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「バカウサギが居ないのは丁度良かったな。あいつならそんな事どうでも良いとか言い出しそうだし」
「あはは、今頃はシャロンちゃんとケーキでも食べてるんじゃない?」
「まあ、何にせよ話の腰を折られないのは良い事だ」
二杯目の紅茶を注ぎながら小さく笑った従者はこちらに入れ終わった杯を渡し、自分の杯にポットの残りを注いで引き寄せた。
「前は、どこまで話したんだったかな」
テーブル越しに向かい合ったギルバートはそう言うと確認するようにこちらの目を見た。記憶をたぐり、自分が堕とされた後、再びブレイクと出会って道を示された辺りだと答えると、思い出したようにそうだなと頷く。
「オレがあいつを他の人間と違うんだと思い始めたのは、その頃だな」
「……結構早かったんだ」
「ああ、でもあの時はお前とまた逢いたい一心であいつの言う事を受け入れたから、どちらかというと不気味な印象の方が強かったよ」
「え、そうなの?」
聞き返すと従者は真面目な顔をして、
「何を考えているのか分からなかったからな……目的に執着している事以外は、何も」
「なんか、分かる気がするな」
「でも、信じなくて良いと言ってくれたのはブレイクだけだったんだ」
他の人間は皆根拠の無い希望的観測だけを示して、それを信じろと言うばかりだったから。そうギルバートは澪して、優しい色合いの紅茶をくるくるとスプーンで混ぜ合わせる。
自分もまた何かを失った後の周囲の気休めにもならない励ましを知っていた所為か、オズはその気持ちが分かる気がした。
本当に信じられる確かな物が無い時は悪戯に不安定な物を探すよりも始めから自分一人で立つと決めてしまった方が楽だ。少し無謀に見えても、その選択は余計な柵を断った分自分の立つ場所をはっきりと照らし、決定した意思の強さはこれからの目的の為に進む手助けになる。
絶望しか見えなかったギルバートにとって、彼の言葉と示された道は代えがたい力になったのだろう。
スプーンを回す手を止めて、中身を一口飲んだギルバートは先を続けた。
「その時にあいつを意識し始めて……だが、しばらくは憧れみたいなものを感じていたぐらいだったな。恋愛感情だなんて考えたこともなかった。二人共男だしな」
「もしかして、恋人同士になったのって意外と最近の事?」
「十年間で考えたらそうだろうな。ここ二、三年の事だ」
もっと昔から恋仲であったと考えていただけにギルバートの返答に対してオズは意外といった表情を浮かべ、それを見たギルバートはふっと肩の力を抜いて苦笑した。
「オレ達は、お前が考える程深くないんだ。……深くなれない、と言った方が正しいんだろうが」
「……そう、なんだ」
従者の顔には全てを受け入れた上での落ち着きがあり、否定的な自分の言葉にあまりダメージは感じていないようだった。
そうして、ぐっと紅茶を飲み干した従者はここではないどこかを見ながら言う。
「それで……この二年少しの間に、数え切れない程別れようと言われたよ」
「は?!」
突然の矛盾したカミングアウトにガチャンとオズの手元のカップが悲鳴を上げた。幸い中身は既に空であり、オズの行動に逆に驚いていたギルバートがほうっと息を吐く。
それでも飛び散った飛沫を布巾で拭いながらギルバートはため息混じりに口を開いた。
「普通に考えたら当たり前だろう? 男と女でさえ長く続くのは稀なんだ。それに立場の差だってある」
「んー、確かにそうだけど…」
「真相は違うと言っても、周囲からすればオレは大貴族に取り入った平民でしかない。そして相手は問題行動の多い使用人で、しかも男だ」
確かに、改めて考えてみれば二人の関係は立場やそれに伴う外聞に縛られた窮屈なものだった。
片や貴族の次期当主、片や従順とは言い難い他家の使用人。普通なら接点すらない二人だ。きっと言わなかっただけで、ギルバートにも口煩く家の者に変わってしまった立場について説教でもされたのだろう。
指摘すると図星だったのかかなり嫌そうな顔でギルバートはそうだと認めた。
「首狩りの件もあって、家督の継承権が回ってきたオレはどんな些細な事でも慎重になるべきだと酸っぱく言われたな」
「どこの家にもミセス・ケイトは居るんだなあ……」
「あの時相手が居る事までばれていたら間違いなく縁を切られただろうな……エリオットに」
「え、言ったのはエリオット?」
「ああ、ヴァネッサより厳しい時があるぞ」
答えながらギルバートが肩を竦める。安易に想像できるその光景が微笑ましく感じられて、オズは自然と口許が緩むのを感じた。
つられてギルバートも小さく笑い、続ける。
「エリオットだけじゃない。二人で会う時、ブレイクはいつも言っていたよ。立場、不安定な自分、これから先。『君を幸せに出来る要素は自分には何一つない』、ってな」
「……だから、別れようって言われたのか?」
「ああ。何も無い時でさえ同性間の恋愛は周囲が許さない。たとえブレイクという一人の人間が好きなんだと主張しても、男色だと思われたら社会的に終わりだ」
「……そんなに?」
問い掛けに対し、従者は少し寂しそうに頷いた。
「お前だって相手が同性趣向だったら結婚したいと思わないだろう? だから相手は見付からないし、それが原因で家が断絶する事だってある。……別に結婚したい訳じゃないけどな」
「オレもギルのお嫁さんって想像つかないなー……何だか、一生結婚しないでブレイクとシャロンちゃんとオレに振り回されてそう」
「……酷い想像だな。まあそれも悪くないのかも知れないが……でも、その事を知って気付いたんだ」
