黒猫と革紐。 | ナノ


少女はかく言う。


「……今なんて言いました? アリス君」

「だから、先生の血をあげればいいのに、って……ジャック、私変なこと言っちゃったかしら」


きょとん、と少女が瞬きを繰り返す。
呆気に取られたこちらなどお構いなしに、少女は焼き菓子の欠片を落としながら金髪の少年の顔を伺い見た。
そして、


「すごい……凄いよアリス! そういえばそうだよ、簡単だ!」

「え?」

「うん、アリスの言う通りだ先生!」

ぎゅう、と奇跡の発想を見せた少女の肩を抱きながら笑顔の少年が言う。その様子はかなり微笑ましいものだったが、話の方向は何だかおかしい気がする。

今、自分の血を提供するという方法で対策が決定しなかったか。


「あの…ちょっと待って下さいヨ? 別に私はこの子の保護者でも何でもないんですし第一これから先……」

「なら一緒に住めば良いでしょ? どうせ先生一人暮らしだし。それにここの家賃安いって伯父さんから聞いたけど」

「まあそうですケド…」


ぐっと顔をしかめて言い縋る。
人の家の家賃まで把握している彼の無駄な情報収集能力には感嘆するばかりだが、それでもここで折れる訳にはいかないのだ。

吸血鬼などという得体の知れない(見た目は単なる泣き虫の少年だが)存在に折れてしまえば、そこを皮切りに違う世界への扉が開いてしまうような気すらする。フランケンシュタインやらケット・シーやら、ジャコ・ランタンを見て喜ぶようなオカルティックな趣味は間違っても自分にはない。

あくまで一介の現代社会に生きる医者なのだ。


「それに、私こう見えても結構オジサンですヨ? ギルバート君だって嬉しくは…」

「いえ、全然平気です」

「………、」


オジサン発言を否定されなかった事がさりげなくショックだった───という訳ではなく、今までおどおどと頼りげのなかった少年にすらきっぱりと宣言されてしまいうっと言葉が詰まった。
しかも悪いことに彼の大きな金の瞳にはきらきらと輝くものがちらついており、じっと見つめられて純粋なその光に耐えられなくなってくる。もはや彼の中では自分が血を与えるということで決定してしまったらしく、その事実の前にたらりと汗が浮かんだ。
抵抗など出来そうにない。

こういう時の人間にはもう何を言っても無駄なのだと、精神科医としてのドライな自分が首を振った。


「……もう分かりましたヨ…」

「ありがとうございます…!」

「じゃ、伯父さんに連絡するから!」

すちゃっと実に素早く携帯電話を取り出した少年が伯父に掛けようとボタンを操作する。
が、その指が触れる前にストップと制止をかけた。


「…今院長に連絡したらアリス君の事がバレるでしょう。連絡はしなくて結構ですヨ」

「え、でも薬貰っておいた方が良くない?」

「わざわざ薬なんか飲まなくても自力で何とかできますよ」


はあと深くため息を吐いて発信しかけていた携帯電話を少年の手から取る。
え、と不思議そうな顔をしてこちらを見る彼を横目にパタンとシルバーの電話を折り畳むと、時刻だけを確認してそれを返した。

「貧血対策に鉄分取っとけば何とかなるでしょう。ホウレン草とかレバーとか」

「あれ、でも先生ホウレン草もレバーもプルーンもダメじゃなかったっけ」

「………、まあ最悪サプリメントもありますし」


もはやプライバシーも何もない少年の能力に心の底から肩を落として答えるとゆっくり立ち上がった。
時刻は九時を回っている。いくら何でもそろそろ脱走がバレる頃だろう。
その旨を告げて棚の横にある小物入れから車のキーを取り出すとその足でキッチンに向かい、冷凍庫の中からやたら大きなバケツサイズのアイス(長期保存用)を出して黒髪の少年に手渡す。

「はい、食べてて良いですカラ。ちょっとこの二人送ってきます」

「え…あ、はい。待ってます」

「オズ君、車出してきますからアリス君連れて下で待ってて下さい」

「はーい」

ソファーに座り、一抱えもある輸入物のアイスクリームを前にして小さなスプーンをうろうろさせる姿に内心微笑ましさを覚えながら外へ向かうと、わずかに冷えた風が髪を揺らした。



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