黒猫と革紐。 | ナノ



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チェス。兵が居ない戦場では戦えない。
オセロ。ボードが無い。駒もない。
双六。惜しい、もう少し早く言え。


「今溶けたところだ」

「それは残念。次は何にしましょうかネェ」

「何が残ってるか、だろ。それより……」

「それより?」


次の玩具を見付けるまで、お前が生きていられるといいけどな。

皮肉混じりにそう澪すと、背中合わせにくっついていた白い髪の上司がそれは君もでしょうと返してきた。
それはそうだ。死んだらゲームも何もあったものじゃない。だが、だからと言って娯楽もなしにじっと安全だけが取り柄の場所に待機出来るほど自分は退屈を愛してはいない。
頭の中で両者を乗せた天秤があっさりと傾いたのを感じ、ギルバートは仕方無く次の玩具を探しに重い腰を上げた。
途端、ずぶりと足が地面に沈む。
足元を見ると脆くなった瓦礫に穴が開いており、空いた穴から染みてきた酸が音を立てて片足を焼いていた。


「つっ……!」

「あーもー、言わんこっちゃないですヨ。不用意に体重を掛けるから」

「煩い。ちょっと気を抜いただけだ。お前だって右足焼かれただろうが」

「それは知らなかったんだから仕方ないでしょう」

「……まあな」

辺りを見回せばピンク色のどろどろとした床と壁に囲まれた空間。
見渡す限りこの異質な場所に動くものは見えなかった。

「チェインの腹の中、か」

「よくもまあこれだけ呑み込んだものです。残念ながらほとんどが溶けた後ですがね」

「そうだな……」


ため息を吐いて、これ以上足が溶かされぬように沈んだ足を地面から引き抜く。
異常事態の始まりは今日の午後。
パンドラ本部に突然開いた向こう側への道から、一体の異形が現れた事からだった。

姿はそう、お伽噺にでも出てきそうなオレンジの南瓜といったところだろうか。二組の車輪を身体の下から生やし、驚いている職員達を余所に辺りを伺っていたそれはみるみる内にぴっと身体に横一文字の亀裂を入れたかと思うと、手当たり次第に辺りのものを飲み込み始めたのだ。
場所が建物内部でなければ、被害はそれほど大きくならなかったのかもしれない。だが、運悪く人の多い場所に現れたそれは一気に部屋にあった物の半分近くを飲み込み、壁を破壊し、その欠片すらも飲み込んで最終的には元の小さな野菜程度から見上げる程の巨大な大きさになっていった。
当然の事ながら、身体が大きくなれば口も大きくなる訳で。
───結局、小さかった南瓜は騒ぎを聞いて駆けつけてきたブレイクとギルバートの二人をも飲み込んだのだった。

勿論、ブレイクもギルバートも飲み込まれてから何もしなかった訳ではない。
意識を取り戻してから二人で飽きるまで壁を斬ったり撃ったりを繰り返し、挙げ句の果てには同時に飲み込まれていた火薬まで使って内部からの脱出を試みた。だがしかし成果は全くといって上がらず、その他にも物理的に出来ることは全てやったのち、傷一つ付かない壁を見て二人で出した結論はどうも腹の中を覆う壁には中身を守るために結界のような力が働いているらしいという事だった。
こうなると残るは各々のチェインを使って強引に脱出することだが、瓦礫の上で休んでいたブレイクは自らのチェインを使う事は極力避けたいとギルバートに言った。

『いくらあの南瓜がたらふくガラクタを食べていたとしても、私達がさ迷えるほど腹の中が広いというのは流石にちょっとおかしいでしょう?』

『口から別の空間に繋がっていたって事か? ……まあ、言われてみれば壁も片側にしか見えないが』

『ええ、しかしこちらから口へ戻れない所を見るとそれだけではなさそうですがネ』

ぐっと手に持った剣の刃先をめり込ませ、それでも切れない壁を忌々しそうに睨んだブレイクは一息吐くと剣を収めた。
カチン、と頭上で鞘のぶつかる音がする。

『結界を作っているのはチェインの力の様ですが……本当にここが一種の異空間だとすると、壁を壊すというのは空間同士を無理矢理繋げようとする事。外がどうなっているか分からない以上、イカレ帽子屋にやらせるには少しリスクが高いかと』

『難しいな……』

『こうなると私より君の鴉の方が適任でしょう』

『仕方ないな……』

しかし、ブレイクの提案もそう巧いものとは言えなかった。
喚び出した鴉が道を見つけられなかったのである。
一度喚び出した反動でぜえはあと息を切らし、ギルバートが言った。

『は…っ、鴉はアヴィスと元の世界を結ぶ道を造るだけ、だから……そのどちらでもないこの中は範囲外ってことか……』

『なるほど、これで完全にここがアヴィスでも元の世界でも無いということが証明された訳ですカ』

『問題が解けたのに…ここまで嬉しくない、のは……初めてだな』

はあ、と大の大人が揃って力なく嘆息する。
そして次に辺りを見回した時、ふとギルバートは部屋と一緒に飲み込まれた瓦礫が妙に少なくなっているのに気付いた。

『……ん?』

同時に、そういうものだと信じて気にもしなかった薄く液体の張って水浸しの地面に目をやる。自身の汗がぴちょんと落ちたそこは思い違いかもしれないが、波紋が長く伝わるほどに水位が上がっていた。
ぐるりともう一度見回して、思い出したのは人間の身体の仕組み。
消化器の内壁が薄く粘液で覆われているのは食べた物を消化する消化液から自身を守るためで、消化するとはすなわち溶かして栄養分として吸収することであり、吸収された栄養分が身体を動かす力に───

