黒猫と革紐。 | ナノ



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夕暮れ時、首都の片隅のキッチンにて。


「なあ、ギルって寂しいとか思わないの?」

「……急に何だ」

「いや、ちょっと気になってさ」

手に取った野菜の皮を向きながら、少年は質問に質問で返してきた従者をちらりと見た。
彼は火に掛けた鍋を見ながら燃料を足したり、風を入れたりして中身の温度を調整している。中性的といえなくはないものの、どう見ても男らしいその大きな手でこまごまと調味料を振ったり小皿で味を見たりしている様はどこか滑稽で、少年はそんな従者に少しだけ頬を弛ませた。


「お前さ、いつも自分で行くより待つタイプだろ? だからその間とかどうなのかなって」

「……何に対しての言葉だそれは」

「あれ、言わないと分かんない?」

剥き終えた野菜を板に乗せて一口大に切り分け、その内の一つを生のまま口へ持っていく。

「この部屋の壁薄いからさ、気を付けないと筒抜けって話。……うん、美味しい」

「っ!? うっ、ごほっ!」


さらりと告げた言葉は今まさに火に息を吹き込もうとしていた従者を直撃し、勢い良く吸い込んだ空気はそのまま中で暴れ回ってほんのり涙目にさせていた。可愛いなあ、などと不謹慎に眺めていると本当に煤を吸い込んでしまったらしく咳き込み始めたので慌てて背中を擦ってやり、水を渡す。


「悪い悪い、冗談だって」

「おまっ…げほっ、聞いてたのか?!」

「いや、聞いてたというか聞こえてたというか……」

「まさかとは思うが……」

「流石に最後までは聞いてないって。寝付き悪くなるし」


ゆっくりと水を飲み、息を乱しながら恨みがましそうに少年を睨み付ける目はまだ厚く涙の膜が張っていて、介抱しながらも中性的な魅力とはこんなものかとひそかに納得した。

従者が他家の使用人と恋仲であるのは以前から知れていた事だったが、昨夜は珍しく時間の空いた相手の方から訪ねてきていたのだ。
神出鬼没、と言う程ではないが独自に動く事が多い相手と仕事は多いが常に自分と共に動いている従者ではすれ違うことが多く、当然ながら大人の付き合いをしている彼らが深夜に時間が取れればする事は限られており、昨夜は偶然その顛末を聞いてしまったという次第だ。
もっとも、連れの少女に妙な影響を与えられても困るので早々に寝かしつけ、自分もまた壁の向こうがお熱くなってしまう前に布団に潜り込んだので詳細は分からずじまいだったのだが、彼の反応を見る分に立てた予測は正しかったのだろう。
ご丁寧に頬を赤く染められてしまっては何も言われなくともその後どうなったのかは自然と分かってしまうものだ。

その純粋な性格は貴重だと思うが、これからも自分やあの白い使用人のからかいの元となるに違いない。


「……もう治まった?」

「ああ……何とかな」

ようやく落ち着いた従者の背を撫でてやると、着古して少し薄くなった生地の向こう側にぽつんと赤い印が付いているのが見える。明らかに自然のものではないそれに気付かないふりをしながら、飲み終えられたコップを下げた。
いつだったかは忘れたが、割と最近に寂しげにその印に触れていた姿を思い出す。始まりは自分の居ない十年の合間の事であったから二人の馴れ初めは知らない。だから、いつから従者が彼を待つようになったのかも分からない。
一体いつから始まったのだろう。何かを待つように一人遅くまで居間に座って、けれど誰が来るでもなくため息だけを吐くあの姿は。
待って、待ち続けて、諦めることも出来なくて、けれど相手は自分の元には滅多に来ない。それはきっと、僅かな希望があるだけに相手が永遠に来ないよりも辛いことだ。

辛くないのだろうか。寂しくないのだろうか。たまたまその場に居合わせた時からそう考えるようになったが、真面目に聞いてもはぐらかされてしまいそうだと思ったから今日不意打ちを仕掛けてみたのだ。
───結果はあまり芳しくなかったが。


「……それで、何だって? 何か聞いてただろ」

「ううん、もういいや。また今度にする」

「………、」

打ち消すように言ったこちらをしばらく従者は見ていたが、やがてならいいと言って途中だった夕飯の支度に戻った。




「───うーん、やっぱりちょっと煮込み過ぎじゃない?」

「お前が変な事を言うから鍋から目を離す羽目になったんだろうが」

夕飯はよく煮込んだ、というか煮込まれすぎたスープだった。
いくつかの野菜は既に原型を留めなくなっており、よく言えば良いベースになっているが端的に表すとぐちゃぐちゃに煮崩れしていた。原因は火加減を間違えてかなりの強火で長時間煮込んでしまったからだったが、幸いなことに味は見た目ほど悪くない。

野菜ばかりで肉が欠片も入っていないのにやけに静かなのはいつもやたらと食事をせがむ茶髪の少女が珍しく泊まり掛けで出かけているからで、彼女は今頃とある貴族の少女の元で好きなだけ肉を食べている頃だろう。
淑女らしい振る舞いを学ばせるという名目で彼女を少女の元へ行かせたのだが、実際は少女に彼女を好きなようにさせる交換条件でちらつかされた大量の食事の影に釣られて出向いているだけだ。おそらく帰ってくる頃には普段と大分趣の違う格好をしているのだろう。
ぼんやりそんな事を考えながら大分煮崩れたスープを口に運んでいると、不意にギルバートが声を掛けてきた。


