黒猫と革紐。 | ナノ


午後四時、職場にて。


「なんかソレ、精神異常者っていうより吸血鬼みたいだね先生」

「はあ……」


吸血鬼ねえ、と半眼になりながら苦いコーヒーを口に含む。

午後の外来が終わったこの時間はもっぱら暇つぶしがてら受け持ちの患者を診て回るのだが、そんな中で一人の少年に昨晩から今朝にかけての話をすると、そんな答えが返ってきた。
もぐもぐとサイドテーブルの見舞いの品を勝手につまみながら待合室にあった雑誌をパラパラと捲って読み耽る彼はここの患者でも何でもなく、ただ単に外来に入院中の伯父の見舞いに来ただけのごくごく正常な少年だ。

この病棟は話す手とぬいぐるみを突き刺す鋏が止まらない変人(自分の受け持ちだ)やら酷い潔癖症と周りからのストレスによって眼鏡を拭く癖が治らなくなってしまった何だか可哀相な患者(同じく自分の受け持ちだ)やら、普段は比較的正常なのにもう一人の自分が現れるたびに思考が正反対になる厄介な二重人格者の少女(やっぱり自分の受け持ちだ)がごく普通にそこらを歩いているので彼のような医者以外で正常な精神の持ち主は珍しい。

流石に精神科の病棟なので危ないと言えば危ないのだが、逆に彼らの癖を知っていればどうということは無いので少年に対しては最初にざっと注意するだけに終わっている。
しかし、一番始めの注意のみであっさりこの場所に馴染んでしまっているこの少年も十分普通でないと言えそうなものなのだが。

───ぽと、と見舞いのやたら高級なクッキーの欠片が下世話な週間誌の上に落ちると、少年はそれからふっと顔を上げた。



「その子、本当に朝になって日が射したらさっさと寝ちゃったんでしょう? 怪しいとおもうなあ」

「そうですかネェ…しかしいくら何でも吸血鬼なんてバカな話。私も大学で歴史くらい学びましたけど、一度たりともそんな方々の事について見たことありませんヨ」


それに一説では吸血鬼って狂犬病患者の事らしいですよ、とうろ覚えに言うと、金髪にエメラルドグリーンの目をした少年は足をぱたぱたと揺らしながら、

「ギルバート君だっけ。会ってみたいなー」

「ふふ、オズ君。君、私の話聞いてないでしょう」

「そんな事ないよー、ブレイク先生」


うふふふふ、とホストよろしく笑った少年はそうのたまうと、再び雑誌の文字を読み耽り没頭していった。
この少年の伯父というのが実はこの病院の院長であり、何だか怪しい権限の副産物によって彼には自宅を知られているのだが、何だか嫌な予感がした。
───と、



「おいっ、ピエロ!」

「……アリス君」


どーん、と背中に思いやりの無い衝撃が襲い掛かった。
襲撃者は焦茶の髪を長く伸ばした、活発そうな少女。


「飯はまだか? もう腹が減った、早くしろ早く!」

「早くってアナタ、まだ四時ですよ」

「四時? 嘘を吐け、私はさっき起きたんだぞ? 時計だって……」

「時計だって四時ですが」

「う……?」


くるり、と腰掛けていた円形の椅子を回転させてアリスと呼んだ少女を引き剥がし、白衣の胸ポケットから出した時計を見せて頭をぽんぽんと優しく叩く。


「ほら、ここにレイムさんのクッキーがありますからちょっと食べて構いませんヨ」

「むぅ……おかしいな、確かに夜寝てさっき……」


もぐ、とクッキーを銜え、そのままむぐむぐと咀嚼していく少女。甘い味が気に入ったらしく、一つまた一つと手が伸びていく。
彼女は二つの人格が入れ替わる、厄介な症状を持った女の子だ。

普通二重人格と言えば解離性同一性障害と呼ばれ、主人格である『その人本来の人格』がある上で過程は個人によるがその後に出来た副人格と入れ替わる現象が起き日常に支障をきたす症状のはずなのだが、彼女にはそれが無い。
彼女の持つ人格は常に対等で対照で、つまり『人格A』も『人格B』も同じ立場で一つの身体を共有しているのだ。
───まるで、双子が本来分かれるべき身体はそのままに魂だけが分かれてしまっているように。

(……存外、こんなイレギュラーな患者が居ると考えると吸血鬼も実在しそうなものだな)

しかしあの鈍臭そうな少年がねえ、とため息混じりに首を振ろうとした、その時だった。


「アリス!!」


ふらり、とクッキーを握った少女の華奢な身体が後方へ揺らぐ。
間一髪それを受け止めた金髪の少年がほっと息をつくも、ゆっくりと起き上がった少女は持っていた焼き菓子を見つめるとぼうっとした表情でこう言った。



「…これ……これは、なあに…?」

「……おはようございます、アリス君」


手に持ったクッキーを見て、不思議そうに首を傾げる少女。さして驚かず、にっこりと微笑み挨拶する。
それは一種の確認手段だ。先程までの彼女ならこの嘘臭い笑みに対して髪を逆立て、蹴りを放つくらいはしてくれるのだが、



「おはようございます、ブレイク先生。ううん、少し変ね。今はもう四時でしょう?」



ゆったりと微笑んで、少女はそう返した。それではっきりと認識する。
───彼女は、もう一人の片割れだった。



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