周りの変化
ぽたり、と涙が落ちた。
あの日々を、どう返せるだろうか。否、返せるのだろうか。
幸せ過ぎた瞬間は、音も無く崩れ去って居たのを幼き臨也には分からなかった。
「どうせアイツは、俺の玩具だ」
ゲラゲラ笑いながら話す恋人の声に、耳を塞ぎたくなった。
何故?あれだけ愛し合って居たはずなのに。ずっと傍に居たはずなのに。
愛なんぞ、これだけなものなのだと、思い知らされた。
(なんで俺の傍に居たの?良い金づるだったから?なんで?ねえ、なんで)
ぐるぐると渦巻く感情に例えようが無く、宛てのない敗北感に似たような感情だけが残っていた。
だが、そんな事件も忘れて出会った平和島静雄は、自分のことを親身に聞き入れ、そして受け入れてくれた。
始めから目で追っていた。
それを言うならば――
「落ち着いたか?」
「す、すいません…」
「吐き出したい事があれば、何だって言ってくれ。力になれりゃなるからよ」
「ありがとう、ございます。こんな俺なんかの為に…」
一つのベットで横になる二人は、微笑み合っていた。全てを赤裸々に吐き出してしまうと、楽になるもんだと分かった。
未だに撫でられる頭が心地良い。
「あの…あの、ですね先輩」
「ん?」
「俺、を刺した相手…従兄弟だったんです」
心を開けた臨也は、自分を刺した相手の事を告白した。確かに見たのだ。従兄弟である京明が…自分を刺したのを。
「従兄弟…?なんで、そんな親しい奴がお前を…」
「わかりません…。でも、きょう兄さんは人を刺すような人じゃない…。きっと、誰かに頼まれたんです!自分の意思で俺を刺したなんて…信じたくない」
何から何まで面倒を見てくれていた京明が、臨也を刺す理由なんて無いはずだ。それとも本当は、自分の事がキライだったのだろうか。
信じたくないという面持ちで、目を伏せた。
「大丈夫だ。いつか…その従兄弟に聞いてみりゃ良い」
「そう、ですね」
「あと…たぶん、折原が生きてるって知ったら、相手もまた殺しにかかるだろうしな。だから俺も一緒にいる」
「そんな…!わ、悪いです。俺なんかの為に先輩まで、危険な目に合わせなくちゃならないなんて…」
平気だ、と笑う静雄に、動揺を隠せない。彼の身にもしもの事があればこっちがただじゃ済まない。
そう説得はするが、静雄は引かなかった。
「先輩…」
「大丈夫だ。俺がいる」
「…はいっ」
小さく笑う臨也に、静雄も笑った。
始めから目で追っていた。
それを言うならば――
"一目惚れ"というのだろう。
しかし臨也は分からない。いつの間にか愛に対しての感情は欠落し、どれが愛なのか行方不明なのだ。
愛する事を恐れてしまっている、人間の一人なのだろう。
「…いやあ、良くやるもんだな。あんちゃんもよ」
顔に刺青の入った男は、ソファーに押し倒した京明を見つめた。彼の手に持つのは、臨也を刺した時のナイフだ。その矛先を次に自分へと向けていた。
「離してください…臨也くんを殺せるわけがないんです!どうせ殺されるなら、今死んだって同じでしょう!?」
「んーまァ、そーだけどよお…手前ぇ、金はどーすんだ?あ?折原臨也にでも払わせるつもりか?」
何も言い返せ無かった。
臨也を殺したくはない。だがそうしなければ結局は臨也に負担がかかる。
何をどうすれば最善なのか、京明の頭では理解しきれなかった。
「もう…嫌です…ちゃんと働いて、お金は返します。だから…臨也くんを殺すなんて…やめたいんです」
涙ながらに訴える京明に、刺青の男は息を吐いて「んじゃ」とナイフを取り上げた。
刺される、と目を瞑ったとき、そのナイフは京明ではなく、隣のソファーに突き刺さった。
「俺と逃げっか」
「…え?」
「まあ、金は払われちまったからな。こっちにもプロがいるわけだ、もうとっくに手配もしてるしよー…」
「…じゃあ、何で、自分を…」
「試しただけだっつの。俺と逃げるか?まあ、逃げても良い事ねぇけどよ、ここに居ても手前ぇは殺される運命だぜ」
煙草を吸い始めた男を見つめつつ、京明は起き上がった。
「お?行く気になったか?」
「…何故、逃がさせてくれるんですか?貴方も…何故」
疑問を素直にぶつけると、男はいつかの時のように大きく笑った。
「好きだからに決まってんだろ?」
その言葉に逆らう事は出来なくて、京明は最善で無いことを分かりつつも、男の手を取り事務所から去って行った。