黒猫と革紐。 | ナノ


華麗なるタイスの瞑想《BV》


───秘密、ですよ?



「っ………」

鈍い痛みに顔をしかめ、意識がゆっくりと浮上した時には既に男の姿は無く。
身体中にべっとりとこびり付いたあの男の証に酷い嫌悪と吐き気を覚え、気だるく溶けたバターのような感覚と格闘しながらゆっくりと髪に手を通せば、それは汚れた指を拒絶するようにかくんと途中で絡んだ。


『───今日の事はお兄様には秘密ですよ?』


「………、」


今日の事、ではもう済まないだろう、あの白い男との行為。
幾度と無く重ねた逢瀬は既に性質の悪い病のように慢性化していて、彼も自分も戻れないであろう事は嫌になる程自分自身がはっきりと理解していた。
まだ現実と夢の狭間のような感覚が満ちたまま部屋の隅に目線を這わせれば、散らばった人形達の中に見えたうっすらと残る健気な補修の痕。横向きの視界の中でそれを眺め、諦めるように瞬きを一つした。
此処に居ない誰かに頼るという手段は、とうの昔に消えている。


気の弱く優しい黒。同じ顔、同じ眼。

同じ血を持つもう一人の自分を汚す事が出来ないから、あの男は自分を抱く。
薄汚れた金色に指を絡めて、嘘の癖に甘い言葉を吐き出して、ままごとが好きな少女のように。
あの男は色恋の真似事をする。

手首に残る戒めの痕に手をやればぴりぴりと擦れたように痛む紅い色。小さな鬱血痕は流行り病のように白い肌に散っていて、姿見に映った自分は酷く情けない表情でこちらを見返していた。
皺になったシーツを床に投げ捨て鈍く重りを付けたような下半身の痛みを無視して立ち上がると、カーテンが掛かったままの窓から微かな話し声が耳に届く。
明るく、楽しそうな日溜まりの声。
この場所に似付かわしくないそれにぼんやりと淡い羨望を抱きながら手近にあったシャツを取り、肩に羽織ると小さな足音が聞こえた。後ろ髪を引かれるような感情を押さえて背後を見れば、飛んでくる澄んだ少女の声。


「…ヴィンセント様」

「ああ、……」


おはよう、エコー。
軋んだ音を立てて開いた扉の先には青い少女が一抱え程もある容器と布を持って静かに立っている。
こっちにおいで、と手招きすると彼女はゆっくりとこちらに歩み寄った。容器に満ちた温い湯がちゃぽんと音を立て、その中に持っていた布を浸した少女は機械的にそれを寄越す。
湿った温かい布で身体を拭うと、いくらか気分が晴れた気がした。


「もういいよ」

「…はい」

ありがとうとうわの空で呟いた後、少女が容器を下げる気配とそれに続く足音に耳を澄ましながらふわりと身体が浮くような感覚を覚えた。実際は単に後方に倒れただけで、宙を浮いた訳では無いのだけれど。
それでも、かくんと支えを失うその一瞬が耐え難く心地良かった。

全てを捨てたような、何もない空虚なその感覚。



「ん……」


とすん、と軽い音を立ててベッドへと沈む。
手を伸ばせば、そこには僅かに残る紅い痕がある。

毎夜毎夜重ねる逢瀬なのに、あの男は自分とキスをしない。
中身の無い器。生きていない花。自分の役割は、あくまで良く出来た虚像だ。
正反対に進めば進む程それは淡く大きくなり、そしてぼんやりと霞んで見えなくなるのに。それにのめり込んでいる彼は、果たしてその事実に気付いているのだろうか。

(───ま、どっちでも良いけど)


「ふわぁ……」


関係無いか、と蓋をして、それからごそごそと汚れたシーツを掻き寄せた。
身代わりと言うならそれで良い。
身代わりは、言葉通りその対象の代わりとなるものだから。
なら、自分がそれとなっている間は、

(貴方は無事、だろうから)

ぐい、と乱雑に前髪を引き上げられて幸せな空想から覚めたのは、それから三秒後。





(──起きて下サイ、ヴィンセント様)
(おはよう、帽子屋さん)


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