黒猫と革紐。 | ナノ


リンネ《VG》


「もし何か一つ望めるなら、君に、」



ぼくをころしてほしい。

急にそう宣われたから、飲みかけていた紅茶を気管に詰まらせかけた。
ぬるい気温の中のティーブレイク。小雨が降っているミルク色の霧をぼんやり眺めて、相手はこちらを見ようとしない。飼い馴らされた瀟洒な薔薇ではなく、まだ野性味のある野ばらを抱く庭の隅は二人が屋敷の中でよく腰を落ち着ける場所の一つだったが、気に入りの場所の力を借りても先の言葉の衝撃は和らがなかった。
仕方なく聞こえなかったふりをして、回答を放棄するとまた言葉が紡がれていく。


「突き落とすとか、毒殺するとか、銃で撃つとかじゃなくて。ちゃんと刃物でお腹を裂いて、一番殺してる実感のあるやり方でして欲しい」


何を言ってるんだろうこいつは。
どう答えたら良いのか分からなくなるような問い掛けは今に始まった事ではないが、ここまであからさまなのは久しぶりだ。
一番新しい記憶は三月程前に『死産した女の羊水は甘いらしい』と飲みかけの紅茶の約半分を無駄にしてくれた問い掛けだったろうか。頼むから訳の分からない黒魔術にだけは手を出してくれるなと散々言って聞かせた気がする。
ともかくそうだなとは流石に答えられなくて、とりあえず理由を聞かせろと場を繋いだ。別に繋がなくてもそういう話をするんじゃないと叱れば良かったのかもしれない。けれど、そうしなかったのは僅かでも興味があったからだろうか。
ぽつぽつと、降り始めた小雨のように意味を持つ単語が連なっていく。

「自分に近い人を殺すとね、一生遺るんだよ。目を閉じても血の色が浮かぶ。息を止めた後の絶望が残る。それだけじゃなくて、何度廻っても落ちない染みが付く。魂に」

「そうか」

「殺された側も呪縛から逃げられない。何度廻っても必ず殺した人間と関わる形で、何度でも最期の瞬間はその人間の顔で終わる。殺されなくてもね……」

「………、」

「だから、僕はギルとそうなりたいんだ」


今君が僕を殺せば、血の繋がりだって越えるくらいの負の輪廻の環に入れるんじゃないかな。
君が僕を殺して、次は僕が君を殺すかもしれない。たかだか片方を捻っただけで表裏の関係をゼロにしてしまうメビウスの輪のように、表も裏もなく、たとえ二つに裂いても絡み合う。
終わらない怨嗟はどの感情よりも深く互いを求めるんだよ。

(………、)

楽しそうに目を細めて話し続ける良く似たもう一人の自分。
しかし熱に浮かされるでもなく淡々と語るその姿は、恐怖とは別の感情を誘うのに十分だった。


「オレはそうは思わないな」

「そう……?」

「ああ」

スプーンに一匙、用意されていた木苺のジャムを掬って紅茶の海に落とした。
からからと混ぜて湯気越しに見る相手の目。ジャムと同じ宝石の色だった。


「……その度に無かった事になる出会いを繰り返すよりも、オレは今お前と居る一度だけの時間の方がずっと尊く思える」

「でも、」

「負で結ばれたところで結局は独りきりで相手を恨んで死んでいくんだ。なら今のお前とオレのように気ままに茶でも飲んで、下らない話をした方が楽しくないか?」

「………、」

黙り込んだ相手の空だった杯にも紅茶と赤いジャムを入れた。溶けた木苺の匂いと濃いめに煎れた紅茶の苦みが混ざり、すうとその香気を吸い込むと淡い甘酸っぱさに身体が満たされる。
砂糖は入れないこのスタイルは最近気に入っている異国風の飲み方だ。
飲まないのかと催促すると、ようやくだんまりを解いた弟は不機嫌に口の形を曲げた。


「……ずるくなったよね、ギルバート」

「お前の食欲が落ちる話を縮めるためなら狡くもなるさ」

「最低……」

「そう言えるならこれはもう良いだろ。しまっとけ」



───少し間を置いた後、分かったよと気が抜けたように承諾の声がした。

終わりに近づいたぬるい気温のティーブレイク。テーブルに影を落とすのは、やわらかな花模様のティーセット。
それから中央に甘酸っぱいジャムと剥き出しのジャックナイフ。

油を塗られた表面は霧を映して、相手へと鈍く光を返すばかりだった。




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同名曲より


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