黒猫と革紐。 | ナノ


一雫とその結果《BG》


お菓子は美味しいけど作るときは結構覚悟が要りますよネ。
特にチョコレートとかいつの間にかボウルから減ってるからとても不思議。

指の間に入ってしまうし。



「………それはお前が溶かす片っ端からくすねてるからだろうが」

「おや、この難解な謎にそんな答えが」

「どこが難解なんだこのバカ」


夜半、アパートの一室、キッチンにて。

はあ、とため息を吐いて纏わり付く白を払った黒の青年は、抱えた小さなボウルを持ち直しながら空いた片方の手をうんざりしたように振った。
ボウルに踊るなめらかな焦げ茶は容器から盛大に零れ、元の分量の三分の一程度が空しく残るのみ。しかし、盛大に零れたはずのそれは小綺麗なキッチンには欠片も見当たらず、辺りは磨き終えてからさほど時間が経っていないように見える。

そして、現在窓から注ぐ淡い星に目を細めつつ指を舐めているのはこの不可解な状況の犯人。


「中々取れてくれませんねえ…」

「……お前もういい加減にしないと服に付くぞ」

「構いませんヨ。気にしないで続きをどうぞ」

「あのな……」


零れた甘い中身は、全て傍らに立つこの男の中身と変わってしまっていた。
窓の外にぽっかりと浮かぶ白い月が語るに、今の時刻はだだをこねる子供もやっと眠りに就く時間帯。夜の中身とこのボウルの中身はなんとなく似ているかもしれない、とブレイクが適当に呟くと、そんな訳あるかと黒髪の青年が溢した。
同時に、薄めのシャツとそれが汚れないように付けられたエプロンがはたはたと忙しそうに揺れる。


「全く、ロマンが無いですネェ」

「夜は陽が沈むから暗いだけだろう。実質昼と変わらない。空はそのまま、雲だって浮かぶ。それがどう転べばチョコレートになるんだ」

「はあ。今夜の君は酷く現実的でつまらないですヨ、鴉」

「……別にお前に面白がられる為にやってるんじゃない」

「おや、これはこれは」


何かありましたか、と悪戯っぽくブレイクが青年の髪を一束つまみ上げると、彼はむっとした表情で明後日の方向に顔を向ける。
瞳に剣呑な色が陰り、地雷を踏んだかと考えつつもボウルに突っ込む手を止めずにいると、ギルバートは疲れたようにボウルを持つ手を止めた。窓の方へ出向いて閉まっている鍵を外し、冷たく澄んだ夜気と立ちこめる甘ったるい匂いを入れ換える。
背中を向けたままの彼から聞き取れたのは、小さなため息と呟き。



「……に…会ったんだ…」

「ハイ?」

「昼……オズとあのバカウサギと一緒に街に買い出しに出た時」

「ああ…弟君」


現在、そのバカウサギ改めアリスの同居によりギルバート宅の食糧事情は朝補充して夜に底をつくというサイクルを繰り返している。つい先日、補充し忘れて限界点を突破した彼女が部屋の風通しを存分に良くしてくれたのはまた別の話だ。
朝、もしくは最低でも昼前までに市場に出掛ける事が日課となった為に、ギルバートはこれまで以上に外に出て人々に触れる機会が増えているのだろう。
それは良い事もあるし、その逆もある。

例えば、果物売りと仲良くなって林檎から値を引いて貰ったり、その先で異なる瞳の青年にばったり出くわしたり。

「何か言われたんですか?」

くすくす、と思い切り他人事を決め込んで背中に寄り掛かる。染み付いた甘い匂いが僅かに漂い、夜の空に流れ出た。
後ろ手でシャツの端を掴んだ途中、ほったらかしのチョコレートとその脇のリキュールの小瓶が視界に入り、ブレイクの口元にまた小さく笑みが零れる。
二つの容器の位置は、偶然にも今の自分達を映す鏡だ。

背中合わせの大きなボウルと小さな小瓶。
大きさは、ボウルの方が大きい。けれど、

(……中身は、小瓶の方が強い)


「それで、弟君は?」

「いや、特に何をされたとかじゃないんだが……」

「じゃあ何デス?」


相変わらずくるくると黒髪を指に絡めて遊びながら問い掛けると、ギルバートは重く息を吐いた。
背中越しに伝わってくる、ゆっくりとした振動。
その先で、夜気に触れて僅かに冷たくなった指先が握り締められる様子が見えた。


