オクタビオ・シルバは不服だった。
目の前にいるのは詰まらなさそうに仏頂面をした女。
そんなごんべえが腰掛けているソファは、一見簡素にも見えるが繊細な意匠が施された一点物だということを、オクタビオは知っている。
「おいごんべえ、俺の今さっきの配信見てたんだろうな?超クールだっただろ?」
「そうね、心臓が冷えて止まるかと思ったわ」
そんなことを言う割に、ごんべえの表情は揺らがない。
それこそ氷像ではないかと疑う程に。
「貴方が下手をこくと、私の家も泥を被るのだと分からない?婚約者殿」
かちゃり、最低限の音をたててソーサーへ戻されたティーカップからは、まだ湯気が上っている。
ティーカップから離されたごんべえの指が、そっとテーブルの上に置かれた小型端末をなぞった。
おそらく先程までのオクタビオの配信をそれで見ていたのだろう。
オクタビオはごんべえの皮肉の篭もった言葉に舌打ちで返した。
オクタビオはごんべえの対面に行儀悪く足を組み、深く腰掛ける。
そうして天井を見上げ、ほんの少し乱れた息を誤魔化すように大きく息を吐いた。
ーーごんべえはいつもこうだ。
もう長い付き合いになるが、楽しそうに笑ったところなどほとんど見た事がない。
まあ日々退屈しているのはオクタビオも同じであるのだけれど、微笑すら浮かべることの無いごんべえには流石のオクタビオも閉口していた。
「なあ、」
珍しく、言葉が被った。
少しの間お互いに見つめあって出方を窺っていたが、機先を制したのはオクタビオだった。
「なんでそんなつまんなさそうにしてんだよ」
「……え?」
虚をつかれたように目を瞬かせるごんべえに、オクタビオは僅かに心が浮き立つのを感じた。
そのまま言葉を重ねる。
「いっつもシケた面しやがって」
「……別に、つまらない訳じゃない」
ほんの少し眉根を寄せたごんべえは俯く。
それによって彼女の表情が見えなくなって、オクタビオは無性にごんべえを組み伏せたくなるのを堪える。
それが何による衝動なのか、オクタビオは知らない。
湧き上がってくる荒々しい感情のままにさらに言い募った。
「楽しそうにしろよ、笑えよ。俺といてもつまんねぇのか?」
「……違うって言ってるじゃない。それなら私も言わせてもらうけど、そろそろ危ないことはやめて落ち着いてくれない?」
おじ様の跡を継ぐことになるのだから、しっかりしてくれないと。
そう言ったごんべえの言葉は、言葉は違えど幼い頃からずっと周囲の大人に散々聞かされ続けたものだ。
オクタビオは次に発しようとしていた言葉を飲み込んで荒々しく立ち上がり、テーブルの上に投げだしてあったマスクを引っつかむ。
「……もういい」
言葉少なにそう言い残し、重い扉を開け部屋を出た。
ごんべえの顔は、見なかった。
ーーーー
「あー、くそ、……くそ」
「うるさい!」
だん、と力強く机を叩いたのはアジェイ・チェーーオクタビオ、そしてごんべえの幼馴染である。
名家の子供である三人はとあるパーティで出会い、歳が近かったこともあり親交を深め、ここに至っている。
「見てわかんないの?今、あたし勉強中なんだけど!!」
「ちょっとぐらいいいじゃねえかよーー幼馴染の愚痴くらいきいてくれ」
体を捻り、ぐるりと振り向いたその形相は鬼のようだったが、オクタビオは全く気にせず、出された茶菓子を貪っている。
その姿にアジェイは深い溜息を吐き、仕方なしに席を立ちオクタビオの正面に座り直した。
「愚痴って言ったってーーどうせその様子じゃごんべえのことでしょ?」
「おお、当たりだぜ!ごんべえ、俺がいくら記録を出しても最近は全然喜ばねえんだよ」
「喜んでくれないって……本気でそんなこと言ってるの、あんた?」
呆れたような声色のアジェイにオクタビオは内心首を傾げる。
何を言っているのだろう。
「だってよ、あいつ……昔は、オレが記録を伸ばすと嬉しそうにしてただろ」
そうだ。そうだった。
幼い頃のごんべえは確かに今と変わらず仏頂面が多かったけれど、オクタビオが新記録を叩き出す度に満面の笑みで喜んでくれたのだ。
それがいつからだったか、いくら記録を伸ばそうとも笑顔を浮かべることはなくなった。
「あーあ……ごんべえ、あんたの気持ち全然伝わってないわよ……」
疲れたように背もたれに寄りかかり、アジェイは息を吐き出す。
その後ぐっと身体を起こし、びっ、とオクタビオの鼻先に人差し指の先を突きつける。
「いい?あたしの所に愚痴吐きに来るくらいなら、その時間を使ってちゃんと二人で話し合って」
「話し合うったって……」
「ごんべえが人に心を伝えるの苦手なやつだってのはあたしらが一番よくわかってるでしょ。
ごんべえのことだから、あんたに伝えたい気持ちがあるはずよ」
伝えたい気持ち……?
