黒猫と革紐。 | ナノ



V


ぞくり、と嫌な寒気が胸から上へとせり上がり、そのまま口へと流れ出そうになる。

壁に突き立った、一本の腕。

目の前のあまりにシュールで、ともすれば笑いだしてしまいそうな光景は、しかしその生々しさから紛れもなく本物だという事が分かって笑う事など到底出来そうになかった。マネキンでは表現出来ない肌の張りや遠くからでも分かるやわらかさといったものが時間を置くごとによりはっきりと見え、それからぼたぼたと赤黒い液体が滴り壁を汚す。


「っ」

「オズ……?!」

「へい、き…ちょっと、びっくりしただけ」


口元に当てた手を外さないまま、金髪の少年は僅かに身体を折り曲げた。何かを無理矢理飲み込むような動作の後、深く息を吐き出す。突然、何の心の準備もなくあんなモノを見てしまったのだから無理もない事か。


「オズ。オレが言った事、復唱しろ」

「…ギルの後ろから絶対に出ない……」

「延長線上でも何でも良い。だから───必ずあれとの間にオレの身体を挟め」


あれ。

そう表現した先には、不恰好な、ずだ袋に壊れたがらくたを詰め込んだような不定形な『何か』があった。それは暗闇の中でカタカタと震えるような音を立て、

「───、」

人外の声で、聞き取れない言葉を呟いた。
その瞬間ギラリと光る尖ったものが視界に入り、言葉にするより早く横へと腕を伸ばす。


「伏せろ!」

「ギル───?!」


主人の細い身体を横に突飛ばし、懐から重い銃を一気に引き抜く。パン! と乾いた音が空気を引き裂き、放たれた銃弾がこちらの首を目がけて飛んできた腕を粉々に砕いた。
完全に溶け合い言語能力まで失ったのか、何の動作もなくただ其処に立っている不恰好な『何か』。
今までの犠牲者か、その荒く縛られたずだ袋のような身体からは何本もの白い腕が突き破るように伸びている。
その中の一際青白い一本が何故か知った顔に重なった気がして、ゾワリとせり上がるような感覚が足先から上まで伝った。

(鴉も……黒うさぎも使えない。本気で銃だけが頼りか)

自分はあの蒼い少女や上司のように身体に暗器を仕込んで戦うような白兵戦をするタイプではない。正真正銘銃だけが自分の武器であり、敵に向かう方法だ。
それは弾丸が尽きれば即座に終わりを意味するし、そもそも生身の人間ではないチェインにいつも銃が効くとは限らない。あくまで自分が使うのは鴉であり、銃を向ける相手はいつでも人間である違法契約者の方だった。

ちら、と横に居る主人を見て、それから自分の左手に視線を落とす。今回は、そしてこれからは、やっと手中に収めた力を使えそうにないらしい。
残りの弾を頭で計算する。行きに入れてきたのはリボルバーに入る六発。替えが一ダース。そして今ので合計が十七発に減った。もう一つの拳銃にはその替えが一発だけ入っているが、願わくばこの銃は使いたくない。一つの銃に弾を入れ替えて使用する癖が染み付いてしまっているから、おそらくそれは最後の手段になるだろう。銃身を曲げ、内部の火薬を利用して小型の手榴弾として使うなどといった捨て身の。


「ったく………」

剣術をやり直そうか、と内心で軽くぼやいた。

ぎい、と軋むような音が響き、目の前で幾つもの腕がガチャガチャと無機質な反響音を立てる。片腕で銃身を安定させ、真っすぐにその先を標的に定めた。
先刻から、袋状の中に一つ、ちらちらと奇妙な物が見える。
無機物の中の有機物、黒の中の白。そこへ、牽制の意を込めて連続して三つの鉛を叩き込んだ。
途端、ぴたりと動きが止まる。


「 、  !」


背後で何か叫ぶような声が聞こえたが、目の前の耳障りな音の所為でよく聞き取れない。轟音が耳を塞ぎ、牽制のつもりが思わぬものを引き当てたなと皮肉に笑みを浮かべた。おそらく、あれは内部に自分の契約者を取り込んでいたのだろう。
弾数の心配はどうやら無用だったようだ。

「───煩い」

ガチン、と重い引き鉄を上げる。


「オレの主人の声が聞こえないだろうが」



駆け出して、一気に地面を踏み付けた。
外から見えるのは腕だけだったが、果たしてそれだけなのか。それともまだ肉体が残っているのか。見当も付けないまま背後に回り、残りの二発を至近距離で打ち込んだ。ペンキを塗り直すようにもう一度爆発する絶叫。

(オズは……!?)

下手をすると鼓膜を破きそうなそれに眉根をきつく寄せ、ちらりと背後を見た。大人の足と子供の足では些か差があるものの、そこには慌てた様子で自分の後ろへ駆けていこうとする主人の姿が見えてほっと息をつき、

───それと同時に、暴走しだした白い腕が狙いを定めずに八方へ放たれた。


「しまっ……」

一発だけの銃を取出し目眩ましに本体に打った後、役に立たないそれを思い切り投げ付ける。寸前で目の前に回り込んだ途端、尖った白いものが身体を叩いた。ビッ、と厚い上着が裂ける嫌な感覚がする。

「…っ!」

「ギル!?」

「身体を起こすな、馬鹿!」

先に周囲の壁に突き刺さった腕がぼろぼろと崩れだし、同時にそれが刺さっていた固い筈の煉瓦も威力に耐えきれなかったのか音を立てて形を崩す。身体ギリギリの所を引き裂く軌道のものもあり、死角になっている少年を庇うのが限界だった。肩の上から覗き込んだ標的は元々ない判断能力を混乱させ、所構わず腕を伸ばしている。
その不恰好な身体に響き渡るのは、こちらに対する怒りか味わったことのない痛みか。

(どうする………?)

思わぬ不測の事態に唇を噛むと、不意にちょいちょいと引っ張られる右の腕。


「ギル」

「オズ…?」


それ、貸して。
承諾もなく手を引かれると、其処には弾の尽きた拳銃があった。何をするのかと張り詰める意識の中で訝しむと、少年はそれをひょいと手に取って勝手に弾を込め始める。

「おい、ちょっと待て」

「平気平気。一回使っただろ?」

「そういう問題じゃ………」


ない、と言うより先に、オズはポケットから何かを取り出した。ぐしゃぐしゃにたわんだそれは、こちらに向かう前に彼が握り潰したシガーケースだ。金髪の少年はそれを掴んで大きく振りかぶると、自分とは反対の方向、暴走するチェインへと投げ付ける。
革で出来たそれは威力など欠片もないものだったが、それでもほんの僅かに乱れる動作。

少年はその僅かなタイミングに合わせると、従者の肩越しに引金を引いた。



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