月夜の浜辺 | ナノ


きみが笑えば



 
「……え? 聞いたこと無かった?」

 目の前にちらつく緑と色とりどりの飾りから視線を外して問えば、此方を見上げる琥珀色の瞳が不思議そうにぱちりと瞬いた。それから先の問い掛けに頷く彼女に言葉を続ける。

「人に知られた方が叶いやすいとも謂うけれど、多くの人が《人に知られると叶わない》とは謂うかな。まあ迷信だろうけど」

 準備出来たよ、と付け足して彼女に手を差し出す。小さな手が大切そうに握る紙片は一向に此方に渡されることはなく、ただ困惑の色を浮かべた瞳が私の顔と、私の後ろにある大きな笹を行き来する。ふぅん、と相槌を打って暫し思案。それからチラリと彼女の小さな手の中にある紙片を見ると、自分で意図せずとも口元に弧が描かれた。意地の悪い笑みだろう。現に、目の前の少女が警戒する様に睨んできているのだ。

「ねぇ佐倉ちゃん」

 名前を呼ぶ。まだ何も言っていないにも関わらず、彼女は勢い良く首を横に振った。ぎゅっと手を握って紙片を隠すようにしたのを見て、勘が良いなぁと素直に感心する。

「良いじゃない、ケチ。どうせ中也の事なんでしょう?」

 驚いたと言わんばかりに丸まった瞳に溜め息を一つ。何故分かったのかと問いたげな彼女に呆れながら口を開いた。

「だって君、中也の事ばかりだもの。何をするにも中也を一番に考えてるし……否、好奇心で動く時も多いから何とも云えないのかな? それでも、七夕で《願い事が叶うよ》って教えられたら何を書くかなんて、鈍感な芥川君でも気付くよ。誰もが分かり切っている願い事を、今更《見られたら叶わない》なんて心配しなくても良いと思うけどね」

 しゃがみ込んで目線を合わせる。指先で彼女の握る紙片を突つくとしょんぼりと項垂れた彼女が、今にも泣き出しそうな顔で笹を見上げた。ほんの少しだけ罪悪感に苛まれて視線を逸らす。

「……どうせ、中也の役に立ちたいとかそんなところなんでしょう?」

 頑張れば叶うと思うよ。
 立ち上がりながら言って彼女の手中に収まる其れを取ろうと視線を彼女の方に戻す。数分前と同じ様にぱちりと瞬いた瞳とかち合って瞠目すると、彼女は意を決したかの様な力強い表情で此方を見上げた。
 そんな彼女の変化に気圧され、ずいっと差し出された紙を受け取るのに少しばかり戸惑う。私の手中に《願い事》が渡ったことを確認した彼女は、精一杯背伸びをした。小さな指が示す先は天辺に近い。

「……はいはい、お詫びに一番高い所に吊してあげる」

 意図を理解して素直に従う。満足げに笑う彼女に先程までのあれは何だったのかと首を傾げた。しっかりと笹の枝に結び付けられた短冊を見て彼女を見る。まさか。

「……勝者の笑み、って訳ね」

 拙い文字で書かれていた其れに率直な感想を述べると、にこりと笑みを深くして彼女が口を開いた。『ありがとう』と短く言って部屋を後にした後ろ姿に、自分の相棒でもある彼女の保護者を思い浮かべて溜め息をひとつ。

「読みが外れるとは……《恋する乙女は無敵》って事かな」

 幾つであろうと女性は怖いものだ、と胸中で一人ごちて頭上で揺れる短冊に手を伸ばした。先程付けたばかりの其れをそっと丁寧に取り外して綺麗に折り畳む。
 意地悪し過ぎたから。
 たまにはお節介もしてみるものだ。
 あの子の為だし。
 幾つかの言い訳を自分に吐いて、目的地に向かって足を動かす。これを見た亜麻色の反応がどんな物なのか、全く想像が出来ないなんて。





 良い物あげる。
 そう言って手渡された其れは細長い色紙で、俗に言う短冊であった。何でまたこんな物を、と疑問に思いながら受け取ったその紙片をよく見れば、既にその紙には記されるべき《願い事》が書かれている。しかもそれは見知った、毎日の様に見る筆跡で、先程脳裏を過ぎった疑問が再浮上。
 何でまた、こんな物を。
 目の前に立つ鳶色の瞳を見据える。溜め息にも似た吐息を吐き出して肩を竦めた太宰が「別に」と否定の言を口にした。

「ちょっと意地悪し過ぎたと思ったから反省の意味も籠めて」
「手前の口からそんな言葉が出て来るとはな。大体、勝手に俺に見せて反省も何も無いだろ」
「反省に似たお節介だよ、中也は鈍いから」

 今度こそ溜め息を吐き出した太宰が短冊を指差して、これまた厭そうな表情で言った。厭ならお節介なんぞしなければ良いだろう、勝手にお節介したのは自分のくせに。

「云っておくが、これを貰ったところで俺は何もしねぇからな」
「……中也さぁ……」

 続く言葉を飲み込んだのか。呆れた様にそこまで言って太宰は口を閉ざした。む、と少し眉間に皺の寄った顔を黙って眺める。

「まあ、別にそれは君の自由だけど」

 何か考え込む素振りを見せてからそう付け加えた太宰が二度目の溜め息を吐いて踵を返す。だけど、の後に何かしらを含んでいるであろうその物言いを言及すべきか判断するより早く、太宰は部屋を後にした。 喉まで出掛かった言葉と手の中の短冊が行き場を失い、どうしたものかと大きな溜め息。



 そんな遣り取りをしたのが何時間前だったか。不意に思い出したそれに暫し思案。

「……、佐倉」

 かちかちと規則正しい音が空気を震わせるだけの室内。ソファに座り手元の書類を眺める俺に凭れ掛かって暇を持て余す佐倉の名前を呼べば、構って貰えるとでも思ったのだろう。ぱっと瞳を輝かせて此方を見上げて来たので「眠いなら寝ろ」と短く告げる。つまらないとでも云いたげに唇を尖らせた佐倉は座り直してぐりぐりと人の腕に頭を押し付けた。

「仕事の邪魔をするなら寝ろ」

 途端にピタリと動きを止めて大人しくなった佐倉に、溜め息を吐く代わりに短冊に記されていた文言を思い出す。矢張り数時間前の太宰を殴っておけば良かったと後悔してももう遅い。

「佐倉」

 先程喉の奥で消え失せたものとは違う溜め息をひっそりと吐いて名前を呼んだ。すぐに顔を上げた佐倉の顔をじっと見詰める。ゆっくりと首を傾けた佐倉の動きに合わせて黒い髪がさらりと揺れたのを何とも無しに目で追って、くしゃりと髪を撫でて口を開いた。

「人の心配するぐらいなら手前の心配してろ」

 告げた言葉の意味を理解したのか否か。此方を見上げた琥珀色の瞳が何か珍しい物でも見たかの様にぱちぱちと瞬く。その表情が、いたく印象的だった。




2016/07/07初出
2022/12/20加筆修正
《なかはらさんが たくさんしあわせに なれますように》


きみが笑えばなんでもいいさ
title by.白群

 


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