V
act.4 致死量12mg
ベッド用のテーブルに山と詰まれた見舞い菓子には明らかに個人の注文が多分に混ざっており、ギルバートが訪ねた時分も身体に悪そうな食紅たっぷりのキャンディ群の向こうに埋もれていた注文主はガーゼを貼られた頬をもくもくと動かして菓子を咀嚼しているところだった。ちょっと近くに寄っただけで甘い香りが鼻を突き、胸焼けしそうな光景によもや菓子を食べたいが為にわざと容体を詐称したのではないかと疑いたくなったが、それに反してブレイクの身体に巻かれた包帯の量は多く、一部には固定の為の石膏が流し込まれていた。
固められた肩は動かせないらしく、反対の手に一掴みメレンゲの焼き菓子を握って口元に運んでは持ち切れずにぼろぼろと零している。
ドアを閉め、見舞いの包みを抱えたギルバートがその様子に顔をしかめると気付いたのか菓子山の向こうから声が答えた。
「……ただの掠り傷なのに大袈裟なんですヨ」
どうも、医者が過保護で。
そう付け加え笑ってみせるが、菓子の屑に彩られた口元でも隠し切れていない痛みが目に見えて分かり、無力感がまた胸を鋭く突いた。
経過を聞くと受け身に失敗した所為で傷ついた肩は本人が思っていたより悪かったらしく、しばらく痛み止めを飲み続ける日々が続くらしい。
「といってもこんなもの、二、三日もすれば治りますよ。自分の身体は自分が一番分かると言いますし」
「……薬は二週間分用意されてるだろうが。飲みたくないからって勝手に短縮するな」
「おや、珍しく目聡いネ。なら当然、次の薬の時間も知ってるでしょう?」
暗に薬を飲むからグラスを取れと催促され、菓子山の奥からにゅっと白い腕が伸びた。その腕にも当然のように薬臭い白い布が巻かれている。
無意識に懐を押さえた手は何とか悟られずに済んだようだ。
(………仕方ない、か)
ベッド横のチェストにあった白湯の水差しを取り、ギルバートはある筈のグラスを探して座っていたベッドに背を向ける。八分目辺りまで白湯を注いだ透明なグラスに粉薬の小袋を空け、掻き混ぜて餓鬼じゃないんだからとっとと飲めと押しつけた。
「私、仮にも怪我人らしいんですけどねえ……」
「怪我人は菓子の山に埋もれたりしないだろうが。うだうだ言ってないで一気に飲め。ちびちび飲んでるとそれだけ苦みが長引くぞ」
「あーハイハイ、分かりましたヨー」
ぐっ、と言われた通り一気に喉に流し込んだものの苦みが酷いのか呻いているブレイクにギルバートは持ってきた手製の見舞い菓子を渡してやった。食べやすいように普通より小振りに仕上げた焦茶のケーキを袋から開けるとチョコレート特有の甘い匂いが広がり、ぱっと機嫌を持ち直した上司の手が伸びる。
苦くないでしょうね、と前置いた割りには気に召したらしく、一切れではなく二切れずつ纏めて菓子を噛るとふっと口元が綻んだ。
「及第点、ということにしてあげましょうか。あと一杯砂糖を多めに」
に、と茶色い焼き菓子の屑を纏った唇から評価が下される。
それが彼の礼の表し方だと知っている分、応えた苦笑には苦みが多く混じった。
「浮かない顔をしてますねえ。まるで君の方が病人の様だヨ?」
「え? ……ああ、あまり良く眠れなくてな」
「それだけなら大事無いんですけどネ」
水を飲んで一息吐くとブレイクは目の前に積まれた菓子の山を横に避け、互いの顔が良く見えるよう身体をずらした。菓子山で見えなかったが、胸の前にクリップで纏められた書類が写真と共に置かれているのが見える。
最新の報告らしきそれは、追っ手を嘲笑うかのように増えた被害者の惨状を列挙していた。
血化粧を施された青白い人間の欠片は、何故か真っ赤なドレンチェリーの乗った白いクリームを連想させる。実際チェインにとってみれば似たような物なのだろうか。
だがそれよりも響いたのが、こんな状況だというのにろくに上司が眠っていない事実を再確認させられた事だった。まともに休暇を消化しないだろうとは考えていたが、顔色が死体と並べられても遜色なく感じる程青ざめていた理由を知っても喜べなかった。
「お前……休むか仕事するかどちらかに絞れよ。休める時に休まないといくらお前でも……」
「そんな事を言われてもこんな怪我程度で犠牲を増やす訳にはいかないでしょう。痛み止めは山程貰ってきましたから、片腕でも今夜中にアレを仕留めますヨ」