(………、)

要するに、だ。
得体の知れない空間とは言え、自分らはあのチェインに飲み込まれた、つまり『食べられた』訳で。 
ここまで気付けば後は答え合わせだけだろう。


『……ブレイク』

『ハイ?』

『お前……何でさっきからずっと瓦礫の上に乗ってるんだ?』

『だって靴底減るじゃないですカ。君みたいに』

『───、』


恐る恐る、自分の足を上げて靴底を確認してみた。ちなみにこの靴は新しく作ったばかりで間違っても普通にしていたら靴底は減らない、はずだ。
だが、確認した靴は哀れにも色が剥がれて底が溶け、穴が開く寸前になっていた。そう、丁度強めの薬品に浸けて引き上げたものと同じ現象だ。
腰掛けた瓦礫の山の上から足をぶらぶらと揺らしてブレイクが呆れた声を上げる。

『君の靴なんてまだ良い方でしょう。あれだけチェインに飲まれたのに職員一人見付からない。はてさて、それは一体どういうコトでしょうねえ?』

『なっ……』

物騒な言葉に驚いて一歩引く。すると、増えた水に運ばれて足に何か布状の物がまとわり付いてきた。

『これは…パンドラの制服?』

『壁を壊そうとした間にいくつか似た物を見付けましたが、どれも奥の方から流れて来ているようですヨ』

『……ここより先に消化が始まったのか。オレ達は最後に飲まれたからな』

『全員が全員スパッと瓦礫の下敷きになったとは考えられないですから、そうでしょうネ。それより、君も早く私の方に来た方が良いですヨ。早くしないと…』

『?』

『溶けちゃいますヨォ?』

指で示されたのは散々破壊を試みた暗いピンク色の壁。そこはやけにぬらぬらと光っていて、こうしている間にも増水の原因と見られる液状の物が染み出して来ていた。

『私達が飲まれてから大体二、三時間。ここもそろそろ消化の時間です』

『げっ……』

息を切らしながらも急いで瓦礫をよじ登ってブレイクの隣へ避難すると、シュウシュウと音を立てて制服の切れ端が溶けていった。
ほっと息を吐く間もなく酸の海に浸かっていた物の大半が少しずつ、しかし確実に溶け始めていく。足場にした瓦礫も例外ではないようで、焦げ臭い匂いが下から立ち上ってきていた。
空間全体が急速に同じ匂いに包まれていく。

『…おい、これは一体いつまで保つんだ?』

『さあ?』

『さあってお前……』

『それよりギルバート君、良い物を見付けましたヨ』

ほら、と危機感の全くない様子で差し出されたブレイクの手には黒と白の騎士を模した駒。
どうやら娯楽室の玩具も一緒に飲み込まれていたらしく、ご丁寧にチェス盤まで揃っていた。


『いつまでも悩んでいても仕方ないですし、オズ君達が何か手を考えている可能性もありマス。ここは一つ待ってみるのもアリでしょう』

『珍しく他力本願だな』

『生憎とそうせざるを得ないもので』

『……?』

返された言葉を不審に思って正面に座った相手の顔を見る。
そのまま視線を下にずらすと、瓦礫の下からではなく間近で見た上司の身体はいつもと様子が違っていた。

『おい、その足っ…!?』

『さっきまでは普通に立てていたんですが……どうも足にまで気が回らなくてネ』

瓦礫の山の上で胡座をかいたブレイクの右足は、酸で焼けて赤く爛れていた。
場所によって消化の度合いが違う事は先程の職員の制服で理解出来る。おそらく、気付かないまま中をさ迷っていた時にそうした場所に踏み込み、傷を負ってしまったのだろう。幸い傷はそう深くはなかったが、それでも焼けてから今まで立ち続けるには相当の痛みがあったはずだ。しかし、ギルバートが慌てて巻いていたスカーフを解いて手当てしようと詰め寄るとブレイクはそれを片手で制した。

『そんな大袈裟にしなくても休めば動くでしょう。そういう訳で、一局如何デス?』

『お前な……』

『だって暇なんですから仕方ないでしょう? ただ待つのは私の性に合いませんし』

『……っ』

しばらく上司の顔を睨んでから自分の足元に目をやり、諦めたようにギルバートは息を吐き出した。

『……分かった。付き合えば良いんだろ』

『どーも』

にっと口端を引き上げたブレイクはチェス盤を前に置こうとして、しかしそこでギルバートが待ったを掛けた。
きょとんとするブレイクに対してギルバートは傷を負った足を指差し、きっぱりと言い放つ。


『その足を手当てしてからじゃないと打たない』

『あ、そう来ましたか』

『当たり前だ。ほら、足を出せ』

『えー、君が縛ると痛いじゃないですか。だからほら、君が勝ったら手当てということで…』

『却下』

『ギルバート君の意地悪ー』

『何とでも言えこの馬鹿』


邪魔そうにチェス盤を脇に退け、隣へ腰掛けたギルバートは盛大に悪態をつきながら傷への当たりが少しでも和らぐように手にしたスカーフを裂き始めた。


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