黒猫と革紐。 | ナノ


カラー《BG》


「……あーあー、随分降ってきたネェ…」

「〜ったく、お前が途中で店に寄ったりしたからだろうが!」

「そんなコト無いですって。ほら、怒るとまた眉間の皺取れなくなりますヨォ?」

「いっ?!」



元々機嫌の悪かった灰色の空が泣きだしてから小一時間程。
白い髪、深紅の瞳の上司とその部下の二人は、賑やかな街並みの影にひっそりと埋まっていた住む者の居ない空き家に一時の屋根を借りていた。

本来なら勤務中であり、本部に居なければならないはずの自分らがどうしてこんな所に居るのか。
理由は全て隣に居るこの白い男が悪いのだ───と、現在進行形でぐいぐい眉間を押されている黒髪に金目の青年、ギルバート=ナイトレイは心の中で盛大に吐き捨てた。何故なら、


「……どうしてお前が仕事をサボるのにオレまで付き合わなきゃならないんだ……」

「それはレイムさんに言って下さいよ。すこーし仕事を溜めただけなのに見張り付けて山程の書類と一緒に部屋に閉じ込めるなんて酷いとは思わないかイ?」

「その山程の書類を溜め込んだ奴の言葉かそれは!」


はあ、と愛しい煙草の煙を吐くがごとくため息が口を突く。こんなに湿った場所では葉が湿気てしまって満足に煙草も吸えず、現在の不満度はパーセンテージで表すと九十七パーセントぐらいだ。

大体、見張りに寄越された人間に結構本気なボディーブローを叩き込んで気絶させた時点で不満度は八十パーセントを軽く超えている。何故ならその見張りは自分だったからだ。
『ギールバートくーん』と語尾にハートでも付きそうな甘い声に振り返るんじゃなかった、と未だ痛む身体を擦って文字通り後から悔やむ。声に振り返ってその後、音速レベルで襲い来た衝撃のボディーブローとトラウマになりそうな上司の笑う顔、肩に担ぎ上げられた感覚を最後に自分の意識はぷつんと切れ、気が付けば広場の噴水の縁に上司の膝枕状態で寝かされていた訳である。
そして今。
さっさと帰って仕事しろとまくし立てる自分をあっさり無視し、通りにある店を余すことなく片っ端から寄り道した挙げ句、大粒の雨に降られてしまったのだった。

家主が逃げたのか正当な理由で出て行ったのかは定かではないが、運良くこの空き家を見つけていなければ今頃は二人揃って濡れ鼠だっただろう。鼠、という言葉に何故か上司は強く反応するのでそのワードは口に出さなかったが。

(ったく……大体どうしてこいつの見張りに選ばれるんだ)

よくよく考えると己を知るものならこれぐらいの結果は簡単に予測できたと思う。それが旧知とも言える苦労人レイムなら尚更自分にこの役が勤まるはずが無いと分かり切っていそうだが、直接彼に頼まれた訳ではないのでもしかしたらどこかでこの上司の思惑が絡んでいるのかもしれない。
そう考えるとこの状況はいささかまずいのではないかと思われたが、思考を纏めるよりも先に小さく身体を震わせたブレイクが分かりやすく座り込んだこちらの背に自分の背を合わせながら少し朱に染まった指先に息を掛けた。

少々構造に難があるのか、キイキイと隙間から吹き込む雨風の音に重ねるように言葉が連なる。


「流石にここまで濡れると冷えますねえ」

「……離れろ。こっちまで濡れるだろうがバカ」


実際には濡れているか否かで両者の違いはほとんど無かったが、背中越しに僅かなぬくもりが伝わる状況を思って考えるより先に口が出た。危険は避けて通るに限るし、何より薄暗い建物と僅かな明かりに浮き上がる一応恋人の姿を見て変な気分にならないのかと問われれば、こちらもイエスとは答えがたいものがあるのだ。
しかし相手はそんな心境をしっかり理解しているらしく、わざわざ向きを変えて耳元に口を寄せた。



「そんな事言っても、君だって随分冷えてるみたいじゃないですカ」

「っ……」


一言一言をはっきりと発音する、ともすれば甘く吐息を掛けるような耳元への囁きに思わずぞくりと妙な感覚が背筋を走り抜ける。
追って、不意につうと首のラインをなぞるように冷たい指先が辿った。
くくっ、と吐息に混じる笑い声。


「…イケナイ気分になったかイ?」

「う、るさい」

「つれませんねえ…折角時間があるんですから有効に使いましょうヨ」

「勝手に一人で使え」

「おや、反抗期ですか口の悪い」


愛情が足りませんか、と嘯きながら首を辿っていた手が伸びてシャツのスカーフを解こうとする。

流石にこんな所で性質の悪い悪戯に付き合う訳にはいかないと振り返って相手の手首を掴み行為を阻止したものの、顔を上げて冷静になれば両腕が塞がったのはこちらの方で逆に身動きが取れなくなったことに気付いた。
接近戦でも間合いを取る事に長けた相手と、銃に頼るのみの自分の圧倒的な差が落とした影。
大した場面ではないが、それは手の平で弄ばれる玩具の無力さをはっきりと証明してどこか滑稽にも思えた。

