黒猫と革紐。 | ナノ


キレハシ


「呼んだのに」


薄汚いビニールの隙間から、非難するような声が通り抜けた。

否、それは声と呼べるようなモノではなかったかもしれない。物質世界に於いて波を起こさない、形を持たない意識の塊。不完全なそれは、しかし確実に一人の少女の思念だった。


「呼んだのに。何回も」


もう一度、少女の声が響いた。
だが、今度は先程と違い、会話が成立した。その声に応えるもう一つの声は、少女と同じように波を起こさず、ただ思念だけを低く這わせる。

「知っていたよ。……君が望んだんだからね」

苦いものでも舐めるように低い声は一言一言をゆっくりと紡いだ。


「痛かったのに。何回も刺された」

「……それも知ってるよ」


その声には身体的な枷が失われた所為か、感情だけを言葉として排出しているような子供っぽい響きがあったが、それに応えるもう一つの声は、それを受け止めるように顔を伏せた。



「チェシャ猫の嘘つき」



少女の声は顔を伏せた猫を非難し続ける。
何度も呼んだのに。望んだのに。貴方は来てくれなかった。間に合わなかった。

「嘘つき」

その言葉は、海底に沈む石のように、静かにその場に沈んでいった。


「アリス。僕らのアリス…」


かり、とビニールを引っ掻いた猫を、人形は確かな声で拒絶する。


「私はアナタたちなんかのアリスじゃない」


ただ、望み続けたのに。
来てくれると思ったのに。
───信じるんじゃなかった。

その声を最期に、薄汚いビニールの隙間は沈黙した。
かり、と灰色の猫が袋を何度も引っ掻き、一握りもない赤い切れ端をくわえる。ぐい、と引いても、それは拒むかのように出てこなかった。
猫はビニールの隙間をじっと見つめる。中を見た猫の瞳とガラス玉の造られた瞳の視線が交じった瞬間、



『 嘘 つ き 』



猫は、自分の体が崩れるざらりとした感覚を、確かに感じた。



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ヒトガタより。



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