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ここ最近、少年オズ=ベザリウスの朝はいつも同じように始まる。
甲高い声とそれを塗り潰さんとするアラーム音。
どちらも発生源は小さな携帯端末からだ。
「……ちゃ…ん…坊っちゃん…! 起きて……!」
ピリピリと鳴り響くアラームにかき消されないように必死で声を張り上げているのがおかしくて、起きないふりを続けていると痺れを切らしたらしくピロンとアラーム音が切れる。
はあー、と盛大なため息の後、ピピッと電子音がした。
立体映像が起動する音が聞こえ、同時に耳元で放たれた大音声。
「……起きてくださいっ!! オズ坊っちゃんっ!!」
その声にようやく目が覚めた───ふりをして、オズは自分のネットナビ、ギルバートにおはようと挨拶をした。
「もう! 何回起こしたと思ってるんですか! 毎日毎日こんなに寝坊してるのがばれたらミセス・ケイトに怒られちゃいますよ!」
「大丈夫大丈夫、べつに学校に遅刻してる訳じゃないんだし。お前だって早めに起こしてくれてるだろ?」
ローラースケートで学校へ向かう道すがら、オズの肩にちょこんと腰掛けた立体ホログラムは泣きそうな声で何度も同じことを繰り返していた。
ホログラムは黒いくせっ毛に大きな金色の瞳を持った少年型ナビを映し出していて、オズが手に握るPET───携帯型個人用端末、パーソナル・ターミナルにはいつ録画したのか学校の女性教師が目を吊り上げて怒っている映像がエンドレスで映し出されている。
どうやらこれはギルバートの精一杯の嫌がらせらしく、こんこんと責めるミセス・ケイトの口上は既に十五リピート目に入っていた。
「わかったから、もうこれは止めろよ……というかいつ録画したんだよこんなカメラ目線の」
「えっと……前に坊っちゃんがハッキングして試験データをめちゃくちゃにした時、回線上で怒られたのを抜粋したんです」
少し申し訳なさげにギルバートが言い、オズの脳裏で映像の前後の様子が再現される。
「ああー……あの時の」
「止めますけど、次はぜーったいに寝坊しないで下さいね! 約束ですよ?」
「だからさ、絶対なんてそう何度も約束できないって! オレの『絶対』はもう使ったから当分なし!」
「そんなのいつ使ったんですか! ……もうっ」
うなだれるホログラムをつんと指でつついてからかうと触れられていないと知りながらもギルバートが横を向いてぷりぷりと怒った。
(やっぱり、憶えてないか……)
───オズが『絶対』を約束したのは一ヶ月半程前のことだ。
いつものように電脳世界をナビに歩かせて退屈を紛らわせていた時、当時のオズのナビはウイルスに襲われてウラインターネット内のバグの海に落ちてしまった。
個人で性能を上げたり人間に近いAIを搭載したカスタマイズナビと違い量産型の無個性ナビであったし、何よりチップデータを転送できない領域に居たためオズはナビを諦めようとしたのだが、その瞬間飛び出してきた真っ黒なナビがウイルスを一蹴したのを見たのだ。
『……っ!』
高い背に黒い髪をしたそのナビは首から下を全て隠すようなボロボロのコートを着て、真っ青な炎を吐き出すカラスのような電脳獣を従えていた。
黒いナビは青い電子の炎に焼かれて消滅していくウイルスに銃弾をたたき込むとオペレーターであるオズに向かって通信してきた。
『お前……一般人のくせに、どうしてこんなところまでアクセスしてるんだ……?』
『どうして、って……まあ、暇つぶし? それより助かったよ。えーと…オフィシャルのナビには見えないけど誰?』
『オレのことはどうでもいい……早くプラグアウトしろ』
『……なあ、顔色悪くない? そういうボディカラーなら謝るけど』
『………、』
急に無言になった黒いナビにオズは怒らせたかと少し焦ったのだが、特に何らアクションをとるでもなく黒いナビは息を吐いた。
『呑気な……奴、だな』
『悪かったな。ちょっと気になっただけだよ』
自分のナビをプラグアウトさせて回収し、回線をつなげたままふてくされてオズが言うと黒いナビは小さく笑っていた。
『そんなにおかしいかよ』
『悪いな……でも、お前のような奴には……久しぶりに会った、から』
つぶやくように言うと、ふらりと身体が揺れる。その拍子にコートの下に隠れていた断片的なデータに還っていく左腕が見えて、オズは息を飲んだ。
『……お前、怪我してるのか!?』
『怪我……? ああ、そうだな。この身体はもうすぐ……使えなくなる。もうほとんど、次世代機にプログラムの移行が終了、したから』
『次世代機? ……よく分かんないけどまずいだろ!? 早く科学省にでも行って修復してもらってこいよ!』
