人間、時には諦めるというのも大切だと思う。
勿論、諦めない事は大変素晴らしい事ではあるし、なんでもかんでも簡単に諦めるのはよろしくないとも思う。
だけど、絶対無理っていう事が世の中にはあるわけで…その絶対無理っていう事が今なわけで…だから早く諦めてくれればいいのにと切実に思っている。

「あ、先輩! おはようございまーす!」

誰でもいいからこの後輩に諦めさせる方法を教えてはくれないだろうか。
朝も早々に校門の前でバッタリと出会ってしまった。私の顔を見るなりパァっと満面の笑顔で挨拶をしてくる後輩に思わずうっ、と声を洩らす。
私はこの笑顔が苦手なのだ。

「……おはよう、葵くん」
「朝から先輩に会えるなんて嬉しいなぁ、今日はいい日になりそうです」
「あぁそう…それはよかったね…」

心の底から嬉しいといった笑顔を向けられると、それに素っ気ない態度で言い返す自分がなんだか悪い人間のように思えてならない。
でもそうしなければ勘違いさせてしまうのだから、なんとも難しい話だ。
この後輩、葵くんとは…特にこれといった関係があるわけじゃない。
部活や委員会が一緒なわけでもないから、所謂ただの学校の先輩後輩、その漠然としかしない関係だけだ。
そんな程度の関係なのに、ある出来事がきっかけで知り合って、いつの間にか私を見かける度に声をかけられるようになった。
誰から見てもわかるとは思うが…つまり、彼は私に好意を抱いていると、そういうわけらしい。

「今日も先輩の教室に遊びに行ってもいいですか?」
「……いや、その…」
「迷惑ですか?」
「迷惑じゃないけど…」
「よかった! じゃあまた後で、失礼しまーす」

私の返事にまた嬉しそうな笑顔を浮かべて、律儀に深々と頭を下げて私に一礼する。毎度思うが礼儀正しい子だなぁと感心した。
そしてすぐに昇降口まで走っていってしまう。行動するの早いなぁ…とまた毎度ながらに思う。
ふぅ、とため息を吐く。朝から葵くんに会うと何故か疲れる。

「おはよう。朝からため息なんて吐いていたら幸せ逃げるよ?」

突然誰かに肩を軽く叩かれ、振り返れば佐伯くんが相変わらず無駄に男前な笑顔でそこにいた。
おはよ、と挨拶を返すと、また剣太郎? と問われた。こくり、小さく頷く。

「ほぼ毎朝剣太郎も健気だねぇ」
「うん…なんか、変に疲れる」
「迷惑なら言った方がいいよ?」
「べつに迷惑ってわけじゃないんだけど…なんていうか…あんなキラキラした目で見られると…どう反応していいのか…」

はぁ、とまたため息を一つ。とぼとぼと歩きながら昇降口に向かっていく。
そんなに気にする必要ないんじゃない? という佐伯くんの問いかけに、気にしなくちゃダメなの、と答える。
佐伯くんがよくわからないといった顔をするので、あまり言いたくはないが口を開いた。

「……期待持たせるような事言ってしまったら困るじゃない…」
「君が?」
「っていうより、葵くんが」

下駄箱から上靴を取り出しながら答えた。外靴から上靴に履き替えて廊下を歩く。
まだHRには時間があるし、廊下には生徒数名が仲良しグループに分かれて楽しく談笑していた。
私の言い分に、佐伯くんはやっぱりわからないと言った表情をする。言いづらいの察してくれないかな、とちょっと思う。

「……葵くん、私の事好きでしょ?」
「うん。話題の九割は君の話をしているくらいには」
「でも私は、葵くんの事好きじゃないの」
「嫌いでもないでしょ?」
「そうだけど……どっちかっていうと、苦手な方なんだよね…だから、その……」
「……あぁ、なるほど」

ようやく私の言いたい事を理解してくれたらしい佐伯くんは、君も大変だね、と苦笑いを浮かべる。モテる佐伯くんには日常茶飯事な話なのかもしれない。


その気もないのに期待を持たせるような言動をして、結局傷付くのは相手の方だ。
かと言ってわざと嫌われるような事をするのは何か違う気がする。別に迷惑とか、嫌いとかってわけじゃないから…。
だけど、諦めてくれるのは早い方がいい。彼は一年生で、私は彼が進級する前には卒業してしまうのだから。
私は彼に振り向かない、だから早く諦めてほしい。だけどそれをきっぱり言うタイミングがなかなかないというのが今の悩み所だ。

