出会いと言う程高尚なものではないけれど。
───いいかい。よくお聞き。
拙いランプがガスの灯りに変わり、夜が段々と人間の物になって。もう人々の中に私たちお伽噺の住人は存在出来ないだろう。
凍える夜にパンを求めてドアを叩いても、その音は誰にも聞こえないだろう。私たちはもう、そういうものになってしまったんだ。
けれど、もしも私が居なくなって独りぼっちになったとしても、これだけは忘れてはいけないよ。
私たちは確かに生きている。
私は、君は、この世界に祝福されて生まれてきたんだ。始めから忌み嫌われているものなど、この世界のどこにもない事を覚えていて。
それだけは、忘れてはいけない大切なこと───
「あのー……本当、ほんの少しで良いんです。ちょっとだけ」
だから、血を分けて頂けないでしょうか。
「………、」
ぱたん、とドアを閉めようとしたのは至極必然な行為で。
深夜遅く、夜というより最早朝に近い時間に騒音で叩き起こされ、どんどんと叩かれるドアに向かって出会ったのは小さな黒い髪の少年だった。蛍光灯の切れかけた不健康な光の下で、緩くウェーブがかった黒髪と金色の眼、やけに白く細い腕が薄く浮かび上がる。
それらを一瞥した上で無言のまま扉を閉めようとしたこちらに、少年は必死で追い縋った。
「ま、待って下さい! ごめんなさい事情は説明しますからあの───!」
「……君ね、今何時だと思ってるんだ。子供は早く家に帰らないと警察が補導に来るよ」
「いや、あの、ボクこう見えてもそこそこ長く生きてて…」
「はいはいはいはい」
ぱたん。今度こそ軽い音を立てて扉が閉まった。
あのーっ! と少年特有の高い声がドアを通して響いてくるが華麗に無視して寝室に向かう。自慢ではないが、あからさまな面倒事に対してどういった行動を取れば良いのかぐらいの良識はあるつもりだ。
どんどんと叩かれるドアに多少の苛つきを覚えたものの、いつも通り薄いタオルケットと奮発した羽根の大きな布団を二枚重ねにして床に就く。最近は少々気の早い冷え込みが来ているので寝入りに少し暑いくらいでないと、寝冷えして起きた時に風邪を引くことになるのだ。
案外、この時期の夜から朝方は油断できない。更に冷え込めば薄着に裸足などもっての他だ。
───と、
(……裸足?)
薄着。裸足。何故、そんな単語が頭をよぎったのだろう。
確かに自分は今何も履いていないが、得てして人間とはそういった自身の状況を思考から外す傾向にある。俗に言う自分の事は棚に上げて、だ。
となれば、他に考えられるのは。
(あの子……上着も何も着ていなかったような…靴下も穿いていなかったし)
つまり、裸足。
そこまで考えて、ふと頭に浮かんだのはまだそこらをうろつく少年のビジョンだ。下手をするとドアを背にして座り込んでいるかもしれない。
それはまずい、と思った。
曲がりなりにもこの現代社会、いかにも捨てられましたな裸足の少年がうろついていたら補導の前に児童相談所だ。否、あの少年が施設送りになろうが補導されて冷たい床に放り出されようが関係ないしむしろどうだって良い。
肝心なのは、
(……そこで何か言われたら)
そう、そこだ。後々どうして放っといただの非人道的だのと言われては面倒にも程がある。ここは集合住宅、マンションなのだ。要するに人々の噂は結構な速度で広がっていく。
がしがし、と手の平で擦った顔からは、既に眠気など綺麗に吹き飛ばされていて。
「あー……、もう」
移動する体重できしきしと軋むフローリングからは、纏わり付くような冷たさばかりが伝わってきた。
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