黒猫と革紐。 | ナノ


bitter-Reason《BG》


ビターとスイート、濃さの違う二つの茶色。
刻んだそれをボウルに入れて、ゆっくりと混ぜていく。
張った湯の温度も確かめ、オーブンはきっちり百八十度。部屋の中で立ち上る甘い匂いと僅かなほろ苦さは、想い人の姿を連想させる不思議な組み合わせだった。




「チョコレートがどうして苦いか、知ってるかイ? ギルバート君」

「…は?」

もそもそと注文に応えてやったフォンダンショコラを崩しながら呟いたのは、紅い隻眼の白い上司。
夜中に突然押し掛けて人に焼き菓子などと手間の掛かるものをリクエストした挙げ句、一体何を言い出すのかと眉をひそめると彼はハイとフォークに乗ったココア色の欠片を差し出した。
質問の趣旨の代わりにとりあえずそれを飲み込むとふわりと広がる甘さと苦み。やはり、レシピよりもビタータイプを多めに配分したのは正解だったらしい。


「……元が苦いから薄めるのを面倒に思った奴が居るんだろう」

「ああもう、どうして君はそうロマンが無いんですかァ?」

「ったく、そんな物が欲しいならせめてまともな時間帯に訪ねて来い」

「えー、三時じゃないですカ今」

「…深夜のな」

はあとため息を吐いて苦々しく顔をしかめてみせると、何が嬉しいのか相手はにっこりと笑ってもう一匙同じ物を差し出した。しかしちらりと皿を見ると材料も時間帯もギリギリだった為に一人分しか出来なかった小さな焼き菓子は砂時計の流砂のように減っており、首を振ってそれを断る。


「お前の為に作ったんだから残りはお前が食べろ」

「おや、珍しく優しいネ」

「……こんな時間にそんな甘ったるい物を食えるお前の方がどうかしてる」

「って言われても苦いですよコレ」

甘いのを頼んだんですがね、と横目でちらりとこちらを見た上司は半分程に減った残りをぐさりと串刺しにし、一口に飲み込んでしまった。
誰に見せるでもないそれにわざわざ粉砂糖とラム酒まで掛けて仕上げた苦労を知ってか知らずか、もくもくと咀嚼するブレイクは最後に口端の欠片を舐め取り、満足そうにご馳走様と呟く。


「ま、不満はありますが合格にしといてあげますヨ」

「はあ…」

残り香のように漂う甘い匂いが届き、定員きっちりの二人掛けのソファーがきしきしと揺れた。
粗末な作りのそれは片方が少し動いただけでも悲鳴を上げる。この場合は、ぐったりと疲労に飲み込まれたこちらを引き寄せた上司の為に。


「……何だ。もうここで寝るからお前も帰れ」

「その前に…答えは出ましたカ?」

「はあ?」

「チョコレートが苦いワケ」

「……面倒に思った奴が居るんだろう」

「……だから違うと言ったでしょう」

「言って…ない…だろ」


最早身体を起こしているのも怠くなり、肘掛に半分身体を寄り掛からせて適当に返すと、白い影がつまらなそうに口を尖らせた。
余程答えさせたいらしい。

「…じゃあ、何なんだ」

夢の世界に片足を突っ込んでうつらうつらと問うと、ぼんやりと霞む影がすっと近づく。

そのまま、ふっと幻のように触れる唇の感触。


「……苦い」

「これが答えですよ」

「意味が分からないんだが…」

「少し目が覚めるでしょう?」

「ああ…」

だから何だ、と渋い顔をすると紅い隻眼がすうっと細くなり、僅かに自嘲するような表情で三日月を描いたままの口が開く。
そこから零れた言葉は、囁くように小さかった。


「チョコレートは甘さに酔って帰れなくなる人が居るから……苦さで現実を教えてくれるんですヨ」

「………、」


くす、と笑みを浮かべた唇がもう一度降りてくる。
ショコラに入れた酒の量が多かったのか、頬に触れる細い指先がほんのりと熱を帯びて暖かい。

(もうこのままで良いか……)

さらりと髪を梳く優しい手の平。
苦さが現実なら今ぐらいは幻想で構わないんじゃないかと目を閉じて過ぎ去った思いは、既に伝わっているらしかった。



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