黒猫と革紐。 | ナノ


accidental-meets《VB》


※流血描写・表現有



「…誰? 君……」

「おや…人が居たんですか…」


そう言ってずるずると汚い床に座り込んだ男からは、鉄臭い血の匂いがした。

裏路地を辿った奥に建てられた、古い大きな屋敷。誰の許可も取らないまま住み着いたそこは、路地に住む溝鼠からすれば居心地の良い格好の住み家だった。
案外、屋敷の外見さえ小綺麗に繕っておけば汚い格好の二人組がパンを掻っ払って逃げ込んでも、誰もこんな所に住んでいるなんて思わない。
そうして、季節が二度目の巡りを果たした二月の冬の日のこと。

物音に目を覚まして一階に降りると、そこには死にかけの男の姿があった。


「……どうしたの? 言っておくけど屋敷には金なんてないよ…」

「………、押し込み強盗ならもっと上手くやります、よ……」


はあ、と荒い息遣いが距離を隔てたこちらまで届く。男の押さえている左目からはどろどろと赤黒い血が溢れていて、放っておけば勝手に死んでしまいそうだった。

「…死にに来たの?」

「まさか」

「ふぅん…」


聖バレンタインには到底ふさわしくない、地面に座り込む血で汚れた男を見下ろす。
押さえている箇所を見る限りその傷は事故ではなく他人に付けられたもの。男からは自分達と同じ、暗い路地裏の匂いがした。

(………、)

少し間を置いた後ビリビリと自分の着ていたシャツを互い違いに長く裂き、男に放り投げる。不思議そうな顔で彼はこちらを見上げた。



「…何の真似を」

「さあ、ね…明日まで生きてたら自分で出ていってよ。死んだら手を貸してあげるけど……」

「………、」


今思えば、どうしてそんな事をしようと思ったのかは自分でもよく分からない。けれど、面白いと思ったのは事実だった。
男は黙り込むと、投げられた布切れを手にとって自力で処置を始める。医者から見ればすぐにでも首を振りそうな荒い手当て。
だが、生きたいという意志だけは伝わる姿だった。

その姿をしばらく見て、やがてふと思いついて二階へと上がった。
疲れて寝ている兄を起こさぬように棚を漁り、自分用の汚い毛布、以前シロップと間違えて盗んできてしまった安いブランデーを取る。途中、気配に気付いたのか黒い波打った髪が二、三度揺れたが、目は覚めなかったようだ。

「……もうちょっとだけ寝てて、ギル…」

「…? ヴィンス……?」


眠る兄の額にそっとキスを落として、またそっと下へ戻る。
一階では、布切れを巻き終えた男が壁に背中を預けて息を吐いていた。止血は出来たようだが、こんな場所に薬があるはずもない。
傍目から見ても相当な痛みのようだった。


「…生憎、まだ…死んでないんですけどね」

「そう? 僕にはそう見えないけど…」

どん。取ってきた茶色い瓶を男の目の前に置く。
自分達兄弟には必要のない、後で僅かな金にでも換えようと思っていた琥珀色の液体。
それを見ると、男は驚いたように少し目を開いた。


「……案外、色々持ってるんじゃないですか…」

「子供に盗めるものならね。欲しい?」

「……っ」


痛むのか、顔を引きつらせた男は無言で頷いた。
だが、了解の意と解して瓶を渡してやると男は僅かに口にして残りは滑らせてしまった。
床に着く寸前で瓶を受けとめ、男を見る。

「コレくらいも持てないの…?」

「血が随分出てしまいましたから……望み通り、明日…まで、保たないのかも、しれませんね」

「………、」


暗闇で気が付かなかったが、崩折れた男の髪はよく見ると外に積もる雪のように白い色をしていた。こんな裏路地に似付かわしくない、純粋な白。
ならば、その瞳は日の下で見たらどんな色をしているのだろう。

(僕と同じ……だったりするのかな)

ゆっくりと痛みで揺れる相手の片目を覗き込む。やはり暗闇の所為でそれはよく見えなくて、余計に気になった。

「………、」

握ったままの瓶を引き寄せると、ほんの少し中身を傾ける。
酒臭い匂いと安く強い舌を差すような刺激が流れ込み、頭がくらくらと揺れた。

そして、中身を飲み込まないまま相手に口付ける。


「んっ……」


ごくり、と嚥下した事を確認してもう一度同じ事を繰り返す。

酒に代わって口の中に広がる鉄の味。相手から伝わったその味は、何故か不快だと感じなかった。
何度か続けて瓶の中身が半分程減ったところで行為を止め、相手の意識を確かめる。アルコールが回ったのか暗闇の中でほんの僅かに頬に差した赤みが分かり、男の呼吸は大分落ち着いていた。


「……どうも…」

「後は自分で何とかしなよ…僕はもう寝るから」

「そう、ですか……」


ふっと僅かに見せた微笑。
初めて見たそれはアルコールの力なのか、尽きる前の命が見せた精一杯の幻影かはよく分からなかった。
ただ、長い間裸足だった足先が氷のように冷える中で理解出来たのはこの男が雪のように儚いという事。暖かさを見せればすぐに溶けてしまいそうな、そんな脆さ。
男を見て面白いと思った理由が、掴めた気がした。

───溶かしてみたい。
望まない暖かさであっても、それを与えて見せたら溶ける瞬間にどんな顔をするのだろう。
今自分の手にある、この雪は。



「………、え…?」

「もう寝るって、言ったでしょ…」


する、とずっと持っていた毛布を身体に巻き付ける。
隔てた距離の無くなった自分と、その隣まで。
いつのまにか、頭の片隅では翌朝自分らを見つけて驚くであろう兄への言い訳を考えている自分が居ることに気付いた。

(バレンタインの贈り物、なんてね…)

寒さが辛いのか、男がこちらにそっと頭を傾ける。
奇妙な汚れた雪は、翌朝も溶けずに傍らに残っていた。



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