ごんべえもどうせ、ほかの大人と同じでーー家の名誉のことしか考えていないだろ?
オクタビオは眉根を寄せたが、ふと映像の再生端末を撫でるごんべえの指先を思い出す。
「ちゃんとゆっくり向かい合って話すのよ。あんた達、婚約者なんだから」
話はこれで終わりだと言わんばかりに、アジェイはロリポップを口の中に放り込む。
オクタビオは落とし所を見つけた気がして、アジェイに軽く礼を言って駆け出した。
アジェイはもう痴話喧嘩に私を巻き込むなと言外に告げていたのだが、オクタビオはそれに気付かなかったのでーーやはりそのうちまた愚痴を言いに来るだろう。
ーーーー
「ーーオクタビオ?」
先程も訪れたごんべえの部屋に勢いよく飛び込む。
驚いているんだな、と分かるくらいには目を丸く見開いたごんべえが、オクタビオの名を呟く。
そして慌てたように小型端末を隠そうとして、案の定取り落とした。
ごんべえは少し抜けたところがある。
衝撃で跳ねた端末は、オクタビオの足元まで転がってきて止まった。
ああああ、と珍しくも間抜けなごんべえの声を聞きながらひょいと端末を拾うと、その画面には1人の男が映っていた。
見覚えがある……というか、これは。
「俺の、さっきの配信じゃねえか、これ」
オクタビオが先程の配信で最後にカメラにアピールしたその姿が、アップで映し出されている。
ごんべえに視線を移すと、当のごんべえは耳まで顔を赤く染め、口元を両手で覆っていた。
「ち……違うの、これはその」
弁解を始めたごんべえに構わず、あたふたする彼女を思い切り抱きしめる。
オクタビオの突然の行動に衝撃を受けたからか、ごんべえの口からはひえ、と呼気のような悲鳴のような小さな音が漏れた。
オクタビオは見ていた。
ごんべえが小型端末の画面を指で撫でながら、緩く口元を綻ばせていたのを。
アジェイの言葉が頭の中に響くようだった。
ーーただ家の名声のために俺の行動を疎ましく思っているなら、配信を見返して笑ったりするか?
オクタビオは燃え上がるように一挙に湧き上がってくる感情を知らなかったが、動き回りたくなるこの感覚は知っていた。
隠れて興奮剤を使った時や、レースに参加している時と同じくらいーー興奮している。
「俺はーー確かに、刺激を求めて走ってる。でも、それだけじゃねえんだ」
「お、オクタビオ……?」
「ごんべえの笑った顔が見たい」
ごんべえの細い腰に回した腕により力を込めてから、オクタビオはぐっと身体を離す。
見下ろしたごんべえの顔には、困惑と動揺と、そして羞恥の色が浮かんでいる。
仏頂面の仮面は案外一度突き崩せば脆いらしい。
「ごんべえが笑えないなら、俺にもちゃんと。ごんべえの気持ちを教えてくれ」
ごんべえは今、何を考えてる?
オクタビオの面と向かっての問いに、ごんべえはぽろりと言葉を零した。
「……うれしい」
「嬉しい?何が」
「……オクタビオが、そう思っていてくれたことも……こうして、話してくれたことも」
そして、一度唇を軽く噛み締めてから、意を決したようにごんべえは話し出した。
「オクタビオ、私、あなたに危ないことして欲しくないの。……その、……オクタビオは、私の大切な人…だから……」
顔をトマトよりも真っ赤にして、ごんべえはオクタビオの視線から逃れるように俯きながらも話しきる。
それは傍から見れば正に告白であるのだが、幼馴染という近い距離にいる事に慣れてしまった二人は揃ってそれに気づかなかった。
「俺もごんべえのこと大切だぜ。でも、退屈を紛らわすのに丁度いいアレを辞めるのは、悪いが無理だ」
ごんべえはその言葉を聞いて、また何時もの仏頂面が戻りつつあった。
オクタビオは気にせず、だから、と言葉を続ける。
「だから、何があってもごんべえの隣に必ず戻ってくるって約束してやる」
「……絶対に?」
「当然だ」
ごんべえはオクタビオの自信に満ち溢れた言葉を聞いて、ほんの少し口端を緩めた。
「わかったわ。仕方がないもの、信じます。……でも、私が心配してることは忘れないで」
「ああ。ーーそうだ、次のレースは楽しみにしとけよ!
目指すは新記録ーーそれも刺激的で超クールにゴール予定だからな!」
そのレースのタイトルは、「ガントレット」。
お互いを想う気持ちが世間一般的に何と呼ぶ物なのか、二人が気付くのはもう少し先のことである。
(title by サンタナインの街角で)
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