学パロ、
DLCトウ艾さんのつもり
――――――――――――――――――――

 トウ艾さんが風邪を引いたそうだ。
今朝、学校の校門で会った司馬昭くんから聞いた時は、正直いつかはこうなるだろうと思っていた。
 トウ艾さんは高校生という身の上ながら一人暮らしをしていて、生活費やら諸々の必要なお金を全てアルバイトの掛け持ちで賄っている。
時々バイトが遅くまで掛かって寝る時間がなかったからと、午前中の授業を全部保健室で爆睡していた事もあった。
 正直、それで済ませてしまうのもどうなのだろうという時がたまにある。
寝てなんとかなるならそれはそれでいいのかもしれないが……。
 いくら体格が良すぎるほどに恵まれていて、体力も有り余るほどだとしても、休みなく働いていたら疲れは身体に蓄積されてしまうもの。
学校以外の時間をほとんどバイトに注ぎ込んでると言っても過言ではない生活をしていれば、いつかは疲労が溜まって病気になってしまうのは必然的だ。
 まさに今日の風邪がそれである。
日頃から自分自身に優しくない人だなぁとは感じていたものの、こればかりは流石にやり過ぎてはないかと思ってしまう。
(でもやっぱり心配は心配だから、ね……)
 日も傾いて夕暮れに染まる坂道を一人てくてくと歩いていく。
買い物帰りの主婦が集まって井戸端会議の真っ最中だったり、帰宅途中であろう中学生が自転車で私を追い越していったり、さほど人通りは多くない坂道だが、人がいるだけで印象は随分と温かく感じられた。
 司馬昭くんから、トウ艾さんの家の鍵を渡されたのは放課後の事。
昇降口で靴を履き替えていたら、いきなり「受け取ってくれよな!」と投げ渡されたのだ。
爽やかな台詞に似つかわしくない勢いで投げられた鍵を無事に受け取り、何故私に渡すのかを問い掛けたところ「看病と託けて寝込み襲ってこいよ!」と、ものすごくいい笑顔のお返事。
 さらりとなんて事を言うのかこの人は……と内心ちょっと呆れてしまったのは内緒の話だ(ちなみに司馬昭くんが、後ろにいた元姫ちゃんに蹴り飛ばされた事は言うまでもない)。
 要は自分たちの代わりにトウ艾さんのお見舞いに行ってほしいと言うことだった。
あまり大人数で行っても逆にトウ艾さんに気を遣わせてしまうし、男の司馬昭くんが行くよりも女の私の方が、トウ艾さんも大人しく看病されてくれるだろうというのが司馬昭くんの言い分。
 でも本音は、ただただ元姫ちゃんに他の人の看病をしてほしくないからだそう(「元姫は俺の専属ナースだあっ!」とか言って、また元姫ちゃんに蹴られてた)。
 そんなこんなで司馬昭くんにトウ艾さんの看病係を任命された私は、一人夕暮れの坂を上がりながらトウ艾さんの住むアパートへと足を運んでいるわけだ。
トウ艾さんの部屋には何度かお邪魔した事があるので、記憶を頼りにゆっくりと目的地へ向かっていく。
(熱は下がったのかな……熱が下がったからバイトに行くとか言い出してたらどうしよう……)
 トウ艾さんならやりかねない。不意にそんな不安を抱いてしまい、私は少しばかり歩くスピードを早めた。
 どうも私の中のトウ艾さんのイメージは、平然と無茶をする人、らしい。
トウ艾さんは自分の体を軽視している気がしてならないのだ。
生活費の為とはいえ、学校通ってバイトに行って一日中働き詰めで……それなのに勉強もちゃんとしていて成績だって悪くないし、人柄も良いから皆から好かれていて……。
 今更だがトウ艾さんはやはりものすごい人なのだと思ってしまう……クラスメイトなのに、何故だか私の方がこんな奴で申し訳ない気持ちになってしまう。
私がトウ艾さんの事を「トウ艾さん」って呼んでしまうのは、多分そんな気持ちのせいだと思う。
クラスメイトなのに、なんか私とは違いすぎるって……そんな事を思ってしまう。
(風邪ひいた時くらい、ゆっくり休まないと……)
 心の中で呟いて、小さな溜め息を一つ。それを合図に立ち止まった。
目の前には木造建築の少しだけ古めかしいアパートが聳え立っている。
二階建てのアパートには部屋が六つ、二階に上がって最奥の部屋がトウ艾さんの家だ。
 何故か妙に緊張する、トウ艾さんの家に一人で来たのは今日が初めてだからかもしれない。
ゆっくりと足を動かしてアパートの敷地内へと入っていく。
砂利を踏みつける音が妙に大きく聞こえた。
少々錆び付いた階段に足をかける、カツン、カツン、規則正しい音が響く。
 トウ艾さんの部屋が近付く度に、少しだけ心音が早くなったような気がした。
随分と長い距離を歩いたような錯覚を覚える。まるで冒険を積み重ねた勇敢なる勇者のような、そんな大袈裟な事を考えて自分でも笑ってしまう。
 トウ艾さんの部屋の扉の前に辿り着く、これが冒険ならここが最終ステージというわけだ。
……別に最終ステージだからってこの先にボスがいるわけではないが。
コン、コン、金属製の扉をノックしてみる。返事はない。
(寝てる、のかな……?)