「そもそも剣太郎はどうして君を?」

教室に着いて鞄を自分の机の上に置く。佐伯くんは私の前の席なので、椅子に腰掛けながら私に問いかけてくる。

「1ヶ月前くらいかなぁ…葵くん、次の授業で使うプリントを運んでて、何かにつまづいてそれを見事にばらまいちゃったの。で、私がそのプリントを一緒に拾ってあげたんだよね」
「……それで?」
「いや、それだけ」
「えっ、それだけで?」
「私もよくわかんないけど…プリントを拾い終わった後にいきなり『年下はお好きですか?』って聞かれた」
「ハハッ、それはまた…」

直球だね…と佐伯くんは呟く。
確かに直球だが、直球すぎると思う。事実、その時の私にはその言葉の意味を理解するのにしばらくかかってしまったのだから。
年下はお好きですか? と問われたので、それはどういう意味で…? と問い返した。
勿論恋愛的な意味でです! と答えてきたので、じゃあ好きじゃないです私年上好みなんで。と即座に答えたのをよく覚えている。
多分、この時からすでに葵くんは私に好意を抱いていたのではないかと考えられる。自意識過剰と言われると否定もできないが。

「でもさ、他に思い当たる出来事がないし……」
「何がですか?」
「っ! あ、葵くんっ?」
「はい、葵剣太郎でーす」

突然私の隣に現れたかと思えば、にぱっと笑顔で名前を名乗ってくる葵くん。べつに今のは名乗ってほしいとかそういうわけではないのだが…。

「早速来ちゃいました」
「行動が早いね剣太郎」
「だってすぐに先輩に会いたかったから。……ところでサエさん、先輩と何話してたのさ?」

少しムッとした表情で佐伯くんを軽く睨む葵くん。
一方の佐伯くんは妙にニコニコとしていて、べつに、なんて答える。葵くんはほんとに? と言いたげな顔で佐伯くんを見ている。

「剣太郎と彼女の馴れ初めを聞いていただけだよ」
「ちょっと佐伯くん…!」

今しがた期待を持たせるような事を言いたくないと言ったというのに…私の言葉を理解してくれたんじゃないかと、私まで葵くんのように佐伯くんを軽く睨みつけてしまう。
そんなんじゃないから…! と否定するが、佐伯くんは笑いながら軽い調子でごめんと言うだけだ。謝ってるけど反省はしてないだろうなと思う。
馴れ初め、って単語に気を良くしたのか、パッと更に笑顔になる葵くん。今葵くんと目を合わせたらいけない気がした。

「あ、もしかして先輩と僕が初めて会った時の話?」
「まぁね、プリントを一緒に拾ってもらったんだって?」
「そうなんだよ〜。優しい人だなぁって思ってて、笑顔向けてもらった時に運命感じちゃったんだよね」

えへへ、とはにかみながら笑う葵くんの話を聞きながら、私笑顔向けたりなんてしただろうか…? なんて考え出す。
しかし言ってはなんだが、そんな事で運命を感じるってある意味すごいな…と思う。プリントを拾ってもらう度に運命を感じていてはキリがないではないか。

「そんな大層な事じゃ…」
「僕にとってはそれくらい嬉しかったんですよ!」
「あぁ…そう…」
「それにしても直球でいったね、『年下はお好きですか?』なんて」
「えっ、そんな所まで聞いちゃってるの? なんだか照れくさいな…まぁ見事に『好きじゃない』って言われたんだけどね」
「そうだろうね。確か君は年上が好きって言ってたよね?」

さりげなく確認を求めてくるあたり、佐伯くんなりの優しさなのだろうか。葵くんに私を諦めさせるなら、まず葵くんが私の好みではないと言って聞かすのが一番だろう。

「それは僕も聞いたよ。でも年上って、どのくらい年上がいいんです?」
「最低でも中村先生くらいの年齢かな」
「えーそんなにですか…?」
「そんなに、だよ」

うちの学校で一番若い中村先生でも私達とは十歳ほど歳が離れている。だいたい予想できる反応だったので、私は気にせずに答えた。
友達から若干引かれるくらいに私は年上好きだ。下級生はおろか、同級生さえも眼中にないほどに。
どこか尊敬に近い気持ちも含められるのかもしれないが、やっぱり好みを言えば年上がいいと思う。