あいつが別れようと言うのは、いつもオレの為なんだ。
そう言った従者の表情は、いつになく優しいものだった。
周囲は自分らを認めない。もう色々なものを捨ててしまった自分ならともかく、相手の事を巻き込むのはただの自分勝手だ。同性であるが故に表立って触れ合う事も出来ず、いつ死ぬか分からない自分の為に悩み、逃げ隠れるような真似をさせるなら。
それならば、二人の間にある繋がりを断ってしまえば苦しまずに済むだろう。
そう、想い人は何度も別れを切り出した。
散々告げられた別れの理由をギルバートは積み上げていき、それを聞いていたオズは確かにブレイクの言った事がどれも相手の為である事が理解出来た。
───以前きっぱりとギルバートを駒だと言い切った筈のブレイクが並べた言葉達は、いつのまにか手駒に対するもの以上に、最後には相手の感情を優先して元々の利害を超えるまでに変化している。
そう気付いてオズがテーブルの向こうを見ると、従者はふっと口許を緩めた。
「……大切にされているんだ、と思った。自惚れかもしれないが、それでもそんなにオレの事を考えてくれているあいつと───離れたくないと、思ったんだ」
「………、」
「だから、待つのは辛くない。確かに寂しいと思う時はあるが、辛いと感じた事はない。たとえ来なくても相手の事を考えていられるから」
言い切った従者の金の眼には一欠片の迷いも諦めの色もなく、それが自分の幸せの形なのだと語っていた。
オズはしばらくそんな従者を見ていたが、やがてすっかり冷めきった紅茶を一気に喉に流し込んだ。
一息ついて、ぐっと腕を伸ばして伸びをする。
「……あーあ、惚気られちゃったなあ」
「オズ?」
「何か一気に年取った気がする。オレ、これじゃただのお節介な年寄りみたいだ」
「そ、そうか?」
焦るギルバートにオズはそうだよと間延びした声で答えて、だってと付け足した。
「幸せなんだろ? 一緒に居られなくても。オレはお前が無理してブレイクを好きでいるんだと思ってたけど、待つ事も含めてあいつが好きだと思えてるならそれで良いと思う。心配要らなかったよ」
「……っ」
主人の言葉に従者の金の目が僅かに潤む。
だが、ありがとう、とそんな目を隠しながら従者が呟くと、オズは伸びを止めた反動で戻る身体をそのまま前に倒して、額にびしっと手刀を叩き込んだ。
ゴッ! と生身の手とは思えない鈍い音。
「ぁだっ!?」
「……でも、なーんかむかつく。人が知らない間にイチャつきやがって」
「お、おいオズ?! おまっ、認めてくれたんじゃ……」
「それとこれとは別だよ。こっちはある意味独り身なんだから」
ちょっとは慎めよなー、とふて腐れた様子で少年が呆れると、外の扉がトントンと小さくノックされた。
時計を見ると日付は既に変わっており、その為に訪問の合図も控えめになったのだろう。椅子から腰を上げたギルバートが応対に出ると、甲高い少女の声が飛び込んでくる。
どうやら出掛け先から帰ってきたらしく、疲れたのか彼女の声はいつもより少しだけやわらかくなっていた。
「おい、今帰ったぞ!」
「こら、ちょっとは時間を考えろバカウサギ…って何だその格好は?!」
「シャロンの奴が着せたんだ。私の服はピエロが持っているから取ってこいワカメ」
「お前なあ……」
「アリス、お帰りー」
「オズ!」
ちらりと顔を出すと、ぱあっと顔を輝かせた茶髪の少女がこちらに向かって駆けてくる。長い髪を両耳の上で高く結い上げ、普段とは違う服でふんわりと膨らんだシルエットは彼女が足を動かす度に裾が大きく波打ち、その向こうで悪態をついた従者がドアの向こうへ服を回収しに出ていった。
少女は嬉しそうに顔を綻ばせ、飛び付かんばかりの勢いで駆けてきて、そして何かを思い出したように目の前で急停止する。
「オズ、シャロンから伝言だ」
「へ? シャロンちゃんから?」
「ああ。えっと、『借りていきます、ちゃんと返しますから』と言っていたぞ!」
「は?」
「そんな事よりシャロンから土産をたくさん貰ったんだ! 早く開けるぞ!」
頼まれ事を終えてからとでも条件を付けられていたのか、少女が言うとドアからレインズワースの使いが大量の化粧箱を抱えて入ってきて、待ち兼ねた少女はその内の一つを引ったくるようにして取った。
だが、期待顔の少女が包みを開けると中から出てきたのは綺麗に洗濯された見覚えのある赤い服で、彼女は期待が外れたというより意味の分からないといった表情で眉を寄せる。
オズも気になって他の箱を開けてみると、そちらは本来の中身であろうたくさんの菓子や今の彼女に合いそうな品の良い髪飾りなどが入っていた。余計に混乱したらしい少女が首を傾げる。
「? おかしいな、私の服は確かに……」
あいつが、と彼女が呟くのと同時、タイミング良く外から小さな馬の嘶きと車輪の音が遠ざかっていった。
「………、」
「………、」
異変を感じたオズが窓に駆け寄って夜の街を見下ろすと、既に遠く馬車の背中が消えていく。
「ギルの奴……」
本人の意思かどうかは定かではないが、明らかに行き帰りで乗員が増えたであろう馬車の中を思い浮かべたオズの表情は呆れと驚きで引き吊っていた。
無言で窓から身を翻すと、狭いアパートの玄関へと歩いていく。
「ん? おいオズ、鍵を閉めたらワカメが帰ってこないぞ」
「あー、いいのいいの。もう閉め出してやるから」
ガチャン、と鍵を下ろされる音が響く。何故かどっと疲れが込み上げてきた少年の顔は、様々な感情が入り交じった笑みを浮かべていた。
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