黒猫と革紐。 | ナノ



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部屋を満たす燭台の明かり。
二人まとめて押し込まれた病室は貸し切りらしく、単なる使用人と貴族家の次期当主が隣り合わせのベッドというのは普通に考えてあり得ない光景だったが、そこはまあ苦労人である友人が気を利かせて取り計らったのだろう───と、考えることにして、ブレイクは見舞いの林檎を口に放り込んだ。
可愛らしい兎型の林檎が咀嚼され、甘酸っぱさが一連の事件で切れた口腔に染みる。

と、隣から恨みがましそうな呟きが飛んできた。


「……何でオレがお前の分の林檎まで……」

隣へ首を向けると、声の主が呪い殺してやるとでも言いたそうな目でこちらを見ていた。現在、同じく病室に押し込まれたギルバートはベッドから半分身体を起こして林檎を剥いている最中であり、明らかに自分一人の分よりも多い林檎と格闘していた。
また一つ剥かれた林檎を口に銜えてベッドに転がると、まあまあとブレイクは手を振る。

「使えるものは怪我人でも使えと言うじゃないですカ」

「ふざけるな。大体、何で見舞いに果物ナイフまで付いているんだ」

「それはもう、果物を切る以外に使い道なんてないでしょう?」

それとも何か別の使い道が? とからかい混じりに問うと、短い蝋燭の明かりに照らされた相手の眉間に不機嫌そうな皺が寄る。
舌打ちと共にギルバートはナイフをベッドの間のチェストに戻し反対側へ寝返りを打とうとしたが、途中で足に響いたのか小さく呻き声を上げて元に戻った。空間から抜け出す寸前に酸で焼かれた足の容態はブレイクよりは軽かったものの、やはり満足には動かせないようだった。
寝返りを諦めたギルバートはぼうっと天井を眺め、口寂しくなったのか自分で剥いた林檎を一口かじる。

しゃく、と小さく音が響き、それを皮切りに同じ音が続いた。


「……暇だな」

「少なくとも今日明日は絶対安静らしいですネ」

「煙草も没収されたし」

「ああ、オズ君がやけに機嫌が良いと思ったらそれですか」

「『オレの事は気にしないで、一ヶ月ぐらい入院してて良いよ』だそうだ。……煙草抜きでな」

「良いじゃないですカ、健康的で」

「何ならお前もこれを機に糖分断ちすればいいだろ」

「驚くべき事にそれと私の生命線は方程式で結ばれてまして。要するに一蓮托生の運命なんですヨ」

「………、」

「………、」

ただでさえやる気の感じられない会話を続ける気力も失せて、二人はほとんど同時に息を吐いた。
無事な方の足を使ってベッドから起き上がったギルバートがチェストを探り、禁止を申し渡されたはずの煙草を引き出しから取り出す。

「おや?」

「レイムに頼んでおいたんだ」

「反抗的な従者さんですネ」

「それとこれとはまた別の話だ」

マッチが無かったので燭台の火を少し頂戴し、蝋燭の明かりだけだった部屋にポッともう一つの光が鈍く灯る。
点いた火は呼吸するかの様に一定のリズムで明滅し、部屋に煙草独特の匂いが広がった。


「生きてるんだな、オレ達」

「ええ、何とか」


流れるように吐き出された煙が薄く互いの間を隔てる。
その煙に隠れるようにして、ギルバートはぽつりと呟いた。


「訳の分からんチェインに飲まれて、危うく消化されそうになって───いや、実際少し溶かされて」

「………、」

「でも、何でかこのまま死ぬというのは想像できなかった。どうしてだろうな」

薄れてきた煙にまた新しく煙を吐き出して元に戻しながら、青年は隣で
寝ている隻眼の上司に問い掛ける。
質問を受け取った上司は眠たげに青年を一度見て、それからにっと口端を引き上げた。謀らずもオレンジの明かりに照らされて赤みを増した頬がそんな上司の笑みを悪戯っぽく強調する。

「それはもう、私が居たからでしょう?」

「自分で言うか」

「失礼な。真実を言ったまでですヨ」

むっと口先を尖らせる子供じみた調子に盛大にため息を吐いてギルバートは半分も吸っていない煙草を灰皿に押し付けた。完全に消えていない煙草を無視してベッドに身体を預けると、鈍い明かりが陶器の表面を照らしながらじんわりと小さくなっていくのが見える。
それはまだ光っていたいのに消された不機嫌さが滲んでいるようで、相方を失って独りきりになった蝋燭の
明かりもまたどこか寂しげに揺れている気がした。
ぼんやりと眺めているといつの間にか泥のような疲れが身体全体を包み込んでいて、自然と瞼が落ちていく。

すると、視界が閉じる僅かな間へ眠ったと思っていた声が滑り込んできた。


「……あと、君も居たから……ですかね?」

「え?」

予想していなかった言葉にギルバートが閉じかけた瞼を開けると、隻眼の上司は既に目を閉じていた。上司もまた疲れと眠気に負けたようで、少しすると静かな寝息が聞こえてきた。

(寝言じゃない、よな?)

確かめようにも相手を起こす訳にはいかず、ただでさえ眠気ではっきりしない意識があやうく思考を放棄しそうになる。
けれど寝言でも聞き間違いでもないらしいと回らない頭で考えて、ギルバートは自分なりに一番ふさわしいと思った返事を小さく呟いた。


「……当たり前だろ」


隣からの返事はない。
けれど不思議と満足感に満たされたギルバートが眠りに落ちるのと同時、燃え尽きた蝋燭の明かりがゆっくりと見えなくなった。



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