「どうした、さっきからこっちをチラチラ見て」

「へ? ……見てないけど」

とっさにごまかすも、飽きれた様子で従者は言う。

「嘘を吐け。支度の時からずっと何か気になって仕方ない顔してるだろう」

「え、そうか?」


(……本当はもっと前からだけど)

飲み終えた皿を片付けるふりで誤魔化そうとしたが、そこまで向こうも鈍くはないようだ。

「寂しくないかとか聞いていたが、もしかしてそれか?」

「なんだ、覚えてたのか」

「途中でうやむやになると余計に残るからな」

「ん、……まあそうだよな」

聞くべきだろうか。シチュエーションとしては二人の他に人は居ず、腹を割って話すには絶好の機会だろう。だが人間は蒸し返された話題を繰り返すのが苦手な生き物でもある。
んー、と間を置いてから、まあ答えが得られるのならとオズは覚悟を決めることにした。


「お前とブレイク、恋人同士だろ」

「…ああ、そういう事になるだろうな」

ある程度予測していたのか、意外にも答えはすんなりと返される。
けれどその流れに石を投げるようにでも、と前置きをして、オズは次の言葉を紡いだ。


「その割には二人で居るとこ、見てない気がして」

「………、」

「大抵そういう時ってさ、お前はずっとあいつの事待ってるように見えるんだ」

「……そうか」

「仕方ないよな。ブレイクはいつも一人で考えて、独りで動く奴だから」


だけどさ、


「それって、辛くない?」


オレさ、お前があいつの事を考えてる時、どうしても幸せそうには見えないんだ。

(お前は、それで寂しくないのか?)

面と向かってこんな事を言うのは失礼なのだと分かっている。他人の恋愛にとやかく口を出すのは馬鹿のする事だ。他人がお節介を焼いた所でどうするかは本人達にしか決められない。けれど、止められなかった。
これは自分の我が儘。
自分の居ない間に関係を持った二人。瞬きの間の筈だった十年で自分だけが取り残され、従者は自分の知らない顔を持つようになった。
その顔を、あの使用人は知っている。主人である自分よりも長く傍に居る。それなのに彼がこうした振る舞いを取るのは許せない。
そして、それに対して何もしてやれない自分が、どうしようもなく不甲斐ない。
嫉妬とはまた違う、強い感情だった。

余程険しい顔をしていたのか、従者はじっとこちらを見つめたまま動かなかった。
かたんと抱えていた皿から匙が落ち、それではたと我に帰る。


「あ……」

「………、」

急に憑き物が落ちた気がして、とんと椅子に腰を下ろした。
従者はまだこちらを見ていて、その表情は硬いままだった。

「ごめん、ギル…オレ……」

余計なことを、と言いかけたこちらを遮って、ギルバートは突然前に置いてあった皿を引き寄せて席を立ち上がった。背を向けたその仕草が怒っているように感じられて、オズは慌てて席を立つ。

「っ…ギル……!」

「いいから、座っとけ」

ぶっきらぼうに投げられた言葉に反射的に身を竦める。仕方なく腰を下ろして後ろ姿を目で追うと、ギルバートはそのまま流し場に皿を置いて水を張っていた。水の跳ねる音と食器の触れ合うガチャガチャという音がやけに大きく、無機質なものに聞こえてくる。
不用意だった。人の中へ勝手に踏み込むような真似をしてしまった。
そんな事をぐるぐると廻らせたのと、後始末が終わったのかくるりと振り返ったギルバートがこちらを見たのはほぼ同時だった。瞬時に目を伏せたこちらとは対称的に、歩み寄ってくるギルバートの両手には先程用意したのだろう中身の入ったカップが二つ握られている。

椅子に掛けながらカップを置いて、ギルバートは少しばつが悪そうに髪を掻き上げた。


「……すまない、怒ってる訳じゃないんだ。ただ少し…驚いて」

「………、」

「とりあえず飲め。そんなに熱くないから」

勧められてカップの中身に口をつけると、中は濃い目に淹れられた牛乳入りの紅茶だった。
半分ほど飲むと少し気分が落ち着いて、オズは相手の顔をゆっくりと伺うように見上げた。

「あの……ごめん、勝手な事言って…」

「……いや、お前が言ったのは本当の事だ」

自分も紅茶を一口飲み、気分を落ち着けたらしいギルバートはそう答えてカップをテーブルに戻した。
そして、斜めに視線を落として言う。

「それに、謝るのはオレの方だ。本当はもっと早くに言うべきだったんだろうが……中々、打ち明けるタイミングが掴めなかった」

「そんな事…」

「いや、何であろうと結果として隠し事をしてたんだ。その間、お前に心配させてしまったのはオレの所為だ」


肯定も否定も出来ずに黙っていると、ギルバートはだから、と前置いた。


「全部、話す。お前がブレイクに何か誤解しているようならそれを解きたいし、何よりちゃんと知っておいて欲しいんだ。オレがどう考えてるのかを。………、いいか?」


尋ねてきた従者に、オズは深く頷いて先を促した。



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