※死ネタ・薄っすらカニバ、ヤンデレ表現有り※



「ごちそうさまー」

パン、と手を合わせて食事を終えた私に、お母さんと美和子さんは心底驚いた顔をした。

「ど、どうしたの弥子!どこか具合でも悪いの!?」
「そうよ弥子ちゃん!弥子ちゃんがおかわりしないなんて…それとも、今日のご飯、そんなにまずかった?」

まるで天変地異の前触れだと言わんばかりの2人のうろたえぶりに、思わず苦笑する。私が朝食に食べたのは、ご飯1杯にお味噌汁1杯、あじの干物1尾に、美和子さん特製のだし巻き卵数切れ。その他にはオカズを数品。普通の人の食事量より少し多い程度なのだから、私の以前の食欲を知る人には怪奇現象のように映るかもしれない。もちろん、今でも食べることは好きだ。肉も魚も野菜も果物も。以前と変わらず、みんな大好き。けれど、

「もうね、たくさん食べなくて良くなったの」

言って笑みを浮かべる私に、2人は不思議そうに首を傾げるばかりだった。


学校が終わり、私は雑居ビルの階段を上っていた。そこは元、桂木弥子魔界探偵事務所があった場所。元、というのは他でもない。そこにはもう、私が『探偵』を勤めた事務所はないのだ。階段を上りきると、元事務所の扉の前に、見知った後ろ姿があった。ぼんやりと、プレートのなくなった扉を眺めている。少しくたびれ気味の、薄茶色のスーツを羽織った、

「笹塚さん!どうしたんですか?」
「あぁ…弥子ちゃん」

緩やかに彼が振り返る。彼はくわえていた煙草を携帯灰皿に押し付けながら、

「本当にやめちまったんだな…探偵」

どこか残念そうに聞こえる声音でポツリと呟く。

「えぇ、やりたいことはやれましたから」

それとは対照的な明るい声で応える。入ったら何もなくてびっくりしたよ、と続けた彼にハハ、と短い笑いを返した。事務所の中には、ほとんど何も残っていない。家具の数々は無料で提供してくれた池谷さんに返却し、分厚い辞書やパソコンは吾代さんの会社に寄付。家具も、本も、あかねちゃんさえも、もうこの部屋には存在しない。今日は、この部屋を少し掃除して、事務所の撤退を完全に完了させるつもりだった。

「…他のメンバーはどうしたの?」
「吾代さんなら、今も望月さんの会社で働いてますよ。相変わらず、毎日大変そうです」
「ふぅん…」

きちんと聞いているのかいないのか、曖昧な相槌。それが頭にこないのは、私が彼という人間を少なからず理解できているからだろう。その証拠に、彼の次の問いは私が予想した通りのものだった。

「助手の…ネウロも、何処かに行ったの?」

口調は変わらず、しかしあまり他人に干渉しない笹塚さんにしては積極的に繰り出される質問。いつも半開きの瞳が、すっと細められたような気がした。しかし、

「ネウロは、前よりずっと近くにいますよ」
「…え?」

私の応えに、その双眸が揺らいだ。お世辞にも表情豊かとは言えない彼が、瞳に動揺の色を滲ませる。にこりと微笑めば、その色がさらに濃くなる。しばらくそのまま見つめ合っていた私たちだったが、やがて笹塚さんは俯き気味に首を傾げ、視線を外した。そしてそのまま、ポツリ、ポツリと語りだす。

「彼の…ネウロの、」

それはまるで、独り言のように。

「ネウロの瞳が、結構、好きだったんだ」

いつもよりずっと声量のない彼の言葉は、それでもこの静かな場所では充分に聞き取ることができた。

「えぇ、綺麗でしたよね。私も、大好きでした」

キラキラと光りを放ちながら螺旋を描くネウロの瞳。あんなに綺麗なものを、忘れるわけがない。

「弥子ちゃん、君は…」

再び、私と眼を合わせる笹塚さん。照明のない、この薄暗い通路で、彼は気付いているのだろうか。最近、少しだけ緑がかったみたいだと言われる、私の瞳に。

「…なんですか?」

続きを促すように笹塚さんの両目を覗き込めば、彼は少しだけ背を跳ねさせ、さっと視線を逸らした。緩く頭を振り、溜め息を吐くと再び煙草を取り出し火を点ける。

「いや…なんでもない」

邪魔したね、という言葉を残し、笹塚さんが階段を降り始める。

「笹塚さん」

振り返った彼に、先程から変わらない笑みを向けて、

「また、いつか」

会いましょうね。言って手を振った私に、笹塚さんは少し困った表情を浮かべながらも、軽く片手を上げ返してくれた。


扉を潜る。なにもなくなった部屋は、夕日の光りを浴びてオレンジ色に輝いていた。瞼を伏せれば鮮明に思い出す。探偵事務所の、最後の日。その日も、世界はオレンジ色の暖かい光に包まれていた。脳髄の空腹が満たされたネウロは、事務所のソファに寝転び、うとうととまどろんでいた。ここには今、私とネウロの2人しかいない。いつもなら、この時間はあかねちゃんが美味しい紅茶を淹れてくれる。しかし、壁に眼をやってももう彼女の姿はどこにもなかった。ただあるのは、ホワイトボードに書かれた、『ありがとう』という可愛いらしい文字だけだ。それを書き終わってすぐ、あかねちゃんの髪はさらさらと砂のように流れ、消えてしまった。同じように、壁に隠されていた身体も。支えを失ったペンが、固い音を立てて床に落ちた。障気と呼ばれるネウロの魔力が、外に洩れなくなったせいだ。魔力の全てを身体の内側に孕ませて、ネウロは今まさに眠りに就こうとしていた。
このまま眠ったら、彼は二度と目を覚まさない。
魔人の最後を見たことなどあるはずがないのに、なぜか私はそう確信していた。

「ねぇ、ネウロ」

彼の頬に、そっと手を添える。人形のように無機質に見える肌は、見た目に反して小動物のように暖かかった。愛おし気に撫であげれば、ネウロが薄っすらと眼を開く。その瞳は、今にも眠りに落ちてしまいそうで。

「もらっていい?」

何を、とは言わず、ただ本能が欲するままに告げる。言わなくても、聡明なネウロには私の言わんとしていることがわかるだろう。暫しの間。眠気で思考力が低下しているネウロは、私の言葉を理解するのに時間がかかったようだ。しかし、やはり彼は気付いたようで。フッ、と小さく吹きだした。

「…好きにしろ」

そう言って微笑んだネウロは本当に綺麗で。私はその日、最高の晩餐を味わったのだった。


ビルを後にし家路につく。満天の星空の下、私の足取りは羽根が生えたように軽かった。あかねちゃんにはもう会えないことや、笹塚さんや吾代さんとの繋がりが薄れたことは淋しかったけれど。私は確かに、この世で最も幸福な人間だった。私の中に流れるネウロの血。空腹を満たしてくれるそれは、なんて素敵なのだろう。

私だけのネウロ。これからも、ずーっと一緒ね。



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