「だから、葵くんに運命まで感じてもらっても、私は葵くんを好きになる事はないよ」

だから、ごめんね。面と向かって謝る。
私なりに申し訳ないという気持ちは込めているつもりだ。少なくとも葵くんを傷付けてしまうのだから。
丁度タイミング良くチャイムが鳴り響く。もうすぐ先生が来てHRも始まるだろう。

「あ、戻らないと。……じゃあ、失礼します」
「うん、」

私の返答に相当応えたらしい、葵くんはいつもよりも元気のない声を出していた。当然といえば当然だ。
落ち込んだ様子で教室を去った葵くんの背中を見ながら心がチクリと痛む。
私にだってやっぱり気持ちに応えてあげられない事への罪悪感くらいはある。ほんとに申し訳ないとも思う。
でも、葵くんの為にもこれでよかったのだ。

「あまり嬉しそうな顔はしてないね」
「……そりゃ、悪い事したとは思うし…喜べないでしょ」
「それだけかな?」
「……佐伯くん、何が言いたいの?」
「いや、べつに」

フフッ、と意味深長な笑みを浮かべて佐伯くんは言葉をはぐらかす。そしてそのまま私に背を向けた。
本日何度目かのため息を吐いたのと同時に先生が教室に入ってくる。
何故だか、先程の葵くんの寂しそうな背中が頭から離れなくて…先生の言葉は耳に入らなかった。
ちくり、また胸の奥が痛んだ。




――――――――――




それから早いもので昼休み。私は特に予定もなく、どこに向かうでもなく廊下を歩いていた。
今朝の事もあって何もする気になれず、かといって教室にいると何かと騒がしいので、こうして適当に歩いているわけだが…。
静かな図書室にでも行こうか、本が読みたいわけじゃないが何もしないでボーッとしておくには最適の場所だ。

(昼休みって、こんな暇だったかな…?)

ふと、そんな事を思った。
どこに行こうかと考えながら歩き回るほど、私は暇な昼休みを過ごしていただろうか? 確かそんなに出回っていなかったような気がする。

(……あ、そうだ。葵くんが昼休みにずっといたから…)

随分と早く疑問が解決して、妙に納得してしまう。
ほとんど毎日、昼休みに葵くんが教室に来てずっと話をしてきてたから暇と思う事はなかったのだ。
先輩、今日のお弁当のおかずはなんですか? 僕はこれです! なんて言いながらお弁当のおかずを見せてくれたり。葵くんの問いかけに私が適当に答えていたり。
……思えば私ってかなり酷い奴だなぁと今更ながらに思った。
さすがに今日はあれから葵くんが教室に来ることはなくて、まぁだから私はこうして図書室に向かっているわけなのだが…。

「………………」

別に、葵くんがいなくて寂しいと思ってはいない。ただ、葵くんがいなくて嬉しいとも思っていない。
でも、何故か何かが足りないような、そんな感じがしている事に少しだけ驚く。
後悔はしていない、葵くんに諦めてほしかったのは事実だから。こうなる事もわかっていたのだから。

(私、変だ…)
「あ、先輩!」

後ろから聞き慣れた声が耳に入った。
振り返ってみれば、そこにはやっぱり葵くんがいた。いつぞやみたいに大量のプリントを抱えながらも、にぱっとした笑顔を浮かべている。

「葵くん…」
「どうしたんですか? こんな所、で、」

葵くんは私の元に歩いてきながら問いかけてきた。が、言い終わる前に何かにつまずいた。
幸い葵くんは転ばずには済んだようだが、大量に抱えていたプリントがほとんど廊下一面に散らばってしまった。あちゃー、後ろ頭をかきながら葵くんは苦笑いを浮かべる。

「……大丈夫?」
「はい、僕は大丈夫ですよ!」

へらっ、と笑いながら葵くんはしゃがみこんでプリントを広い集める。
無視して行くわけにもいかないので、私も一緒にしゃがみこんでプリントを拾う。

「ありがとうございます」
「いや。…それにしてもすごい量だね」
「そうなんですよ〜、先輩の所に行こうと思う度に先生に捕まっちゃって…今日はついてないや」
「えっ…じゃあ、先生に頼まれなかったら私の所に来るつもりだったの…?」
「勿論! ……もしかして、僕が来ないと思ってました?」
「……だって…あんな事言った後だし…」