「オズはヴィンスに会うのが………蠱の事件以来で。オレはあいつにもうあの事を思い出して欲しくないのに…」

「……へーえ」



ぐるり。
背中に体重を預けて反転した夜空を見ると、窓枠で半分切り取られた月がこちらを見下ろして、夜のレベイユが石畳の空から降りてくる。
───何となく、気に入らない。


「オズ君はオズ君で整理を付けられるでしょう」

「……オレはオズに独りで抱え込んで欲しくないんだ」

「でもその配慮、逆にオズ君を掻き回してません?」

「………、不機嫌じゃないか、お前」

「それは君でしょう」


よいしょ、と背中から身体を起こすと、固まりかけたチョコレートがボウルにこびり付いていた。
それを指で掬い、ぺろりと舐める。
かたん、とガラスが触れ合う音が響いた。


「ギルバート君」

「……何だ」

「チョコレートが出来上がっちゃってますケド」

「あ。」




途中まで固まってしまったチョコレートで何とか用意していた野苺とラズベリーを合わせたペーストをくるみ、砂糖を混ぜないココアの上を転がす。
ぶつぶつと愚痴を零しながらも作業を進めるギルバートを横目に、ブレイクは勝手に棚からカップを取出し、それに茶葉と湯を注いでくるくると掻き混ぜた。

すっかり冷えた部屋の空気に、早くも先程と同じ匂いが漂い始める。


「……手伝ってあげましょうカ?」

「いやいい。そこから動くな」


酷い、とぼやくと黙らせたいのか作り終えたチョコレートが一つ投げられた。
それを受け取ると、体温に触れて表面が僅かに溶ける。


「……ねえ、ギルバート君」

「何だ」

「こっち来て下さいヨ」

「お前が来れば良いだろうが」

「動くな、って言ったのは君でしょう?」


やーい、とからかうと、少しの間を置いて手を休める音が聞こえてきた。

「ったく…やっぱり怒ってるだろう」

「いいえ?全く」


答えながら右手を見る。
手の中の菓子はまだ溶けず、そのまま。
黒髪がこちらを向いた瞬間にそれを口の中へ放り、噛まずに溶かし始めた。ぼすん、と隣に重みが加わり、続いてポケットを漁る音が響く。
おそらく煙草を探しているのだろう。それが気に入らず、やっと見つかったらしいそれを銜えてライターを取ろうとする彼の手を掴んだ。


「…おい、ブレイク」

「私が怒っているように思うなら、それは君の方にその自覚があるからデスヨ」

「………、」

「と、いう訳で仕返しデス」



は? と不意を突かれた青年の頬に手を添えると、間を挟まずに口を塞いだ。
半ば無理矢理飲み込ませたのは、甘酸っぱいチョコレート。後を追って、微かに野苺とラズベリーの香りがする。


「……全く、いつまで経っても下手なんですから」


相当経ってから繋がりを離すと、息の整わない青年が恨みがましそうにこちらを睨んだ。
威嚇している猫のように思える仕草で口元を拭い、反論しようと口を開く。
しかし、

「っ、うるさ……あ?」

それは、残念ながら叶わなかった。
別にこちらが何かをしたというのではなく、彼自身がバランスを崩して転んだのだ。───座っていたのに。


「んっ、お前……っ」

「あはは、引っ掛かったー」

「ペーストに何か入れ…うわっ?!」


ばったーん。
頬が紅く染まり、ふらふらになった足が絡んだらしい青年が床と仲良くなる。チョコレートの状態を確認した時にこっそり注いでおいた小瓶の中身は、良い仕事をしてくれたようだ。
リキュールの小瓶を手に取ると、ブレイクは悪戯が成功した子供のようにくすくすと笑った。

「人のコト放っておくからデスヨ」

「うぇ……」

つん、と屈み込んで額をつつくと、気分が悪くなったのか青年がしがみ付いてくる。


「今謝るなら許してあげますヨ?」

「うう………」

「朝こんな状態で床に寝ていたらご主人に蹴られるかもしれないですネェ…アリス君に踏み付けられるかも」

「…や、やめてくださいー……」


坊っちゃんに怒られますー、と呟いた様子を見ると、製菓用リキュールのくせにアルコール度数は結構高かったようだ。
充分に酒が回ったらしい青年の頭に小瓶を乗せると、ブレイクは至極楽しそうに問い掛けた。




「ギルバート君、お返事は?」

「……ご…ごめん、なさい……うぇ」

「よろしい」



くしゃ、と真っ黒な髪を撫でてやると、小さな大人は泣きそうな顔のままうなだれる。
窓から覗く切り取られた夜空に目を向けると、その端で呆れたように星の欠片が尾を引く所だった。




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夢見様へ。



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