黒猫と革紐。 | ナノ



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「───最近、暇ですねえ」

「……は?」



橙と紫が入り交じる、夕刻。
薄い書類を一行読み上げて、紅い眼の上司はそう続けた。
今日はいつも辺りを騒がしく駆け回る茶髪の少女も、それに巻き添えを喰って少女に踏み台にされる主人であるはずの少年も居ない。菜食メインだった昼のメニューが気に入らないだのなんだのと騒いでいた少女が今度は腹が減ったと騒ぎ立て、踏みつけの危機をいち早く察した少年が夕飯の材料を見てくると一握りの紙幣を掴み、少女を連れてまだ活気のある街の市場へと出掛けてしまったのだ。

いつも騒がしい彼らが居ない所為か、部屋に残る薄い紫煙とその白い残骸も薄暗い部屋の背景の中で心なしか寂しげに見えるのは気のせいか。


「………何かあったのか」


オレンジ色に染まる窓枠に目をやりながら残骸をトントンと叩き落とし、もう一つ取り出した煙草に火を点けながら問い掛ける。
この男が彼らの居ない時間帯をわざわざ選んでやってきたのだ。大方二人に聞かせたくない話でもあるのかと思っていたのだが、不意に返ってきたのは意味深な解答だった。

「何もないから来たんですヨ」

「は?」

色素の薄い肌に光を溜め込んだような白い髪の男はそう言うと、勝手にキッチンへと姿を消した。慌ててまだ半分も減っていない煙草を揉み消してその後を追うと、彼はガチャガチャと硬い音を立てて食器棚を漁っている。
何をやっているんだとこちらが問う寸前で、まるで背後が見えているかのように静かな声が遮った。

「最近、目立つ事件といえば何がありましたカ?」


背を向けながら、白い上司が問い掛ける。


「……蟲の逃走事件ぐらいだが、それが」

「妙だと思いません? ソレ」

「え?」

言いながら、漁る手を止めずにブレイクは続けた。
食器棚の中にはセンスのない派手な色彩の貰い物が多々しまい込んであるのだが、彼はそれらには目もくれずに一番奥にあった薄い大皿を取り出しながら言う。


「後は…黒うさぎがコチラに来てからどれくらいになります?」

「時間としてはもう随分になるが……」


そう答えると、上司はあからさまにため息をついてもう少し考えて下さいよとぼやいた。暗に馬鹿にされているのだと気が付いた時には、既に呆れ顔の彼は説明を始める所だった。


「……おかしくありません? アヴィスの意志が嫌う彼女がこちらに来たのに、どうして頭の足らないチェイン共はハーメルンの子供達よろしく彼女を追い掛けて来ないんでしょうネェ」

「あ……」


言われてみればそうだ。
アヴィスの意志があの少女を好いていないことくらい、既に意志に心酔するチェイン達には分かり切った事だろう。更にこちら側にいる少女にアヴィスの意志が接触してきた事から、彼らにその情報が伝わっている可能性は十分にある。本来なら普段から襲撃されていてもおかしくないだろう。
一応可能性として自分が居なかった時にはとも考えてみたが、それはすぐに左手の存在に気付いて止めた。皮肉な事に、あの少女に何かあれば真っ先に気付くのは自分だからだ。

力の全く入っていない指が握る煙草の先から、白い灰がぼろぼろと脆く崩れていく。

(……随分……平和、なんだな)

考えてから、平和という単語に僅かな違和感を覚えた。
一色しかないパレットの中によく洗わない筆を突っ込んでしまった時のような、不透明なマーブルに似た奇妙な感覚。

しかし、危うい爪先立ちで皿を下ろした上司は、そんな自分を見てぼそっと呟いた。


「て、言うか───別にその話はもうどうでも良いんですケド」

「はぁ?!」

「だってアヴィスの意志が何を考えていようが手を出せない現状では何も出来ないですし」


よいしょっ、と出てきたのはコペンハーゲンの繊細な装飾が施された、美しい一枚皿だ。
初任給で他に思いつく物もなく買ったものだが、ブレイクはそれに袖口から取り出した安っぽい菓子を大量に開けると不安定な流し台の隅にどんと置く。その中にがさごそと手を突っ込みながら、

「あれ、もしかしてコレが私が来た本題だと思ってました?イヤだなあ、単なる世間話ですヨ。上司と部下の円滑な関係を保つには必要でしょう? こういうの」

「内容が重すぎるだろうが! どう受け取れば円滑な関係になるんだ!?」

「あはははは」


思わぬフェイントに見事にはめられ、へなへなと身体から力が抜けた。手近な椅子に座り込むと、こんな事に貴重な煙草を無駄にしたのかと不覚にも涙が出そうになる。最近煙草の害を知った自分の主人は目の前で吸うのをよしとせず、ゆっくりと紫煙をくゆらしていられるのも彼が出掛けている間に限られているのだ。

そんな自分を余所に、白い髪の上司はもぐもぐと皿に開けた菓子に手を伸ばしていく。
合成着色料の品のない原色とたおやかな令嬢を思わせるレース編みのような花の装飾が互いに喧嘩しあう程合っていない事にはたして気付いているのだろうか。


「……それで、本題は」


あらためて問うと、モゴモゴと奇怪な音が耳に響いた。ちょうど、口いっぱいに物を放り込んでいるような───

「飲み込んでから話せ」

「……むぐ、そうでした」


口の周りにべたべたと付いた菓子の細かい食べかすに顔をしかめ、紙のナフキンを投げてやる。それを片手で受け取り、口を拭った男はちょこちょことつまむ手を止めないまま話しだした。


「お仕事ですヨ、お仕事。内容はまあ大して変わりませんが、先程言ったように、静かすぎるこの状況に少々不安を抱いている人達もいるようでしてネ」

「……それで」

「だからその尖兵も兼ねて何か妙な点があれば報告しろってコトですヨ。まあ急いては事を仕損じるとはよく言いますけどネ」


面倒だなあ、とぼやきながらブレイクは皿に残った欠片をざっと片手で持ち上げて口に放り込んだ。暗に一気にやってしまえと言っているようだが、どうも本心は違うように思えた。この男はいつもそういった境目の判断を濁らせるのが巧いが、今回もそのほとんどは一枚剥いだ所でその裏その裏とキリがないものなのだろう。
別に個人的な事を暴くつもりもないし、まず第一に自分の性格からして土台無理な事だとは思うが、それでも無性に苛々する時もある。



「じゃあ、くれぐれもオズ君には内密に」

「……ああ」


そう言って、白い上司は抱えた皿ごと視界から消え失せてしまった。
必要な部分だけ抜き取ったのであろう、後に残った一枚の書類には、写真と詳細が読みにくい小さな文字で書き込んである。

(………、くそっ)

二行と半分に目を通した所で、残りを読む気は失せてしまった。



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