小さな声でボソボソと呟く。自分から言うのにあまりいい気はしない。
葵くんと目を合わせられなくて俯きながらプリントを拾う。

「そりゃ、少しはショックでしたけど…僕立ち直り早いので!」
「あー…そうなんだね…」

今朝の元気のない声を出していた子とはとても思えないくらい、葵くんは元気だった。
落ち込んだ所をあまり見たことがないし、ほんとに立ち直りが早いんだなぁと思った。嘘をつくような子じゃないのは元々わかっているが。

「それに、」
「……それに?」
「実は僕、自分を好きになってくれた人が好みだったりするんです」
「は…?」

唐突な発言に思わずキョトンとなる。
顔を上げると、相変わらずにぱっと笑う葵くんの笑顔と目が合った。
拾ってくれてありがとうございます、私からプリントを受けとりながら礼を言われた。
なんと答えていいかわからずにいると、葵くんはそのまま続けて話し出す。

「僕、僕に惚れてくれた女の子がタイプなんです。でも先輩は違うじゃないですか? 僕の好きなタイプではないハズなんです」
「……えーっと、それで…?」
「でも僕は先輩が好きなんです。だから、好みのタイプは必ずしも好きな人と一致するとは限らないんですよ!」

僕が証人です! 自信満々にそんな事を言われても…と思いながらも口には出さない。
葵くんは集めたプリントを置いて、何故か私の手を握りしめる。
右手を丁寧に両手で握られ、いつものキラキラした目で見つめられる。うぅっ…、と声を洩らす。

「つまり先輩だって、もしかしたら僕を好きになってくれる可能性もあるかもしれないって事じゃないですか?」
「いや、だから…!」
「確かに、僕はどうやっても先輩より年上にはなれませんけど、それで諦めるのは嫌なので」
「………………」
「それに、その方が逆にプレッシャーかかって頑張れます! 僕プレッシャーかかると強いんですから!」
「プレッシャーって…」

いつだったか、葵くん自身から聞いた事があった気がする。ギリギリの状況で自分自身にプレッシャーをかける事により、火事場のなんとやら…とにかくいつも以上の実力を出せるという。
だけど、それはあくまでテニスの話であって、私の事とはいまいち関係ないんじゃないかなぁとこっそり思った。

「だから、」

ジッ、と真剣な表情で私を見つめる葵くん。私は黙って葵くんの言葉を待つ。
真剣な表情になったかと思いきや、またにぱっと笑顔になる。
いきなり表情が変化したものだから、思わずキョトンとなってしまった。
すぅ、大きく深呼吸して、葵くんは言葉を紡いだ。

「僕、絶対先輩を振り向かせてみせますよ! 貴女が好きですから!」
「……っ、…」

葵くんが堂々と宣言した、その瞬間…。
聞き間違いだと思いたかったが、耳元で確かに聞こえた音。


トクン、と…


間違いなく、心臓がいつもとは違う跳ね方をした音が響いた。
それを合図に心臓の動きは加速して、全身に血を送り出そうと活動する。この音が葵くんに聞こえてやしないかと心配するほどになってしまった。
何も言い返さずにいると、葵くんはあっ、と声を出して私の手を離す。

「早くプリント運ばなきゃ、じゃあ先輩、また!」

そう言った葵くんは立ち上がってプリントを持ち上げる。そのまま声をかける間もなく行ってしまった。
そして、残された私は立ち上がれずにいた。ここが人通りの少ない所なのが救いだと思う。
多分、今…ほんの少しだけかもしれないが、顔が赤くなっているんじゃないかと思う。妙に熱くて上を向けないのだ。

(……不覚だ)

まさかあんな一言で心が揺らいでしまうなんて…。
だけど、その一言できゅんと胸の奥が疼いたのは紛れもなく事実で…この胸の高鳴りや顔の火照りがなによりの証拠だ。
好きにはならないよ、なんて言った矢先なのに…今後どうすればいいのだろう。
葵くんの言った通りだ、好みのタイプは必ずしも好きな人と一致するとは限らない。まさかこんなに早くそれを思い知らされるとは思ってもみなかった。

(いやいや、でもべつに好きになったワケじゃないし…うん、そうだ、……うん)

無意味だと思いながらも自分にそう言い聞かせる。全面的に認めたくないのはきっと私の小さな意地やプライドだ。
葵くんに諦めてほしいと切実に願っていたが…その言葉はそっくりそのまま自分に返ってくるようだと思った。







どうやら、早く諦めるのは私の方かもしれない。


Plan/『逆に』様へ提出。
Title/確かに恋だった




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