オズが慌てて科学省のアドレスを示そうとするが、黒いナビがはっきりとそれはできないと言った。
『オレがデリートされないと……次世代機が起動しない。今はマスターに頼んで、最期に電脳世界を回っているだけだ。お前のナビを助けられたのは……幸運、だったが』
『なんだよ……それ』
劣化していく声で静かに告げた黒いナビはお前には関係ないことだと続けて、もと来た方向へ歩いていく。肩越しに手が振られ、それが解除の命令だったのか不満げな目をしたカラス型の電脳獣が鳴きながらゆっくりと消えていった。
そこでオズのPETからピロンと音が鳴り、画面上に新しくウィンドウが開かれる。
『何だよこんな時に……、っ?』
それはオズが自分のナビに仕込んでいたハッキング用のスパイプログラムの収集結果を表示したもので、偶然にもスパイプログラムは近くにいた黒いナビの断片化したデータから情報を収集していた。
表示されたほとんどが不明な情報の中、一つだけ読み込めたものがチカチカと点滅する。
『特務用自立型ナビプロトタイプ……「ギルバート」?』
それが、黒いナビの名前らしい。
視線を画面からネットワークの方へ移すとギルバートはふらふらとおぼつかない足取りでバグの海の方へ向かっていた。
その足を止めたくて、今にもそこへ飛び込みそうな後ろ姿に向かってオズは叫ぶ。
『待てよ、「ギルバート」ッ!!』
『……?』
教えていないのに名前を呼ばれたのが不思議らしく、ギルバートが振り返る。そこに間髪入れずオズが話し掛けた。
『お前、自立型ナビなんだろ? オペレーターが居なくても動けるのに、なんでおとなしくデリートされるんだよ!?』
『それが、上からの命令だからだ』
『でも、本当に消えたいってお前自身は思ってるのか? ……消えたいならなんで最期に電脳世界を見て回るなんて未練いっぱいなコトしてるんだよ。それに、自立型ナビにそんなことを許したマスターってのも、本当はこのまま逃げてほしいから許したんじゃないのか!?』
『………、マスターが……?』
ギルバートがぴくりと反応してオズの方を見る。データの崩壊はコートの端にも及びはじめており、その姿はまるで電子の炎を背にしているように見えた。
『オレなら逃げるかもしれないナビにそんなこと許さない。それをお前のマスターが許したってことは、お前をデリートしたくないからだよ!』
『まさか……』
『だったら今すぐ回線つないで、直接聞いてみろよ!』
『………、』
少し渋ってからギルバートが右手を耳に当て、回線を繋ごうとする。しかし、しばらく経ってもそれは繋がらないようだった。
『マスター……?』
『……どうしたんだよ』
『っ……? パスと、権限が……? いや、アドレス自体が……!?』
その声は、自分が迷子になったことに気付いて泣き出す子供のようだった。
(まさか、本当に…?)
今までのことは全てオズの推測でしかない。消えてしまいそうなギルバートを止めたくて、断片的な情報から半ば無理やり理屈をつけて納得させようとしただけだ。
けれど、実際にギルバートのマスターは回線の一切を断ち、鍵やアクセス権限の類まで変えてギルバートからのアクセスを拒否しているようだった。まるで、ギルバートが帰ってくるのを拒んでいるかのように。
『そんな……マスター、どうして……』
ギルバートががくりと地面に膝をつく。その衝撃で散ったデータの断片がキラキラと消えていく。もう左腕の部分は消えてしまっており、肩に達した崩壊はそのまま胴へと広がっていた。
手足の部分は修復できたとしても、根幹の部分の損傷はどうにもならない。自立型のような複雑なタイプのナビなら尚更そうだ。ギルバートの構造がどうなっているかは分からないが、このままだと遅かれ早かれ手が付けられなくなってしまうだろう。そう思い、オズはためらいながらもギルバートに声をかけた。
『……ここにいつまでも居たって、何も分からないだろ。だから…もし良かったら』
オレの所に、と言いかけた、その時だった。
ギルバートがハッと顔を上げ、消えた左腕の辺りをかばいながら跳躍する。一瞬前まで居た位置に銃弾が突き刺さり、地面をえぐった。
『っ!? 大丈夫か!?』
『……ヴィンス』
『え?』
単語の意味が分からずに聞き返すが、返事の代わりに返ってきたのは先程と同じ電子の銃弾。
『駄目だよギル、避けるなんて……』
抑揚のない声の方へモニタのサイトを移動させると、そこにはギルバートと良く似た顔立ちのナビが立っていた。
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