黒猫と革紐。 | ナノ



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「…お飲みになりますか」

「うん…そうだね…」


少女はこちらの様子に気付くはずもなく、別のポットから紅茶を注いでミルクを追加しこちらに手渡す。
別に単品でも良かったのに、と考えながら少し熱いカップを受け取るとふわりと茶葉の濃い香りが立ち上った。
茶色い表面にゆらりと沈んでいく白い螺旋状のミルクのライン。自分が好きな砂糖抜きのストレートだ。今回はたまたまミルクが入ってしまったが、縁を唇に当て口に含んだそれは純粋においしいと思った。
ほう、と息を吐いて身体を温かい液体が下る感覚に落ち着きながら放置されているトレイの中に目をやる。そこには予想した通り、いつもの通りのあまり代わり映えしない朝食が乗っていた。

くるみが入った甘めのパン、三種類程の野菜を使ったサラダ、ポタージュにジャムとクリームが添えられた白いスコーンが二つ。悪くないものの、特に美しくも無いトレイの中身。

フォークを取り、ざっと一通り食べ終わると口の端に付いたパンの欠片を口の中に放り込んでもう一度紅茶を飲んだ。つまらない批評抜きで純粋に味を楽しめるのはこれぐらいかもしれない。
実際、相変わらず苦手な野菜がたっぷりと入ったサラダに辟易してたまにはもう少し面白いものが食べたいと思う程には楽しくない食事だった。
しかしメニューを変えろと要望を伝えて高望みしても叶わないことだし、第一この少女は料理を知らないのだからそれは無駄な事だ。
彼女の仕事は作られたものを運ぶ事。だから彼女は料理の現場など見たことはないし、自分も彼女にそんな芸当が出来るなどと期待していない。
それに、何だかその調理現場は凄惨なものになるような気がした。

(…それも面白いかな)

野菜を前に派手な暗器を振るう少女の様をありありと思い浮かべ、くすりと嘲笑が漏れる。周りはきっと指を切る程度では済まされないだろう。
そんな心境を知ってか知らずか、ごちそうさまと小さく呟くと少女は静かに空になった皿を低く積み上げた。
サラダの木のボウル、白い陶器のカップと下げていき、最後に小さな小皿に手を伸ばす。

しかし、その華奢な手が小皿の縁を掴む前にふと思いついて制止を掛けた。
窓際の鳥がまるで何かに襲撃されたかのように煩くさえずる外に少し気を取られながら口を開く。


「……ちょっと、待って」

「はい」

制止の声におとなしく少女は皿の端に残ったスコーンを下げようとする手を止める。
それを見てから、ジャムを一匙とそのスコーンの小皿を残すように頼んだ。


「後で食べるから」

「…分かりました」


青い少女は僅かに頷くと積み上がった皿だけを薄い胸に抱えた。
その拍子に少しだけ青い服にソースが付いてしまったのだが、彼女はそういった事は特に気にしていないらしい。おそらくその服を受け取るときには汚れがしっかりと染み付いているだろうから洗濯係の女中はさぞ嫌な顔をするだろうが自分の知ったことではない。

来た時と同じく軋むカートを押していく少女をベッドに腰掛けたまま見送り、ドアが閉まったのを確認して内側から鍵を掛ける。起きた時よりも幾らか明るくなった部屋の唯一無事な窓際には受け取った菓子を乗せ、小鳥に餌をやるようにスプーン一杯のジャムを掛けたそれから漂う野苺の甘酸っぱい匂いを吸い込んだ。

特に用事もなく本当に時間を持て余す立場になり、ぼうっと窓の外を眺める。
外ではまだ溶けたミルクに似た朝靄の名残がふわふわと漂っていて、自分が目覚めたのは普段と比べればまだ早い時間だったことを知らされた。

(………、)

シルエットの小鳥が窓辺を踏んで、また去っていく様が何故か瞳に残る。
ただぼんやりとするだけで、何もすることが無いというのはあまり好きではない。
眠っていても良いのだが、あいにくとそれ程簡単に眠れる心境ではなかった。
何かをしていれば、せめて何も考えずに眠っていれば気が紛れるのにその事を思うと悪夢を見るたびそれらを奪われているような感覚を覚えるのは気のせいか。とろりと重くなる瞼とは裏腹に、研がれていく神経が眠りを阻害する。

いつも同じ、変わらない夢は自分を映した鏡の欠片。そんな事がぼんやりと思考に割り込んで、無意識に何も見えない窓の向こう側を眺めた。
動く物のない窓の外の世界でも静かに垂れ込めた雲だけはゆったりと流れていて、全てが滞ったままのこちらとは対称的に思える。少し上に視線をずらせば太陽のないグレーの淡い空模様。
中途半端なそれは何となく、この部屋に合っている気がした。

興味が失せた外の世界から目を外し、ぽすんと枕に背中を預ける。本でも読もうかと一瞬考えたものの、残念ながらこの部屋に本は置いていなかった。が、わざわざ取りに行くのはかなり面倒だ。蔵書の棚はここから遠い。
そんな二律背反じみた考えに悩みながら、ざっと髪をかき上げて手櫛を入れる。盛大に跳ねた毛先はくるくると好き勝手な方向に伸びていて、手入れの面倒さを思うといっそ切ってしまっても良いのかもしれない。
さく、とたっぷりとした淡い金に細い指先を入れると返ってくるなめらかな感触と温かくも冷たくも無い半端な温度。
そして、後を追ってふわりと届いた少々ベタつく砂糖菓子の匂い。


「………?」

さっくりと白い指先が三つ、後ろから金の髪の中に突っ込まれていた。


「手伝って差し上げましょうカ?」

「………、」


───どうやら、幻聴と幻覚が仲良く腕を組んでやってきたようだ。

背後霊でも憑いたらしく、まさしく背後から何だか変な気配が張り付いている。甘ったるい匂いは幻嗅とでも名付けるべきか。
振り返りたくないなあ、と珍しくため息が出た。
ところが幻聴の方はそんな態度が気に入らなかったらしく、ぐいと思い切り髪を掴んでこちらをシーツへ引き倒す。引きつる髪に釣られ、ろくに間も置かない内にばすっと思いやりの無い痛みが背中全体に走った。



「良い度胸じゃあないですか。無視とは」

「…痛いよ、帽子屋さん」

「当然」


痛くしましたから、とこちらを見下ろす紅が言う。
ザークシーズ=ブレイク。
サブリエの悲劇以降共に同じ権限を持つようになった四大公爵家の一角、レインズワース家の使用人。しかし、彼の個人的な資質はそんなちっぽけな肩書きなど根底から覆せる事実をヴィンセントは知っている。
残念ながら幻聴でも幻覚でもなかったその使用人はにっこりと笑うと、いつ取ったのか窓際に置いてあったスコーンを噛みながら目を細めた。
悪戯が好きな小さな子供を思わせる、そんな目付きだ。



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