黒猫と革紐。 | ナノ


カイエン


「君が望むなら」 

それがどれだけ勝手な言葉だとしても。
少女の為に創られた僕らには。
それが全てで絶対の言葉。




紅い血で染められた居間。
安っぽい市営住宅の畳は、未だ乾かない紅色を拒絶することなく受け入れていた。
座り込む少女の手に握られたカッターナイフは人工的な曇った光を反射し、かたかたと灰色の光を揺らす。少女の持ち得る感覚の全ては、ただ一点にのみ注がれていた。



「そんな目で…見ないで…亜莉子……」

転がった生暖かい人間のからだ。
刃物を握った血塗れの女。
展開された「証拠」は口を揃えて同じ結果を吐き出した。 

テレビドラマの刑事たちがそれっぽく言う「証拠」は、実際に一般人の目の前に並べられた時には、親切にソフト化やデフォルメをかけない。
それでも。
ぬらりと光る液体に浸った有りがちな凶器の刃先は、他の何よりも断定的な絶望だった。


「ひっ……」

「亜莉子…」


愛されたいなんて我儘は言わなかった。 
嫌いじゃないと信じさせてくれれば、それだけで良かったのに。

「お、かあ…さ……」

そんなに、無理なコトだった?
殺したいくらい、キライだった?
───親に殺される惨めな子供になんて、なりたくない。


「───オカアサン…」

殺される、くらい、なら───





「猫。どこに行くの」

首をこよなく愛する可憐な少女は、灰色の影に苛立ちを隠さなかった。
それでも立ち上がり、行動に移さなかったのは、『彼女』の痛みが鋭い刃物特有の感覚と共に、真っすぐに少女の腹部に突き刺さっていたから。『彼女』のために造られた世界は何よりも『彼女』に近く、同調する。
それは、自分も同様に。


「シロウサギではもう限界みたいだからね」


唯一とも言える例外はにんまりと口端で弧を描くと、転がった鎌の刃先を眺めて、腹部を押さえて蹲る女王を見下ろした。
コレを手放しているのは都合がいい。こんなものを持って追い掛けられたら、それこそ面倒だ。
そんなことを考えていると、小柄な少女は小さく呻いて自分を呼んだ。 

「何だい」

「ア、リスは……」

「刺したみたいだね。君を見るかぎりだけど」

飄々と答えた言葉に、女王は泣きだしそうに唇の端を噛んだ。


「わたくしは許さないわ。真実を知ったら、アリスはきっと壊れてしまう……」

「でもアリスが望んだことだよ」

「アリスは…泣くわ。知らないままの方が、ずっと幸せなのよ」

「アリスが決めたんだよ」

答えの出ない問答をするうちにも、アリスは望み続けている。


「シロウサギに殺されるとしても、知らないままの方が、幸せかい?」

「シロウサギは、本当にアリスを…?」

「オカアサンはもう居ない。ウサギはただアリスを救いたいだけだよ」 


くるりと向きを変え、にんまりと笑う猫は少女の問いに最後の答えを返した。
ちりん、と首元の鈴が音を鳴らす。


「導く者はアリスから遠いから、アリスの意思を越えられない。でも僕はこれで良いと思うよ」


───どんな理由だろうと、アリスの傍に居られるのだから拒むなんてしないよ。
灰色の猫は表情を変えないまま滑るように回廊を進んでいくと、やがてその姿を曲がり角に消し、城内の音は暗い沈黙に塗り潰されていった。

「アリス…わたくしたちの……ウサギなんて」

ぶつぶつと呟いた女王は、消えていく痛みを頭の隅で確認してから、鎌を握ってトランプ兵達の部屋へと歩きだした。




夕暮れの教室、狭苦しい机の上。
猫はにんまりと笑いながら、椅子に座り込んで眠っている少女を見つめた。静かに寝息を立てて机に突っ伏している少女を覗き込むと、夢心地のまま小さく眉をひそめられた。

「………、」


───少し、傷つく。
別に良いけどね。

遠くで、学校のチャイムが、打ち鳴らされた号砲が、狂乱の始まりを静かに告げていく。
少女が僅かに身じろぎ、薄く目が開いた。ぼんやりとしてまだ片足を夢の世界に突っ込んだままのようだ。
しばらくして段々と焦点が合い、少女が夢から抜け出した瞬間。


「うわっ!?」

「おはよう、アリス」


え? と訝しげな表情を浮かべ、久々に再会したにしては少しあんまりなリアクションの少女を灰色の猫はただ静かに見据え、



「さあアリス、シロウサギを追い掛けよう」



にんまりと、笑った。



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終わりから始まるハジマリ。



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