黒猫と革紐。 | ナノ



T


白い磁器に浮かんだ薄緑の葉が、波紋を立てずに透明な水面を滑る。

その様子が全てを失い静かに歌を口ずさむ、愚かなオフィーリアに見えて仕方がない。





───花曇りの昼下がりに煎れたミントティーは凛と透き通る爽やかさがあったけれど、どことなく物足りなかった。
薄く飾り気の無いカップをそっと受け皿に戻すと、彼は向かいに座る青年へ小さな疑問を呟く。


「ねえ、砂糖入れたの?」

「ん? ……ああ、スプーンで一杯」

「苦い」


ばっさりと切り捨てて、整えられた短い爪先でカップの縁をぱしぱしと叩く。
向かいの椅子で緩く波打った黒髪から紐を解いていた兄は不服そうな弟の言葉にきょとんとして、それから渡されたカップの中身を一口含んだ。同じティーポットから注いだのだから自分と彼のカップの中身は同じだと分かっているのだが、案外そう言われてしまうともしかしてと確認したくなるのが人間らしい。
一口飲んで、それから彼は微妙な面持ちで首を傾げる。


「オレはそうは思わないが……」

「でも苦いよ、これ」


琥珀色の液体を指差して、言う。

好みが変わったんじゃないの。
前はくどい程砂糖を入れていたじゃない。



「………、そうか? 前も似たような味だったと思うんだが…」

「嘘。こんなに苦くなかった」


どうかしたの。そう問い掛けると彼はしばらく考え込んで、それからぼうっと周りを見回した。
久し振りに足を運んだ屋敷の庭園は薄暗く淀んでいて、けれど背の低い薔薇が咲き溢れるこの場所だけはやわらかい日差しが差し込んで暖かい。
わざわざ女中に埃の被った大仰なテーブルを引っ張りださせる程度には価値のある景色をぐるっと見渡すと、青年は細い指先をテーブルの縁に合わせるようにしてティースプーンに触れた。
至って普通な様子で口を開く。


「………最近甘い物ばかり作るから、かもな。だからその分引算して茶に砂糖を入れてないかもしれない」

「…へえ……」



そうなんだ、とは言わなかった。
代わりに吐き出したのは、口の中で弄んでいたミントの茎。

「……苦い」

「お前それ噛んでたからじゃないのか?」

「………馬鹿だね、兄さん」

「へ?」

相変わらず鈍い反応にやれやれとため息をつきながら首を振ると、もう戻ると言って席を立った。
驚いた様子で追うように席を立った黒髪の青年を手で制して、下を指差す。



「ティーセット、ちゃんと片付けないと駄目だよ。ギル」



口端を皮肉げに歪めるような事をしなかったのは、余裕の無さだと後で気が付いた。




「何なんだ急に………」

ぶつぶつと呟きながら、半分も空いていないカップの中身を一気に飲み干す。あちらから誘ってきたくせに、弟はミントティーを批評するだけしてさっさと部屋に戻って行ってしまった。
淡い金髪が去った後に残るのは、白磁器が三つと無駄に大きなテーブルセット。改めて見回し、これも片付けないといけないのかと頭を押さえた。
テーブルの端を掴んで軽く持ち上げ、重さを確認する。
その重さに顔をしかめ、誰かに手伝ってもらおうかとため息をついたが、止めた。基本的に、自分は屋敷の者に仕事を頼むのが嫌いなのだ。
それは養子という引け目もあるしそうでない別の理由もある。


「……そんなに苦いか?」


ぽつり。
誰に呟くでもなく零れた言葉には、思わぬ返答が返ってきた。


「ギルバート様」

「うわっ」


声に驚いて振り向くと、そこには銀に僅かばかりの青を混ぜたような髪色の少女が一人、無機質な瞳をぼうっと前へ向けて立っていた。

「どうしたんだ、エコー」

問い掛けると彼女は焦点の読めない瞳で辺りを見回しながら袖に隠された両手を伸ばす。
このくらいの、との意だろうか、その腕は一抱えもない小さな正方形を描いた。


「紙袋、ありませんか。エコーは今、袋を探しています」

「紙袋?」

「はい」


これくらいです、と言って、やはり大きさの表現だったらしい両腕がくるりと上下に入れ替わる。

「ありますか?」

「ちょっと待ってくれるか……」

袋、と言われてはいどうぞと出せるわけもなく、今まさに片付けようとしたテーブルを一通り見回す。テーブルの上の物は半分片付けられていたので、下に降ろしたカップをもう一度テーブルの上に移動させた。


「お手伝いします」

「いや、大丈夫だ」


テーブルセットの片隅を探って、やがて場所を取るので下の椅子に置いておいた茶葉の袋に指先があたる。
缶でなく庭園にあったハーブを適当に入れていただけのそれは、丁度少女が指し示した大きさと大体合うのでこれなら平気だろう。
中身をざっと他の容器に空けてしまうと、紙袋を傍らに待つ少女に手渡した。

「……匂いがまだきついんだがこれで良いか? 駄目だったら誰かに頼んで買い物の袋でも」

「いえ、これで充分です」

「そうか。ならそれを持っていって」

「いいえ」

「へ?」


きっぱりと否定されて、思わず声が上がる。
変えない表情で否定した少女は袋をこちらに返すと、珍しく人の目に目線を合わせて話し掛けてきた。
虚無を映したような碧と動揺する金が交差する。


「これは必要ですが、エコーにではありません」

「何に使うんだ」

「ギルバート様が持っていて下さい」

「オレがか?」

「はい」


こくりと頷く。
訳が分からないままに紙袋を掴んで立ち尽くしていると、頭を下げて去っていく少女の片袖にちらちらと覗くものがあった。包装用のテープが少しはみ出している辺り、誰かに頼まれて買い物にでも行っていたのだろう。


「…持ってるじゃないか……」



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