ドアを開ける手は何だか冷たくて。
「あの、本当にありがとうございます。…服まで貸して頂いて」
「あー、もう良いですからとりあえず座りなさい。適当になんか持ってきますからおとなしくしてるように」
「はい」
───結局、裸足の捨て子まがいは自分が回収する事になった。
ドアを開けた途端に予想もしなかった快音が響き、結果としてこの冷え込む夜更けに氷を用意しなければならなくなった訳だが、当の少年は多少そわそわとしつつも安心したように渡した上着に包まっている。
しかし、改めて少年の格好を見ると、確かに捨てられましたと言われても驚かないような気がした。
元の色より大分くすんだ薄いトレーナーに、裾がぼろぼろにほつれたダークグレーのカーゴパンツ。少年が着ているものは、本当にそれだけだったのだ。
マグカップに簡易スープの素を入れ、適当な所まで湯を注いでからスプーンを突っ込み乱雑に掻き回す。
白く湯気が立つそれを持ってくると、少年は嬉しそうにカップの取っ手を掴んだ。
「ありがとうございます」
「……君、さっきからそれしか言ってないですよネ」
「あ、すみません……でも本当に、」
「いえ、後々面倒になるのが嫌なだけですから」
きっぱりと言うと、向かいに腰掛けてソファーに座る少年を眺めた。
歳はせいぜい甘く見積もって十五か十四。十七は流石にあり得ない。そんな判断を下しながらまだ熱いスープを両手で包み込むようにして支えている彼に声を掛けた。
「……確か君、血がどうのと言っていたと思いますが」
「あ、えっと、それなんですが…熱っ」
「やっぱりそれ飲み終えてからにしましょう」
「すみません、熱いものに慣れてなくて…」
「まあ、ゆっくりどうぞ」
ふーふーと息を吹き掛けながら難儀そうに冷ましたスープをちまちまと口に運ぶ様をしばらく眺め、やっとカップが底を見せた所で少年にもう一度先刻と同じ問いを投げ掛けた。
その問いに、少年は笑顔で答える。
「はい、ほんの少し血を頂けないかと」
「………、」
沈黙。
それを不思議そうに受け流しながら、少年はもう一度口を開く。
「えっと…お医者さん、ですよね? 献血の車の近くで見かけて付いてきたんですけど」
「………、」
確かにそうだ。自分の勤務する場所は近くの大学病院で職務は医者である。
医者であるのだが───今日はたまたま病院に寄った献血車の出迎えに出ただけで、献血の担当でも外科医でも何でもないというのが事実である。所属は精神科なのだ。
そんな訳で病気のお母さんに特殊な型の血が要るとかだったら担当が違うんですけど、と口を開き掛けたが、
「…あの、」
「ああ良かった、ボクずっと探してたんです。自分じゃ上手く針が扱えなくて……でも痛くないようにするにはこれしかなくて。先生はもっと巧く出来て相手の人も血を取られたなんて気が付かないまま眠っててすごく───」
「───ちょっと待って下さい」
「?」
今、血を取るとか取らないとか不穏極まりない単語が飛んだ気がしたのは気のせいだろうか。
え? と話の腰を折られた少年が首を傾げ、こちらを見る。
それもそうだろう。彼はただ普通に話していただけなのだから。
確かに、彼の挙動に不振な点などない。ただ、話の内容が普通でなかった事が問題であるだけで。
「君───一応、名前は? いくつです?」
問うと、ギルバートという名が返ってきた。特に珍しくもない名前。
そしてなんて事の無いその後に続く、驚愕の言葉。
「歳は今年で百五十…あれ、七十年だっけ……すみません、どうも時間の感覚が薄くて十年単位でしか覚えてないんです」
「………、」
今度こそ、言葉を失った。
一瞬朝一番で自分の担当の精神科にでも放り込もうかと思ったが、そういった患者に有りがちな奇妙な点は彼には何一つ無い。きっと彼は、向けられる質問を全てそつなく答える事が出来るだろう。
そして、先刻からひしひしと感じていた違和感が一つ。
「……眠くないんですか」
今の時刻は午前四時。普通なら少し意識が朦朧としてくる時間だ。
だが、返ってきたのはどう考えてもおかしな返答。
「あ、確かにもうそろそろ日が射すから寝なくちゃいけないんですけど、まだ大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「………、」
───何だか児童相談所より面倒な事になってきた、と頭が警鐘を鳴らし始めた気がした。
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