黒猫と革紐。 | ナノ



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act.5 私があの子なら良かった


「……もし目を覚ましたら、後は頼む」

「本当に構いませんの? 確かにブレイクには私も無茶をして欲しくはありませんでしたが、貴方がこんな真似をすればきっと……」

「良いんだ。元から話で片が着く奴じゃないことくらい、お前も知ってるだろう」


閉じた扉のすぐ隣に待っていた少女は手にした籠を握り締めながら青年の話を聞いていたが、まだ扉の向こうで起きたことを信じられずにいた。
確かに自分も彼に無茶をして欲しくない。それでも、青年の取った行動もまた無茶だと思った。
ブレイクはきっとギルバートを許さないだろう。自分の行動を阻んだこと以上にこれから青年がしようとしている事を知ったら。


「本当に一人で行くんですか? 私も一緒ではいけませんの? 今からでも一角獣を探索に……」

「今は下手にオレ達三人の繋がりをパンドラ内に知らせない方が良い。あいつをアヴィスから奪還するまでパンドラにも内密にしておきたいんだろう? ……心配するな、レイムに頼んで遅れるがちゃんと組織の契約者を呼んであるから」

「ですが……」

「それに、今お前に傍に居てやって欲しいんだ」


言い切った青年の目は伏せられ、握り締めた手が震えているのが見えた。

少女は知っている。
青年が使用人に抱く感情を。
本当なら誰よりも傍に居たいのは自分だろうに、それをしないで踏み止まっている彼の心情を。
傷ついて欲しくないのは誰も同じだろうが、それ以上に青年はブレイクという存在を失うことを何より恐れている。
分かっていたからこそ、少女は止めたかった。今行けば青年の想いは届かない。裏に隠れた想いは石になり、目に触れることは無くなってしまうだろうから。


「……ギルバートさ、」

「頼む、シャロン。オレには……出来ないから……」

「………、」


籠を手に提げたまま、少女は顔を上げることが出来なかった。
絨毯に落ちた水滴。
それを伝うことで青年の心に踏み入る事は許されないと、誰かが囁いた気がした。




act.6 どんな結末なら笑えたのか


夕日の赤と鮮血の紅。
追跡が一度途絶えた事で生み出された安堵はそのまま、まだ夕日が残る路地で人を喰むまでに増長していた。


「食べ残しを派手にばらまきやがって。ここまでやる度胸があるなら何故自分で今を変えようと思わないんだ」


お前に分かるものか、と異形の叫びの奥で泣いている気がした。
わからず屋の子供が玩具を振り回すように、まだ臓物が絡んだ爪が振るわれる。飛び散って頬に触れた血は時間が経って冷たい。
そしてぼろを纏い僅かに見える刻限の証は、予想していた通り既に印を描き終えつつあった。

「時間が無いのか。オレも同じだ。もう十年も足踏みしてきた」

泣いている。
世界に見捨てられた小羊が、今度は世界を踏み台にしようと泣いていた。
妙に自分と重なるこの姿を、あの時上司はどう受け取っていたのだろうか。
この契約者はもう保たない。時計の針は容赦なく時間を食い荒らし、最後の柵を飛び越えて余りあった。今すぐ堕とされても不思議はない。こうしている間にも避けきれなかった身体には傷が刻まれていたが、応援が間に合って取り囲まれた絶望の中死んでいくのは哀れに思えた。

(……まあ、それも人間限定、だがな…)

銃を下げた腕はいやに重かったが構える姿勢は崩れずに済んだ。その状態のまま、引き金に指を掛ける。
援軍の刃が背後から異形を貫いたのと、哀れな小羊の額に風穴が開いたのはほぼ同時だった。



「ご無事ですか!」

「……ああ」

やってきた応援。大柄なチェインを連れた男は形式上の挨拶を終えると、死体だけになった残骸を見下ろして刻印の残りを調べた。戦闘要員としては彼だけだったのか、残りは皆周囲を固めていたり状況写真を撮っていたりと事務的な仕事をこなしていた。

「違法契約者の刻限と罪状を照らし合わせての処置、でよろしいですね? 特に審問を受けるような点も見当たりませんし、死亡のまま届けても正当化されるでしょう。この少女はもう八人殺してましたから」

「……そうだな」

「報告はギルバート様だけで宜しいですか? 他に確か一人担当されていたようですが」

「ああ、そいつは療養中だから外していい。名前も全部オレで通せ」

「了解です」

何が療養中だ、と毒づきたくなったが、それは代わりに煙として吐き出した。
もう中毒になりつつあるが、禁煙は当分出来そうにない。まだ後一本残っていたが、病室での一服を思い出して今日はもうこれで止めておくかと握り潰した。結局一センチも吸わないまま空いた菓子袋に押し付けてきたのだが、シャロンは捨ててくれているのだろうか。考えれば緊張から解放されて思わず開けた一本だったが、病室での喫煙は明らかにタブーだった。

(……勿体なかったな)

ぼんやりと布で包まれた遺体を眺めながら考えていたが、過ぎた事だと首を振って口元ギリギリの煙草を消した。
遺体を運ぼうとした事務員に声を掛ける。

「おい」

「はい、どうかなさいましたか?」

「その遺体は……ナイトレイに回してもらえないか。弔うくらいは審問されないだろ」

「はあ……」


妙な事をすると思われただろうか。けれど自分が殺した女に何かしてやりたい気分だった。
このまま放っておけば身元が割れない限り遺族には返されずにひっそりと墓地へ他の遺体と纏めて埋められる。それは忍びなく思えた。着ていた物から見て明らかに下層市民と分かっていたから、自分が弔った後でまさか引き取り手など現れないだろう。

(自己満足以外の何物でもないな)

でもこれで良いとどこか自嘲しながら、残りを事務員に任せてその場を後にした。


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