黒猫と革紐。 | ナノ



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彼らを信じて私を突き出しますか? と言いつつ箒を地面に下ろし、魔女はそれをぽんと足で跳ね上げた。しかし、箒が地面に触れる寸前でぴたりと止まったと同時に路地の奥から叫び声のようなものが聞こえ、それからほとんど間を置かずに鎧で身を固めた騎士が剣を抜きながらこちらに駆け寄って来るのが見えた。
指で居場所を示し大きな怒号が飛ぶ様子に、魔女は肩を貸してこちらを支えたまま余裕を示してくつくつと笑う。

すう、と深く息を吸い込む音が聞こえたかと思うと、魔女の凛とした声が鼠色の夜空に大きく響き渡った。



「私の名は言葉の伝令、三番目の魔女。あなた方の神を汚し、教会を覆しに来ました」



高々と言い放ち、ザークシーズと名乗った魔女は駆け寄ってくる騎士の目の前で小さな刃物を取り出した。セピア色にくすんだ、金の小刀。手の平程の刃渡りしかないそれをくるりと回したかと思うと、ばっとそれをこちらの首に押し付ける。

(……?!)

皮膚から伝わる、ひやりとした冷気。
あまりに突然の行動に思わず気が動転しかけたが、しかしうっすらと笑うその目を見ると本気でない事が伺えた。古びてギザギザに刃零れした刃先は肌に触れない寸前の所で止まり、それを持つ手にも全くと言って良い程力が入っていない事が分かる。

それでも騎士側からは状況が把握出来ていないのか、突き付けた刃先を軽く横に引くと始めに来た騎士が呼び出したらしく次々とやってくる騎士達の動きがぴたりと止まった。その中に居た特に大柄な一人がこちらを見て、憎々しげに怒鳴る。


「………貴様、人質を取るか!!」

「さあ、どうでしょう?」


にっこりと何度か見た笑みを浮かべると、魔女は気付かれないようにちらりと横目でこちらを見る。
日が沈み切り、薄墨を垂らした紙のように暗くなった路地。まだ夕日が残るのかと錯覚させる程の鮮やかな紅と視線が合い、その瞬間はっと理解した。

(………そういう事、か)

共に来るか、戻るか。
例えば今ここで戻って教会に正面から疑問を問い掛けようとした所で、自分のように幼い頃から教会に拾われて育った人間は処世に疎い為に言葉一つで簡単にあしらわれてしまうだろう。それどころか下手をすれば魔女の術に掛かった等と言われて答えを手にする前に地下牢行きになる事も有り得る。

しかし、あくまで魔女が力ずくで騎士をねじ伏せたとあれば、自分さえ黙って沈黙を突き通せば身の安全は保証されるのだ。大勢の騎士達が魔女の力を目撃している以上、純粋に職務上の事件と判断され、処分を受けたとしても恐らくギリギリまで軽いもので済む。
魔女についてまで裏切られる可能性しかない真実を探すのか、何も知らなかったと嘘を吐いて平和で安寧な日常に戻るのか。

どちらを選択しても状況が変わらないように。双方を同じ条件に慣らした上で答えを求められている事に、緊迫した状況でありながらふっと力の抜けた笑みが浮かんだ。
本当に、この魔女は人の事を翻弄するのが好きらしい。

(それを分かって選ぶオレは、きっと相当な物好きになるんだろうな)

ゆっくりと息を吸い込むと、相手だけに聞こえるように小さく呟いた。



「まだ……お前の事を信じた訳じゃないからな」

「ふふ、嬉しいですネ」


敵であった魔女に、騎士は居場所を裏切る事を選択する。

同じように小さな声がそっと答えを返した途端、バン!と石畳に浮いていた箒が両者の間に割って入るように勢い良く起き上がった。
そこから白く染め上げるような閃光が起こり、魔女はしっかりとこちらの腕を掴んだまま一気に地面を蹴る。


「手を離したら置いていきますヨ?」

「分かってる!」



片手で箒を掴んだ途端、それは黒い夜空へぐんと急上昇した。器用に柄に腰掛け、二人分の重みを乗せた箒が高い教会の十字架を掠めていく。


「───魔女が逃げたぞ!」


鎧で星屑のように光を返す騎士達が人形のように小さく見え、一際大きな風が下から吹き上げた途端それは見えなくなった。
ひゅうひゅうと風を切る音を上げながら速度を上げた箒の上で、ぽつりと小さく魔女が呟く。


「……あーあ、重量オーバーで壊したらまた怒られるナァ……」

「なぁッ!?」

「この前面倒くさがって荷物括り付けて飛んだら折れちゃいまして。今度折ったらどうも取り上げられそうなんですよネ」

「……おい」


そういえば先程からぴしぴしと嫌な音がしていたのだが、それはどうやら箒の痛切な悲鳴だったらしい。
さあっと青ざめながら無意識に魔女の袖を掴みながらゆっくりと眼下の街を見下ろすと、低空で飛行している所為か建物の黒い輪郭がはっきりと見てとれた。
今はぼんやりと闇に包まれ、街灯が奇妙に浮いた人工的な光を灯している。


「……教会は…何の為に嘘を吐いているんだろうな……」



今までずっと信じてきた、教会を屋根に据える箱庭。
その輪郭を視界の隅に見送りながら、誰にでもなく自問のような言葉が口をついて出た。答える者のいない中で、横向きに腰掛けたままの魔女だけが答えにならない返答を返す。


「ま、それをこれから調べに行くんでしょう。君が言う子供達の行方も気になりますし」

「街に放火した犯人も捕まえないとな」

「あー……」

「?」


声に首を傾げ、唐突に遠い目をして夜空を見上げた魔女に疑問符を浮かべると、彼は初めて見る曖昧な表情で空を見つめていた。しばらくして、あははと妙に軽い笑い声が聞こえる。


「……そういえば三日前に箒の暴発が起きた気がしますネェ」

「何だと!?」

「一応アレはあなた方が来る前に消しましたし……まあ大丈夫ですヨ、多分」

「ま…っ?!」



まさかこの箒が、と言い掛けた、まさにその瞬間。

図ったようなタイミングで、ガクン!!と箒の先端が地面に向けて方向を変えた。

「ぐぶっ?!」

「あ、舌噛んだ」

どういう理屈で飛んでいるのか知らないが、いくら魔女の箒でも進行方向が真下になれば襲い来る重力と空気抵抗からは逃れられない。
まっ逆さまに急降下する箒から、のほほんと浮かぶ彗星の巨大な尾が見えた。


「〜っ!!」

「あはは、星空に涙なんてロマンチックで素敵じゃないですか」


ビュン!と今までの鬱憤を晴らすように明確な意志を持って落ちていく箒。
その柄にしっかりと捕まりながら、教会の秘密でも魔女の秘密でも何でも良いから、とにかく着いたら一発殴ってやる───と心に誓いつつ、不幸な騎士はヒリヒリと痛む舌に涙ぐんだ。





───相変わらずくたびれた三角帽子と、くすんだ二丁の拳銃。
一人の裏切り者と反逆の魔女が開戦の狼煙を上げるのは、それから少し後の事になる。



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壱万打企画。



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