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家内はストーカーの気がある。

うん、僕だって家族にストーカーが居たとして、そんなこと人に言えるものか。
吉田氏。吉田氏はこれまでどれほど苦労してきたことだろう。僕と関係を持ってからも事あるごとに肝を冷やしてきたに違いない。
ただでさえ僕が原稿から逃げ回ることで心労も少なくないだろうに、僕との関係がばれたが最後、身内に付け狙われ命さえ奪われかねない事情にどれほど悩み怯えたことだろう。痛み入る。

「妻は、いわゆるオタクなんだ」

「は?」

スコン。と。

そんな苦悶にも似た思考に浸っていた僕の側頭部を吉田氏の言葉がど突いた。

新喜劇なら僕はノリツッコミを入れるかもんどり打って倒れつつツッコミを入れているところだ。

なんだって?

…オタク?

「オタク、て、あのオタクですか。四季折々お台場に大集合して馬鹿騒ぎしている…」

「やけに詳しいじゃないか」

「はあ。まあ。会社員だった頃の出張で、ちょうど当日に近くを通りかかったことがあります」

たしか夏だったと思う。そうだ丁度お盆のことだ。盆も正月も無いのかこの会社はと愚痴りながら通りかかったあの会場で見たあまりの人混みに、当時の僕は暑気あたりも相まって貧血さえ覚えたものだった。

「君のことだから騒々しさに煩わしく思いつつも興味を惹かれてあれこれ聞いてみたというところか」

なんでこの人はいちいち僕の行動を言い当てるんだ。

「と言っても、お台場に集まる人間、と、ひと括りにオタクを認識してはいけないぞ平丸くん。あそこに集まるのは、とりわけ漫画やアニメ、特撮やゲームを愛している種族だ」

種族って言った。

「そして家内がその系統でな。さらに言えば腐女子という部類だ」

部類って言っ…

「腐女子!?腐女子ってあの腐女子ですか!?ヤオイだとかビーエルだとか、とにかくホモやゲイに飛び付く…!」

「そこまで知っていたか。その腐女子だ平丸くん。ちなみに言っておくが俺は結婚するまで妻が腐女子だということは知らなかったし、打ち明けられたのもごく最近のことだ。この俺が完全に隠し通されていたことには恐れ入ったし脱帽感服したものだが、単刀直入に言う。俺と君は、確実に、家内のターゲットにされる。いや、された。されたんだ。わかるな?この意味が」

「ぼ…僕と、吉田氏に、萌えられている、と、いうわけ、ですね…?」

「その通りだ。すでに萌えられている。俺と君が同人誌という形で世間に晒されるのは良しとしよう。晒されたところで同人作家の好きが高じてとうとう原作者と担当編集のナマモノに手を出したかと取られるのがオチだろうし。それよりも問題なのは、有ること無いことでっちあげの昼ドラも真っ青なサクセスラブストーリーを描くために四六時中張り付かれた揚句、無いこと無いこと妄想した内容をさも俺達が織り成しているのだろうと根掘り葉掘り問いただされ語られてしまうかも知れないということだ!」

「なっ…、何と言う恥辱…!」

「プライバシーなんか微塵も無くなるぞ」

「わかりました。非常にまずいということは理解しました」

どうマズイって要するに僕と吉田氏が寄り添える時間が今以上に無くなり、あまつさえ観察された揚句の妄想を聞かされるということだ。

「それならば吉田氏。僕は引っ越したほうが良いでしょうか」

そうすれば細君に今すぐ所在がバレるなんてことも無いだろうし。

「それはダメだ。君、新しい逃走経路を作るつもりだろう」

バレてら。

「なっ、何を言う吉田氏!僕は吉田氏の心の平穏を考えればこそですね…!」

「ないない。君が俺の心の平穏を?そんな思慮があったら毎回締め切り前には逃げも隠れもせず原稿に向かってるはずだろ」

「ぐっ…」

「とにかくだ、今考えなければならないのは、いかにして…」

いかにして、なにを。

僕の脳が吉田氏の言葉に集中するより早く、それは鳴り響いた。吉田氏の携帯の着信音。
それは知ってる。知りすぎている。いつもいつもいつも、他の誰もと同じにしてくれと願って止まなかった音だ。

「…妻からだ」

「言われなくても知ってます」

ちょっとばかり棘が含まれてしまったと反省するまでもなく、吉田氏は僕の言葉なんか耳に入るはずも無い。僕だって一拍置くまで自分の言葉が脳に到達しなかったのだから。
青ざめたというか、受話器の向こうは幽霊か極道じゃないのかって顔をして、吉田氏はゆっくりと通話ボタンを押した。何と言う勇気か。僕なら間違いなく通話終了ボタンを押しているところだ。

「もしもし…」

いささか歯切れの悪い口調で吉田氏が電話に出る。

「もしもし」

奥方の声が携帯特有の機械音を伴って僕の耳にも聞こえた。たまに思うのだが、携帯というのは相手の声が他人にも聞こえすぎじゃないだろうか?とくに吉田氏の奥方の声は澄んでいてよく通るから、ちょっと聴こうとすれば会話の内容が筒抜けになってしまう。プライバシーも何もあったものじゃない。もう少しスピーカーをどうにかしたほうが良いと思うのだが。とにかく僕は今、吉田氏と吉田氏の奥方の間で交わされる会話を聞きたくはないんだ。

「…あら、だんまり?めずらしいのね、幸司さんが。まあ、そんなことはどうでもいいけど。ねえ、私…」

ゆっくりじっくり話すのは良しとしよう。だが『私』で区切るな奥方。ますます底冷えがするのだが。

「来ちゃったー!!!!」

突然。

けたたましい音を立てて僕の仕事部屋のドアが全開になった。
全開って言うか半壊してやしませんかそれ。
なんだか壁紙に傷がついたような気がします。
反動で戻った扉が開けた人物の額にしこたまぶつかったような気がします。
気のせいじゃなく額に第三の目みたいな真っ赤に丸い跡がついてます。
なのになんでそんなに笑顔なんだろう。
すこぶるつき嬉しそうな笑顔で僕と吉田氏とを交互に眺めて、握り締めた携帯ごと頬に両手を当てて、ひとしきり歓声を上げたあと、何事かまくしたてるように、とくに僕が思ったより見目がいいとかなんとか、でもその他の言葉は聞こえてきません、いや聞いていません、努めて耳に入らないようにしています、伝えるな!伝えるんじゃない僕の耳!僕の脳に今現在この音声を伝達するんじゃない!いいか、音を集めるのを寄せ耳介!即刻中耳への音波伝達をやめろ外耳道!振動するな鼓膜!仲介しないでくれ耳小骨!頼む、もう、これ以上、電気信号に変えるな蝸牛。脳まで運ぶんじゃない蝸牛神経…!

いっそ受け取った信号を大脳もろとも消去してやろうか。

っ、だが、奥方。しかし奥方!されど奥方!!

「あの、奥方!その物語る才能を僕に少し分けていただけませんか…!?」


「…何言ってんだ平丸」


いい加減ぬるくなったコーヒーを、冷たい顔の吉田氏が僕の頭にぶっかけた。







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