫌悪する要素を全て持ち合わせた人間となる。
こんな行為などしなければいい。
食事のために、手駒として必要な時だけ、この男と付き合えばいい。もともと、性行為など魔人である我が輩には必要ないのだ。必要なのは、謎。食えない謎などではなく、脳髄を満たす、悪意に満ちた謎だ。
それなのに、我が輩は何故…

「ネウロ」

名を呼ばれる。顔を上げれば、色素の薄い瞳と視線がかち合った。相変わらず感情が読めない。冷たく無機質な表情に、抑揚のない声。ただ、笹塚の欲の象徴だけが熱を帯び、我が輩に奉仕を強要している。一体この差は何なのだろうか。わからない。
わからないまま、口を開く。無害となった我が輩の唾液が、顎を伝って滑り落ちた。



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