ゴポリ、ゴポリ、お湯を沸かしていたやかんが沸騰の合図を奏でている。
注ぎ口から蒸気を吐き出す様を確認し、ガスコンロの火を止めた。
 きちんとした紅茶の茶葉ではなく、市販のお手軽な粉末の紅茶を人数分のカップに入れてお湯を注いでいく。
粉が融解していくのを確認しながらスプーンでカップの中をかき混ぜると、ふわりと紅茶の香りが鼻腔を満たした。
慣れた手付きで砂糖の入ったビンからそれを掬い取っていく。サラリとした粒が紅茶の海にゆっくりと沈む。
 ここ最近になって木ノ宮家の台所を使う機会が随分と多くなり、今じゃどこに何があるかも大体把握出来てきた。
木ノ宮家は幼馴染であるタカオくんの家なので、幼い頃からいつも遊びに来ていたけれど、台所を頻繁に使わせてもらうようになるとは思わなかった。
 最近、タカオくんのお家にはお客さんが沢山訪れている。
沢山と言ってもメンバーは決まっていて、タカオくんと一緒にベイブレードの大会でチームを組んでいた男の子達3人と、そのサポートをしているキョウジュくんとヒロミちゃん、そして私の合計で6人。
 主だってやる事と言えば、タカオくん達がキョウジュくんとヒロミちゃんの考えた練習メニューをこなしていくか、4人でトーナメント形式でベイバトルしているかだ。
私は特にサポート役というわけではなく、単にお菓子を差し入れしたり、こうして飲み物を作ってるだけである。
 私のベイブレードについての知識は、その名前と簡単なルール程度だけど、皆が遊んでいるのを見るのは意外と楽しい。
それに皆が私の作るものを喜んで食べたりしてくれるのは嬉しいし、少しずつでも皆といろいろ話せてあの場に馴染めていると感じられるからそれだけで満足だ。
 温かい紅茶の中へ蜂蜜をスプーン1杯とすりおろした生姜を少量加えていく。
渦を描きながら蜂蜜や生姜が溶けて混ざり合う。
 季節は少しずつ冬へと変わっており、気温の変化が昼夜で激しい時期になってきていた。
私も季節の変わり目には風邪をひきやすいので、紅茶にひと工夫した飲み物で身体を温めるようにしている。
皆1日中外にいるし、これを飲んで少しでも温かくなればいいなと思いながら、1つ1つ丁寧に紅茶を混ぜていく。紅茶の香りに加えて生姜の匂いもしてきた。
「邪魔するぞ」
「あ、カイくん」
 突然やってきたカイくんに少し驚いていると、カイくんは特に返事もせずに流し台へやってきた。
カイくんはタカオくんと一緒にチームを組んでた子の1人だ。
 灰色と黒のツートンカラーの髪型と、頬に描かれた三角マークのペイントが特徴的な男の子。
皆の中では1番無口でちょっと怖い雰囲気のある子だけど、最近は普通に話しかければ答えてくれるようになった。
素っ気ないながらに皆を気にしていたりしていて、実は優しい子なんだなぁなんて勝手に思っていたりする。
 カイくんは私の事は気にせずに、近くに置いてあったコップに蛇口から水道水を注いだ。
それをすぐに口へと運んでいき、ゆっくりと飲み干していく。
そんなに喉乾いていたのかなぁ、などと思いながら無意識にカイくんを見つめていた。
 ふぅ、と小さく息をついたカイくんは私の視線に気付いて目を合わせてくる。
ばっちり目が合ってしまった、何だか恥ずかしい……。
「喉渇くよね、外乾燥してるし」
「ああ」
「お水飲んだ後に渡すのもアレなんだけど……良かったらこれも飲んでみて」
「……紅茶か?」
 私が差し出すカップを受け取り、カイくんは少しだけ顔を近付け、中身の匂いを嗅いで私に問いかけてくる。
少しだけカイくんの顔が和んだような気がする、紅茶の香りは嫌いではないようで安心した。
 静かに紅茶を口に含んだカイくんは、じっくりとその味を堪能するかのように飲み込んでいく。
何故だか味を審査されているような妙な緊張感がある。思わず身体が強ばってしまう。
「どう、かな?」
「美味いな」
「よかった、生姜と蜂蜜入ってるから身体も温まるよ」
 最近どんどん寒くなってきてるよねー、と何気なく呟けば、そうだな、と静かな声で返事が返ってくる。
私がなにか言えば、カイくんは短い言葉だけど必ず答えてくれる。
ほとんど私が一方的に話しているだけのようにも思うけど、カイくんと話すのは嫌いじゃない。
「いつもすまないな、感謝している」
「えっ、……い、いやいや、そんな! 感謝なんて! 私が勝手にやってるだけだし!」
 あまりに突然過ぎて、言葉を理解するのが遅くなった。
まさかカイくんに「感謝している」なんて言われるとは思わなかったから、普通に驚いてしまった。
 その言葉を頭の中で理解したら妙に顔が熱くなってきて、何故か言葉が上手く出てこなくて、変に上ずった声にプラスして大袈裟なリアクションで返答してしまった。
自分でも何をしているのやらと思う。べつにその言葉に深い意味があるわけでもないのに。
「そ、それに、この時期って昼夜の温度差すごいから、風邪とかひきやすいじゃない? 私もタカオくんも小さい頃からすぐ風邪ひいてたから、予防じゃないけど何かしとかないとなぁって!」
「…………」
 紅茶を飲みながら黙ってしまったカイくんの表情が、なんだか曇っているように見えたのは私の気のせいだろうか。
どうしたのかなぁと首を傾げると、カイくんは静かに紅茶のカップを机に置いた。
陰りのある瞳で見返されて少しだけどきりとしてしまう。
 元々カッコイイなぁと思っていたけれど、見つめてると改めて気付かされてしまう。
本当に整った顔してるなぁとか、睫毛長いんだなぁとか……。
「随分過保護なんだな。そんなに木ノ宮が心配か?」
「へ? そりゃあ、幼馴染みだもん。心配にもなるよ」
「幼馴染みだから、だけなのか?」
「えー? それ以外に理由なんて」
「本当だな?」
 冗談でも言っているのかと思って、笑いながら答えていたのに……突然カイくんの声色が変わった。正しくは、変わったように私が感じただけだけれど……。
変化したように感じられた声色で問いかけられた瞬間、少しだけ強い力で手首を掴まれた。
痛みを感じるような強さではなかったが、簡単には離してもらえないようにも思う。
 カイくんはずっと私を見つめている。先程のように陰りのある瞳ではなく、ただ真っ直ぐ……真剣なそれで。
「本当なんだな?」
 今一度、確かめるように問われた。
どうしてそんな顔して、そんな事を聞くのだろうか。そんな事を頭の隅で考えながら、問いかける勇気はない。
 私の問いかけよりも、カイくんは私の答えを求めているから。
その答えを早く知りたいと、カイくんの瞳が私に訴えてくる。
とくん、と胸の奥が疼いた。
「……ほ、本当だよ」
 そう答えるだけで精一杯だった。それ以外の言葉を忘れてしまったような、そんな錯覚さえおこしそうになる。
自分の言葉が合図になったのかはわからないが、言葉を発して徐々に心音がすごい勢いで早まっていった。
耳元まで音がダイレクトに響いてくる、掴まれた手からこの心音がカイくんに聞こえてないだろうかと不安になる。
 そんな私の不安を知ってか知らずか、カイくんは私からの答えを聞いても手を離してくれる様子はない。
沈黙がその場を包み込んでいたが、カイくんから何か言ってくれないと私は動けなかった。
交わった視線を離すこともできない。何故だか目を逸らしてはいけないように思ったから。
情けないけれど、今この状況で私はどうしたらいいのかわからないのだ。
身動きができないまま、ただ黙って時間が過ぎるのを待っている。
 やがて、カイくんの唇が微かに動いた事に気付いて、カイくんから告げられる言葉に耳を傾けた。……それなのに。
「カイーッ!? いつまで水飲みに行ってんだよっ、次の俺の対戦相手お前なんだぞっ!」
 バタバタと近付いてくるけたたましい足音に、全てを遮られてしまった。
カイくんは口を開くのを止めてしまい、足音の主が来る前に掴んでいた私の手を離してくれた。
微かに残る手の感触に寂しさを覚える。
 台所の入り口までやってきたタカオくんは、カイくんを見つけて大声で文句を並べてきた。
一方のカイくんは少々不満気な表情を浮かべている。
「煩いぞ木ノ宮、すぐにいく」
「早くしろよっ! この前は負けたけど、今日は負けないからな!」
「ふんっ、今日も俺が勝つに決まっているだろ」
 そんないつもの会話をタカオくんと交わしながら、カイくんは先程机に置いた紅茶を持ってタカオくんの元へと向かっていく。
カイくんは私には顔を向けないままタカオくんと去ってしまったが、正直それでよかったかもしれない。
今自分がどんな顔をしているかはわからないけれど、間違いなく赤くなっているのはわかる。だって、ものすごく顔が熱いから。
 握りしめられていた手首に触れる。今しがた自分の身に起こった事を思い出して、また顔が熱くなってしまいそうだ。
とくとくとく、先程よりは多少マシになったけれど、心音はまだ早いままだった。

