黒猫と革紐。 | ナノ



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する、と首から金属が擦れる感触が伝わり、止める間もなく通り過ぎていく。


「っ?!」

「………私達から言えばあなた方騎士の方が異端ですヨ?」


ふわふわと漂い、魔女の手に納まったのは首から掛けていた騎士団の紋章。人気の無い路地で、それだけが別の場所にあったように明るい金色の光を返す。
教会のシスターから外に出るときは絶対に身から離すなと何度も告げられ、騎士の身分の証も兼ねているそれが手元から離れた事に急に焦りが込み上げた。あれを悪用なんてされたら冗談事で済まされる話ではない。


「おいっ、それを返せ!触るな!」

「えー、どうしましょうか。コレ返して怖い騎士様に捕まるのはヤですしー」

「お前…っ!」

「きゃー、騎士様が怒ったー」


あはは、とおどけてくるくると指に通した紋章を回し、彼は勢い余って吹っ飛びかけたそれをぱしっと弾いて路地へ叩き付けた。カシャン、と乾いた音を立てて紋章が二つに割れる。

「えーい」

「あ……!」

壊れたそれを爪先で蹴飛ばし、あまりの事に唖然としていたこちらに向かって魔女は言った。


「あんな教会側の監視術具なんていつまでも持ってられたらこれから話すコトが筒抜けで困るんですよねー。……まあ、もう魔力が消えて使い物になりませんけど」

「魔力……だと?」



さらりと言われたその言葉に、思わず聞き返した。

魔力は、魔女だけが使う邪悪な力。
魔女と違って神の恩恵を受ける騎士は、聖なる力を持って魔女を断罪する───自分は、小さな頃からそう教えられていた。
神は慈悲を持って魔女を裁き、その魂を浄化する。哀れな魔女から街の人間を守り、炎で浄化することにより来世で彼らを救うのが騎士の役目なのだと。
それと正反対の力が騎士の証である紋章に込められているなど、あり得る筈がない。

そう否定を口にしようとした途端、紋章が転がっていた路地の先から奇妙な音が聞こえた。
しゅう、と。金属で出来ているはずのそれが溶けていくような、蛇のように細く長い音。


「………、」


目を見開き沈黙するこちらに、音のする方へ視線を向けていた魔女がゆっくりと振り返る。

「やっぱり知らなかったんですか」

「今、の……音は」

「拒絶反応ですヨ。私があれに対して使った力は魔女としてのものだった。だから手の内がバレない内にと遠隔であちら側が証拠を消し去ったんでしょう」

「証拠……」


証拠。魔力を、魔女にしか使えない邪悪な力を使ったという、紛れもない証。
たったそれだけの事だというのに、今まで信じてきたものを根底から覆すのには十分だった。魔力を教会が使えるのなら、その力の善悪は。
そして彼らが断罪しようと躍起になる、『魔女』という存在は───

(………、)

切れ切れの疑問が一気に頭を埋め尽くし、ただぼうっと石畳の地面に頼りない夕日が落ちていく様を見つめる事しか出来なかった。

日が落ちていく。
世界が夕闇に染まる。

そしてその闇は、どこに繋がっているのだろう。
目の前の魔女か、自分を育てた居場所か。



「………私達はネ、昔は本当にひっそりと暮らしていただけなんですよ」

「………、」


混乱する頭の片隅に、ふっと透明な声が響いた。
まるでくすんだ写真に映った昔を懐かしむような、そんな声。


「私達は、人よりほんの少し自然の力を借りる事が上手かっただけだったんデス。古い言葉の中に住む小さな力に気付いて、それを紡ぎ合わせてあなた方が言う魔力を創り出した……それを、転んだ傷を治すとか、少し料理を美味しくするとか、そんな小さな事に使っていた」


それは今でも似たようなモノなんですケド、と呟き、魔女はどこからか飴玉を取り出して口に含んだ。

「食べます?」

「……遠慮する」

「そうですか。美味しいのに」

そう言って、苺に似た甘い匂いを漂わせながら魔女は中断していた続きを話しだした。


「続けますが……いつのまにか人々は私達の事を恐れ、怖がるようになりました。自分達の使えない力を使うイレギュラー───異端だとネ」

「異端………」


魔女が言った言葉を、口の中でもう一度繰り返す。
それは何度も口にしているはずの言葉なのに、どこかよそよそしく感じられた。別に責められている訳ではないのに、何かが刺さっていくような感覚がべっとりと胸にこびり付いて取れない。


「人々は私達を遠ざけ、いつしか私達は『魔女』と呼ばれるようになりました。不思議な事ですが、そう呼ばれるようになってから教会を始めとした街全体が私達を拒絶するまで、そう時間は掛からなかったんですヨ」


重い事実の筈なのに、そう言い切った魔女の口調は沈んではいなかった。まるで幸せに終わるありふれた昔話を語るように言葉に感情を込めず、あくまでも空想だとでも言うように口を閉じる。
今の話が本当に事実なのか、判断がつかなかった。

『魔女』の言葉全てが嘘なのか───それとも、本当に自分達は無実の人々を遠ざけ憎んでいたのか。
黙り込んでいると、いきなり視界が橙色に染まった。


「うわっ!?」

「よいしょっと。見かけの割に軽いですね君は」


ぐい、と腕を引かれ勢いがついたまま立ち上がった為、沈み掛けた夕日が一直線に目に入ってきていた。まだ少しふらつく足を地面に付けると、不思議と痺れたような感覚が薄らいでいるのが分かる。


「立てますか?ったく、あの溝鼠……眠らせる予定だったのに」

「………、」


素直に手を取ると、ぶつぶつと険悪そうに文句を呟く魔女の白い髪が夕日色に染まっていた。
しかし、相変わらず人の気配がしない路地に教会の時刻を知らせる鐘の音が聞こえたと同時、突然辺りがざわざわと騒がしくなった。ガシャガシャという金属の靴底が地面に当たる耳障りな音に、騎士の中でも特務部隊が纏うような重い鎧の音が木霊する。


「……人が来ましたね」

「オレは救援の信号は……」

「出していなくてもあの紋章を持っている限り、位置くらい分かるんでしょう」

路地に繋がる通りからバタバタと慌ただしい音が聞こえ、何人もの気配がこちらに向かってくる。


「やれやれ、本当は教会が何の為に断罪なんてコトを始めたのか聞き出したかったんですけど、どうやら彼らはあまり自分の部下を信用していないらしいですね。君からも特に面白い情報は取れませんでしたし」

「……だったらもう用は無いんじゃないのか」


もしかして君が下っぱなダケかも知れませんケドー、とあからさまに聞こえた当て付けに内心苛つきながらも踏み止まってそう問い掛けると、彼は肩を貸しながら箒を取り出した。


「勝手に結論を出さないで下さい。言ったでしょう、予定が変わったと。手伝ってあげますから君も私を手伝って下さいヨ」

「は?」

「秘密を知り掛けた君を、教会が元の通り温かく迎えてくれるでしょうか?教会に捕まりにいくか……こちらから捕まえるか。さて、どちらが良いでしょう」


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