黒猫と革紐。 | ナノ


音無し五線譜《BG》


甘味も辛味も苦味も酸味も、塩味も全部知っていた筈だった。
しかしそれを意識した事などなく、あの時に何を食べていたのかすらもとうに憶えていない。

だが、今はどうだろう。
ふわりと広がる甘さも舌を刺す辛さも滲むような苦さも、思わず口をすぼめてしまうような酸っぱさと塩辛さも全部知っている。だからそれを得たくて色々なものを食べる。たまに、好きなものに偏ったりもする。
けれど何かを楽しむ余裕を持ったからといって以前のように目的が無くなった訳ではなく、むしろより強い望み、生きる理由が出来た。
そして、少しくらいそれに彩りを加えてもいいといつの間にか思えるようになっていたのだ。

噛み締めた魚からつんと酸味が走る。野菜からは甘さと苦さ、薬味は少しの辛さと塩味。
以前と違ってこれらをおいしいと感じられるようになった自分は、きっと幸せなのだろう。


「どうしたんだ、黙ったりして」


ふっと皿に落としていた視線を上げる。
向かいでその幸せを作った当人は手を止めたこちらに対し不思議そうな顔をしていた。
不味かったのかとでも問いたそうな様子を見て自分の手が長く止まっていたことに気付き、何でもないと手を軽く振る。


「おいしいなあ、と思いまして」

ただ率直に感想を述べると、くっと相手の眉が下がった。

「は?」

「……これがあの魚類の惨殺死骸から加工された物とは思えなくてネェ」

「んな事言うなら食うな!」

さっと下げられそうになる皿を先回りして掴んで手元に寄せた。まだ終わっていないのに下げられては困る。

「不味いだなんて言ってないじゃないですかァ」

「食ってる最中に気色悪い事言うからだ」

「それくらいの感動だったという事デス」

「例えがおかしいだろうが!」

「ハーイ、食事中に騒がない」

噛み付く彼を適当にあしらって最後の一口。


「うん、おいしい」


広がった五つの感覚は、ぼんやりと幸せの輪郭をたどりながら溶けていった。




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サルベージ文。


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