黒猫と革紐。 | ナノ


Rain Red 《BG》


ぽつ、という音と共に薄灰色の空から降りてきたのは無数の雫。

街に出ていた二人がそれに気付く頃には、それは雫からバケツへと表現を変える所で。
何が悪かったのかと問われれば、少し間の屋根を借りようと入ったアンティークの店では、丁度彼らの内の一人と似たような面影が髪を拭いている所だったという事くらい。


「「………、」」

「……あれ…」



そんな訳で。

「おや、お三方ともお知り合いでしたか。この頃のレベイユは何だか忙しい天気で大変ですよね」


曰く、雨宿りを快く承諾してくれたアンティーク店の主人。
祖父の代から永く続いている店を切り盛りしている所為か、人当たりの良い優しい顔立ちに、少し長い歳月を感じさせる皺。しかし今、彼はそのやわらかな顔立ちに同情の影を添わせずにはいられないでいた。
───何というか、本当に大変なご様子なのだ。

誰がかというと、真ん中の彼。

「………、」


事の始めは数十分程前に降りだした大粒の雨。
時を移しそれからしばらく経った頃、傘を差さずに慌てた様子で店に来た黒髪で金のイヤーカフスの青年と、もう一人その連れらしき赤い眼の青年を店先では何ですからどうぞと奥へ招き入れた事がどうやらこの状況の原因となってしまったらしい。
二人分のタオルを渡し、温かいものでも用意しましょうと店の奥にある小さなカウンターへ彼らを通した途端、


『…ヴィン、セント………!?』

『……あ』


ほぼ同じタイミングで、二人は瞬時に固まってしまったのだ。
実はこの二人が来る前に似たような状況で一人、淡い金髪に見事なオッドアイの青年に雨宿りの屋根を貸していたのだが、どうやらこの三人は互いに見知った仲だったらしく、三人まとめて二脚あるソファーの何故か片側に鎮座するという状態になってしまった。
話を聞くかぎり、オッドアイの青年は黒髪の彼の弟であり、紅眼の青年は彼の上司ということらしい。
弟と上司に両脇を挟まれて、現在彼はかなり居心地悪そうに身体を縮ませているのだ。


「………、紅茶でもお煎れいたしましょう。雨に濡れて冷えてしまっているでしょうから」

「あ、ああ…お願いします」


声を掛けると、まるで捨てられそうに悲観的な表情で応えられた。とりあえず此処から席を外す口実ができたので、カウンターから離れ銀のケトルを火に掛ける。
数分もしない内に、後ろのカウンターから何やら険悪そうな声が聞こえてきた。



「……奇遇ですネェ、ヴィンセント様」

「そうだね…ねえ帽子屋さん、こっちじゃ狭いでしょう?あっちの椅子に座れば…?」

「そうですか?じゃあ向こうに移りましょうか鴉」

「え?あ、その……」


ガタガタという音が聞こえた。
ソファーを思い切り踏みつけてしまったようなやわらかい音と、その間にある小さなティーテーブルを足で蹴ったような音だ。無性に不安に駆られつつも、そろそろケトルの中の湯が沸騰しそうだと己を叱咤し、茶葉を出すため振り返ると、驚くべき事にソファーの状況は一変していた。

「………、」

今まで座っていた紅眼の青年が立ち上がり、ほとんど無理矢理と言ってもいい程乱雑に黒髪の彼の後ろ襟を掴んで引っ張っている。
痛いだとか首が絞まるだとか、そんな相手の事情を見事に無視した逆に清々しい行動だ。
対してオッドアイの青年も同時に立ち上がり、兄の腕をこちらも無理矢理掴んで真っ向から睨み合った。双方共に人当たりの良い笑顔を浮かべているが、何だか部屋の温度が一気に三度程下がったかもしれない。

───やっぱりストレートではなくミルクにしよう、と主人は牛乳を取るべく再び元の方向を向いた。



「おやおや、どうしました?」

「兄さんを連れていったら余計狭いと思ってね…?」

「どうぞお気遣いなく。さ、鴉。こっちに」

「そのまま座ってた方が良いよね、ギル」

「いや、その…二人共離し───」


ガシャッ、と物騒な音。

「いっ!?」

説明すると、どうやら目に見える限界点を越えた速度で突き付けられた鋏と同時に伸びた腕が交差し、腕が叩き折りそうな勢いで鋏をはたき落としたらしい。
此処にはアンティーク店と言うだけあって値の張りそうな純銀製のティーセットや繊細なアンティークランプが狭い中に窮屈そうに納まっているのだが、何にも被害が及ばなかったのが奇跡のようだ。丁度真ん中に居た青年の跳ねた髪が一束ふわりと舞い、真っ青に血の気の冷めたこめかみからつうっと汗が伝った。


「なあに兄さん、よく聞こえなかったけど……」

「何か言いましたカ?」

「………、」


何でもないです、と首を横に振るより他に無かった。
店の主人に救援コールを送りたくなったが、彼は茶を煎れるというより茶葉から育てているのではないかと思える程長く奥に籠もってしまっていてどうすることもできない。
相変わらず退路を塞がれたまま生命の危機をひしひしと感じていると、右手───ヴィンセントの方から囁くような声が聞こえてきた。


「……僕の事、嫌なの…?」


ぎゅ、と握られた腕に力が込められる。
え、と狼狽えた所で、今度は左から。


「……そっちを取るんですカ…ギルバート君……?」

後ろから掴まれた襟元に、心許なさそうな吐息が触れる。
泣き落としみたいな真似を双方からされて、どうも力ずくで外す訳にはいかなくなってしまった。実際真ん中というポジションから考えて物理的に外せる訳が無いのだが、心理的な攻撃は思ったより響いてしまうのだ。
たとえそれがあからさまな嘘であっても。

(っ、しっかりしろ……!)

今にも一層のこと降参して気絶してしまいたくなる心境を何とか奮い立たせようと僅かに首を振る。が、残念ながら相手の方が三枚程上手だった。

くい、と前触れなく後ろ襟を引かれ、反射的に振り返ってしまう。
途端、


「…んっ……?!」


肌に雨粒で僅かに湿り気を帯びた指先が触れ、ふと気が付いた時には唇が塞がれていた。
視界の隅に、驚愕でぽろりと腕を離した弟が見える。
そのまま引き寄せられ、すとんと向かいのソファーに身体が落ちた。きゅう、とからかうように背に腕が回されたのは錯覚ではないらしい。


「ほら、彼はこっちの方が良いらしいデスヨ?」

「っ……!」


ぼんっ、と頬が真っ赤に染まった兄を見て、金髪の弟は口端を引きつらせながら何かを言おうとした。しかし、丁度その時にティーテーブルから磁器の触れ合う澄んだ音が聞こえる。
振り返ると、そこには居たのは苦笑を浮かべたアンティーク店の主人。

「どうぞ。温かいミルクティーですよ」

差し出された品の良いカップに、はっと濡れたままだった服を思い出す。


「………、ありがとう」


窓から見える相変わらずの灰褐色には、僅かに白い光が差し込み始めていた。



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翼様へ。



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