メモリーズ2



ああ駄目だ。
滴さん、止まって。
止まらせて。
これ以上、彼に流させないで。

「……いざ、や。お前…なんで泣いてんだ?」
「なく…?」

泣くって、なに?
ぎゅっ、ギュッて胸が苦しくて、水の中に居て呼吸が出来ないみたいだよ。
滴が、俺の目からも溢れていた。
これを泣くっていうの?

「ぎゅって、痛いの…」
「苦しい…のか?」
「分かんない、分かんないよぉ!」

ぐしゃぐしゃな頭。
わけが分からないよ。
喜怒哀楽が無い俺には、滴の理由なんてわかんない。なんで胸が息苦しいのかも分からない。
知りたいのに、分からないんだよ…!




泣き止んだ俺たちは、無言のままうつ向いていた。そんな沈黙をやぶるように「あっ」とシズちゃんが声を上げた。

「今のお前に言っても意味はねぇだろうがよ…なんか、標識が当たる直後…手前ぇは小さく笑ってたんだよ」
「笑ってた?」
「ああ、優しく、笑ってた」

笑ってたってなに?
わかんないや。

「笑うってのは、こう」

シズちゃんは実際に笑ってみせた。口の両端をくの字のようにさせて、目元を細めた。これが笑うっていうの?

「笑うって、どういう時になるの?」
「胸がぽかぽかする時…とかか。幸せだなあ…て思う時に自然とでんだよ」

人間って、不思議だ。
色んな顔が出来るんだ。
さっきみたいに泣いたり、笑ったり。
俺にも出来ているのかな?

「シズちゃん、俺…何も分からないんだけど…昨日の俺はどんなだったんだろう?今ここに居る時間しか分からないけど、昨日の俺と今日の俺はどう違うんだろう」
「…敬語、使わなくなったな」
「敬語?…あ」

さっきまで、敬語を使って居たのにまるで自然かのようにタメ口を聞いていた。
昨日は敬語だったのかな?

「たぶん…具合は良くなってるんじゃねぇのか?」
「だと…いいな」
「いつか必ず…戻る。いや、戻させてやるからよ。そん時は一発殴らせろな」
「はは、そんな約束やだなー」


その日は、何だか暖かいばかりで。また明日になれば彼を忘れてしまうのが悔しい。この感情も忘れてしまったけど、きっと心の中で忘れちゃならない感情があったはずなんだ。

ねえ、俺。
君はどうして標識を避けなかったの?
何故当たりに行ったの?

小さな箱に閉じ込められている自分は、その箱から出て来てくれない。本当の感情は閉じたまま。
全てを思い出せる日が来たら…君に笑ってその理由を話せるだろうか。
そんなことを考えてながら眠った。


そして朝、俺は驚くべき事に気付いた。曖昧だが、昨日の記憶があるのだ。
"シズちゃん"ていう人がいて、その人が泣いたり、笑ったりしている姿が浮かぶ。医師は奇跡だと喜んだ。記憶障害から立ち直れるかもしれないと。
それを、昨日の記憶の中に居たシズちゃんに話した。

「すげぇな!今まで忘れた事なのに」
「俺、初対面…だと思う…んだけど、曖昧だから良くわからなくて…」
「それでも良い。このまま、順調に回復してけばいいな」
「うん…そうだね」

どんな内容だっただとか、そこまで明確に思い出せないけど…初対面じゃない。
何だか嬉しくなった。
…ウレシイって、胸がぽかぽかする事を言うんじゃなかったっけ?

「臨也、笑ったり出来るようになったよな。初めは無表情だったのに」
「笑ってる?俺、笑ってるの?」
「ああ、鏡ねぇけど…今度鏡みて、笑ってみたらいい」

うん、と小さく頷いてから、彼と俺について語って欲しいと言った。

「…わかった、でもあんま手前ぇには良い話じゃねーぞ」
「それでも知りたい」
「…」

シズちゃんは覚悟したかのように、小さく息を吐くと俺たちの関係を話した。

「俺たちは高校の出会いでよ、良く周りから"24時間戦争コンビ"だとか言われたぐらいに顔合わせりゃ喧嘩してた。いわゆる犬猿の仲だったんだ」

こんなに近くに居るのに、犬猿の仲だってちょっとビックリだな。

「あー、まあぶっちゃけると、手前ぇはおかしー奴だった。初対面の挨拶がナイフで服破りやがるし、取り巻きとかいやがったし、人ラブとか言ってやがったし…」
「人ラブ?」

人…、人間が好きってこと?

「人間というカテゴリーごと愛してんだとよ。俺を除いてな」
「なんで?シズちゃんも人間でしょ?」
「ただ単に、俺がキライなだけだ。怪力の持ち主で化物扱いされてたしな、」

変な俺。
前の俺、シズちゃんは人間だよ。
なんでシズちゃんを愛さないの?
…愛するって何だっけ。

「ブクロでいつもやらかすし…切り裂き魔の件だって手前ぇが関わってんだろうし」
「きり…さきま」
「あ、悪い。なんかお前の悪いとこしか言ってねえな…」
「良いんだよ。俺はそんな奴だったんだろ?そっか…なんか、引っかかるのに思い出せないや」

こんこん、小さな箱からノックする音がする。俺を呼んでいるのに、俺はその箱に届かなくていつまで経っても本当の自分は、解き放たれないのだ。
ごめんね、ごめんね。
一人にしててごめんね。

「…シズちゃん。どうして犬猿の仲なのに君は、俺の傍に居てくれるの?」
「好き…だからに決まってんだろ」

すき。

スキ。




こんこんこん、どんどん。
箱の音が激しくなった。自分はこの感情を知っていた。ずっと前から。
…あれ、この言葉を前にも話した気がする。

――知って る


知ってる。うん、知ってる。


――俺は シズちゃん を 、


俺は、シズちゃんを?
























―― 好き だったんだ。





箱が開く音がした気がする。泣きながら俺は、そんな言葉を告げた気もする。

「…臨也?」

このぽかぽかする感情も、喉に引っかかっていた"何か"も分かった気がする。
ああ、そうだ。
俺は。


俺はシズちゃんが好きだった。


「ハハッ!!ああ…うん、そうだ」
「ど、どうした?」
「俺は折原臨也、新宿の情報屋で、良く知る知り合いは新羅にドタチン、かな」
「お前、記憶が…!?」

完全に戻ったわけじゃない。だけども彼と関わった時間は思い出せる。どんな会話をしただとか、こんな思い出があるだとか、そこまで深くは思い出せないが、彼への感情はくっきりと思い出せる。

「…俺も、好きだよ」
「臨也…」
「俺が当たりに行った理由…なんとなくだけど分かるよ」

あの時の俺はきっと、シズちゃんへの想いが届かないと思っていたんだ。ならこのまま標識に当たって死んでしまっても良いとか、そんな事を思ってたのかもしれない。

ばかだな。
こんなに近くに居るのに。

「ねえ…このまま順調に、全てを思い出したら…また告白してくれる?」
「ああ、いつでも言ってやる」
「それと…」

小さく笑って、シズちゃんを見つめた。


「一発殴られるのは勘弁ね?」


小さな箱は開けてある。
中に居た自分は、心に溶けたかな?
ありがとう。
もう大丈夫。
だからもう泣かないで。
もう一人の俺。

「だいすき…大好き、シズちゃん」







メモリーズ。
記憶を全て取り戻したら、
いつもどうりに肩を並べて歩きたいな。
ねえ、どうかな。シズちゃん。


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