黒猫と革紐。 | ナノ


少女と少年の関係について。


「……先生、たまに抜けてるのね。いつもはそんな事無いのに」

「いやあそんな、酷いですよアリス君」

「あ、そうよね。ごめんなさい先生」

ちらり、と少女の後ろに立つ少年に目配せする。
すると彼は小さくうなずき、とんっと軽く彼女の肩を叩いた。


「アリス、そろそろ部屋に戻らない? ちょうど君に見せたい本もあるんだ」

ほら、とあからさまに少女に向かない週間誌を示す少年に、少女は少し驚いた顔をしてから無邪気に笑ってみせる。
週間誌の見出しは『大物政治家K氏の影には宇宙人? 本誌独占衝撃スクープ!』などとバカらしいゴシップが堂々と載っていたのだが、少女の興味は間違ってもそちらには向いていないようだ。


「ジャック! 居たのね、びっくりしたわ!」

「うん。また部屋で猫の話を聞かせてくれないかな?」

「あら、猫じゃないわ。あの子にはちゃんとチェシャって名前があるのよ」


間違えるなんて可哀相だわ、とぷくっと頬を膨らませて拗ねた顔をする茶髪の少女。年齢よりほんの少し幼さを垣間見せるその挙動は以前から何一つ変わらず、その少女を見る少年の顔は僅かに愁いを添わせている気がした。
彼が大した怪我でもない伯父を見舞い、そしてわざわざここに足を伸ばす理由。それが、他でもないこの少女だった。

自分でない他の誰かを自分に重ね合わせる彼女に彼はいつも笑みを絶やさず、動物を持ち込む事の出来ないはずのこの病棟に存在する架空の猫の話に一つ一つ相槌を打つ。
医者でもないのに、ましてや以前からの友人という訳でもないのに儚い少女の相手をする彼にその理由を尋ねた事は何度かあった。そしてその度、金髪の少年は微笑んで言うのだ。

彼女はまるでお伽噺の住人のようだと。

物事を表面だけ見て、ありきたりな透き通る綺麗な答えを返して、ハッピーエンドを待つお姫様のようだ、と。彼は、言ったのだ。
もう一人の意地っ張りで食い意地の張った彼女と今ここに居る儚く夢見がちな彼女。そのどちらも独りにしておけないから、少年はいつもこの場所へやってくるのだ。

ジャック? と少し不思議そうに問い掛けた少女を見て、少年はフッと笑みを和らげる。



「ごめんごめん、そうだったね。オレは五時ぐらいまで居るからその間ずっとアリスの部屋に居るよ」

「ありがとう、ジャック。……先生、ジャックと部屋に戻るから夜の回診までさよならね」

「ハイハイ、あまりおてんばしたらいけませんヨォ?」

「もう、ちゃんと分かってるわ」


少しむすっとしながらそう言った少女は差し出された手を取ると、この短い廊下を歩く時間すら惜しいといった様子で少年と共にパタパタと駆けていった。
その後ろ姿を見つめながら、ふと思い出して腰掛けていた丸椅子の正面に向き直る。



「ああ、そうそう。クッキー美味しかったですヨォ? レイムさん」

「ブレイク先生………」




きゅっ、きゅっと音がする。

続いてぱりーんと力を込めすぎた硝子のレンズから破壊音が響くのは後少し先の事。



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