あ、と狼狽える自分を声を出さずに笑って見据え、ブレイクは少し首を傾げてぐっと顔を近付ける。


「思春期の相談なら受けてあげますよ?」

「っ、」

逆光になる体勢でほのかな光に細いシルエットを浮かび上がらせながら、色の薄い唇がゆったりと石弓にも似た弧を描いたのが見えた。
触れる吐息のぬくもりと反射的に閉じてしまった瞼に走ったぬるりと濡れた感覚。うっすらと目を開ければ、飛び込んでくるのは満面の笑みを浮かべた純粋とは言い難い白。
汚れても尚変わらない気高さを思わせるその姿に一瞬呑まれそうになり、はっと意識を戻すが既に時は遅く。


「ん、うっ……!」


重なる体温。唇を同じもので押されたやわらかな感触。
唾液で濡れた舌はせがむように繋がった隙間をこじ開けて、蛇のようにこちらの舌を絡め取った。
体勢だけで判断すると相手の両手を封じているのはこちらであるはずなのに、相手の好い様に転がされる状況は綺麗に逆転している。

「は……っふ、ぅっ…」

続かない呼吸に瞳に厚く涙の膜が張り、咥内を掻き回すように弄ばれる内に自然と手首を戒めていた力が抜けていく。ブレイクはその隙を見計らい、手を軽く返すだけの動きで完全に主導権を奪った。

どさ、と埃が厚く積もった床に倒される軽い衝撃。

中々解放されないまま掴まった手首をぐいぐいと暴れさせたが、掴む力が強いのか視界の中で暗く色を失っていく指先に恐怖を感じて抵抗を止めるとやっと唇が離された。半分霞の掛かった視界の中でぼうっと光を灯したように見える白が何故か目に眩しい。


「ねえ、ギルバート君」

「っ、……?」

母親のように、またあやされる子供のように、表情の見えない白から息の整わないまま耳に言葉が届く。
そうしてとくんと聞こえた鼓動の合間に滑り込ませた、彼らしい単語。


「君は私がキライですか?」


好きですか、とは聞けないから。

否定に包んで届けた彼なりのメッセージ。
こんな時に限って投げ掛けられたそれはとても卑怯に思えたが、自分もその弱さを利用しなければ答えを伝えられないのかもしれない。


「……嫌なら今頃蹴飛ばしてる」

「ふふ、どうも」

ようやく落ち着いて起き上がり、呆れたこちらを分かりやすく無視して肩に顔を埋めて寄り掛かってきた上司がクスクスと微笑む。
けれど笑いで小さく上下する背中はどこか遠い気がして、その華奢な背に腕を回す事が出来ない。


「………、」

「どうかしました?」

「いや……」


黒を見上げる白。止めることが出来ずに汚れていく、かつて純白だった今も美しい色。
触れたい。触れたいけれど。───でも。

「ギルバート君?」


(………、)

何かが胸に詰まり黙り込むこちらを見て上司はしばらく何事か考えているようだったが、やがてくしゃくしゃに顔を綻ばせて笑顔を作ったかと思うとやっと起き上がったばかりの身体へえいとばかりに抱きついて思い切り床に押し倒した。
どーん、と派手に土埃が舞う。


「がっ?!」

「なーにを遠慮してるんです。気持ち悪い」

「な、……んっ!」

後頭部に手を回す形でぐいと引き寄せられ、軽く触れた唇がまた口を塞ぐ。それと同時に、今度は身体全体で感じた相手の温度。
悔しかったが、宙を掻く手は細い背中へ縋ることしか出来なかった。

───ごくごく自然に、相手を求めて。

(………、あ)


「欲求不満は解決しました?」

「…バカ」

「あー、口の悪い子にはまたお仕置きしますよ?」


ケタケタとあまり上品ではない笑いを浮かべながら抱きつく上司の顔は埃で少し汚れていて、世辞にも綺麗とは言い難い。けれど、それは何だかほっとする。
理由は分からないけれど、そう感じた瞬間に抱き締めた腕の力を少し強めることが出来た。



「……ブレイク」

「何ですカ?」

「帰ったらさっさと仕事してもらうからな」

「…帰ったら、でしょう?」

「そうだな」


先刻よりも湿っている空気からしてまだ雨は止まないらしい。
部下が上司の持ち物である謎のポシェットから小さな傘を見つけるのはそれから少し後の事だった。



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神音様へ。


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