――本当なんだな?

 問い掛けられた言葉が頭の中でこだまする。
真剣な声が、瞳が、今でもしっかり私の記憶に刻まれていて……忘れたくても、忘れられない。
その問いの意味も、手首を掴まれた真意も、わからない……そうなのかもしれないという推測だけは浮かんでも、真実まではわかるはずもない。
わからない事に対しての疑問ばかり募ってしまって、あまり賢くない頭でいろんな考えを巡らせてしまう。
(最後、何を言おうとしたのかな……?)
 タカオくんが遮らなければ、聞けたかもしれないカイくんの言葉が何なのか、それを問えるわけもない。
一番の疑問を残したままで、私の心は悶々としてしまう。
 自分の分の紅茶に手を伸ばす。こくっと少しだけ口に含めば、紅茶独特の甘さが広がって落ち着く。
顔が熱いのは紅茶の中の生姜のせいだと自分に無理矢理言い聞かせ、皆の分の紅茶を運ぼうとトレーを用意した。
紅茶と生姜の香りに満たされながら、しばらくはカイくんの顔を見ることができないなと確信するのであった。




「カイーッ、そんなの飲んでないで早くバトルしようぜ!?」
「まったく……お前はもう少し待つ事を覚えろ」
「なんだとーっ!? ……ってカイ、お前なんでそんな顔が赤いんだ?」
「……中に入ってる生姜のせいだろ」

終。


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