「……そんななりで動けるのか?」
「小僧っ子に心配される程老いぼれては無いですヨ……それにもう二日も黴臭いベッドに縛り付けられているんですから十分でしょう。君、このシーツの裏捲った事あります?」
自信たっぷりに宣言したブレイクは今からでも発つと言わんばかりに膝を曲げ、掛かっていた薄い布団から菓子を退ける。しかし、杖を探して彷徨う腕はいつになく頼りないもので、窓の外で風にそよぐ枝葉の方がまだ自然の強かさを感じさせてくれた。
壊れてしまいそうな幻想すら抱いて、杖を掴みかけた腕を止める。
「……無茶だ、ブレイク」
「無茶かどうかは君が決めることじゃないだろう」
「無茶じゃなきゃ無謀だ。そんな片腕しか使えない身体で、両腕でも吹っ飛ばされた相手に挑むのか。考え直せ、お前が仕留めなきゃならない道理はない。オレや他の契約者に……」
任せて、と言おうとした所で、何が勘に触ったのか払われた腕の代わりに痛烈な言葉が飛んだ。
「はっ、随分とまあ有り難い忠告ですねえ。あの時動きもしなかった君のお高い視点からならさぞや私にも視えなかった立ち回り方が見えるでしょうよ」
「っ……」
「君に任せて? 私の陰で、私の手で這い回っていた君に私が出来ない事が出来ると? 思い上がりもそこまでにしないと君こそ馬鹿なドン・キホーテですよ」
(………、)
吊り上がった口端の上、頬には痛み止めが切れたのかうっすらと汗が浮かんでいた。
顔色は一層青く、口論一つでも負荷は重く身体に掛かっていることが分かる。骨折だけではない。攻撃を受けた胴、腕、庇った足、それら全ての化膿や炎症を防ぐために多量に投与された薬の数々で身体は怠く、重いだろうに。
無事な筈の言葉の切れ味でさえ疲労で鈍って錆付いていた。
(止めなければ)
出来なければ今夜、書類に印される犠牲者と写真はまた一つ増える。
死んだ魚の腹のように青い死顔を大きなカメラのファインダー越しに覗くのはたとえ空想でも耐えられない。その顔は余りに知り過ぎた顔だから。
幸い、石は打ってあった。
「君が嫌なら来なくていい。足手纏いだ。君は大好きな主人さえ助けられればそれで───、」
(……やっとか)
傍から見れば、ただ立ち眩んだようにしか見えなかった事だろう。
けれど見上げた紅は明らかな自身の変調の原因に気付いたのか、隻眼に形容しがたい程の憎悪を燃やしてギルバートを睨め上げていた。
落ち着かなかった挙動と今になって冷静な態度。それらから分かった所で今更何も出来やしないと判断したからこそ、ギルバートはようやくこれまでの緊張を緩めて嘆息した。
懐から一本煙草を抜き出し、火を点けてふっと煙を吐く。
「思ったより、遅かったな。後一時間は小言に付き合うかと思ったぞ」
「…君っ…よくも……」
「足手纏いだと言ったな」
肩に響かないようにゆっくり身体をベッドに押し戻しながら、ギルバートは自身が摺り替えた薬の効能を確かめるように握り締められていたブレイクの手を開かせた。力を込める間もなくあっけないほど簡単に拳が解かれる。
興奮状態の所為で薬の回りが早かったのだろうか、また一つ吐き出した煙の向こうに憤慨しきってはいるものの身体の変化に戸惑いを隠し切れていない表情が覗いていた。
「オレ程度の企みに気付かないで一服盛られた奴の口じゃないな。普段のお前なら見抜いたはずだ。一体、どこの馬鹿が粉薬を直接グラスにぶち込むんだ? 普通別々に渡すだろうが」
「……っ、は…!」
「それと。一応忠告しとくが、動こうと無理するだけよく回って気分が悪い筈だ。言えた義理じゃないが大人しく寝てろ」
視線で人が殺せるのならば自分はとっくに死んでいるだろう。そう思えるくらいに激情の込もった視線を正面から受け止め、怒らせるだけと知りながらもう一つ用意していた見舞い菓子を押し付けた。
苦い苦い、カカオとリキュールの効いた四角いチョコレート。
「お前も、明日まで保たない事は知ってるだろ。……汚れ仕事はナイトレイの領分だ」
返答はなかった。
言葉にならなかったというのもあるし、なっていても受け取りたくなかったというのもまたあった。
「……くそっ」
バンと閉めたドアの向こう側は綺麗に音が遮断され、そこに何かが届く筈もなかった。
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