 病人なんだから寝てて当たり前じゃないの、と自分にツッコミを入れて、司馬昭くんから受け取った鍵を鍵穴へ。
ガチ、鍵の開いた音が耳に入り、ゆっくりとドアノブを回した。
 すんなりと開いた扉の向こうは薄暗い。
淡いオレンジ色の光が奥の窓から覗いていて、眩しさに目を細めた。
綺麗に並べられた靴の隣に自分の脱いだ靴を置かせてもらい、小さな声でお邪魔します。と一言。
 玄関から部屋までの距離はほとんどなくて、物があまりない殺風景な畳の部屋は大きな布団に占拠されていた。
はみ出た大きな足はぴくりとも動かないが、毛布に被われた部分は呼吸と共に小さく上下している。
 音を立てないようにそっと頭の方へと移動していく。
見慣れた金髪が足同様に布団からはみ出ていた。
穏やかな寝顔を浮かべたトウ艾さんがそこにいた。静かな寝息が聞こえる。
 ゆっくりと膝を折って正座をしながら、改めてトウ艾さんの寝顔に目を向ける。
顔全体が赤みを帯びている。まだ熱は下がっていないのだろうか、額には大きな冷えピタが貼られていた。
そっと、トウ艾さんの頬に触れてみる。
(熱い……)
 掌から伝わる彼の体温が、通常のそれよりずっと熱いことに驚いた。
するりと手を滑らせ、首筋へと手を添える。少量の汗が手を濡らす。
唇が乾いているように見える、水分はきちんととっただろうか。
 きゅうっ、と酷く胸が締め付けられる。堪らない悲壮感が身体を支配してくる。
どれだけこの人は自分の身体に無理をしたのだろうか、こんなになるまで無理をして……。
 もう一度、トウ艾さんの頬に手を移す。微かに伸びていた髭がチクチクと手を刺激した。
親指の腹でトウ艾さんの唇を撫でる。乾燥した唇はかさついていて、あまりいい触り心地ではない。
唇の形をなぞる様に撫でていると、ほんの少しだけトウ艾さんの唇が動いたのを指先が感じ取った。
「トウ艾さん……?」
 声が小さくて聞こえなかったのかと思い、トウ艾さんの口元に耳を近付けようと腰を曲げる。
瞬間、頭の後ろを強い力に押された。
トウ艾さんの顔が至近距離の所で止まったが、私の思考は既にパニックだ。
トウ艾さんの唇を凝視するような状態になっていて、余計にわけがわからない。
 微かに開く唇から漏れる熱を持った吐息が顔に掛かる。
トウ艾さんの呼吸が妙に艶っぽく感じるのは私の気のせいだろうか。
耳にまとわりつく心音がやけに大きくなった、どきどき、どきどき、どんどん加速している気がした。
「あまり、煽らないでいただきたい」
「えっ……?」
 開いた口から紡がれた言葉に驚いて、目だけを横に動かす。
先程まで閉じていたトウ艾さんの目は開いていて、瞳孔がしっかりこちらを見据えていた。
 視線が交わった瞬間、今まで以上に心音が大きく響いた。ドクン、と……そのまま心臓が骨や皮膚を破って飛び出してきそう、なんて思う私は相当混乱しているらしい。
 しかしながらだんだんと冷静を取り戻し、とりあえず今どうしてこうなったかの状況確認を始めた。
まず、なぜ私はトウ艾さんとこんなに至近距離になっているのか。視線を動かして、トウ艾さんの腕が私の後ろに回されている事に気づく。
どうやら私の頭を押したのはトウ艾さんの手のようだ。
 疑問が一つ解決したのはいいが、不明な点はまだある。
何故未だに私はトウ艾さんとこの至近距離のままなのか、それからトウ艾さんの「煽らないでいただきたい」という言葉の意味だ。
「あ、煽らないでってどういう……」
「頬や首ならまだしも、口をあのように触れられるのは……流石に自分も理性を抑えるのが……」
「へ? ……え、あ、いやっ、ちがっ……私、そんなつもりじゃ……!」
「ん? 司馬昭殿から、貴女が自分の寝込みを襲いに来ると連絡があったので、てっきり……いや、自分の勘違いでしたか、失礼した」
 そう言ってトウ艾さんは私の後ろ頭から手を離してくれた。
私は急いでトウ艾さんから顔や手を離す。心臓は未だにばくばく鳴っている。
顔が熱い。私まで熱を出してしまったような気がしてきた。
 それはそうとしても、トウ艾さんの勘違いより司馬昭くんの連絡の方が問題である。
真面目なトウ艾さんが司馬昭くんの言った冗談を真に受ける事くらいわかっていただろうに……否、わかっていたからこそかと自分の中で納得して自己完結した。
 私が勝手に自己完結した矢先、むくりと起き上がるトウ艾さんは「お茶を用意しよう」と言ってそのまま立ち上がろうとする。
病人にそんな事をさせるわけにはいかないし、お茶くらい私がやるからと、拙い言葉でトウ艾さんを説得して再び布団の中に戻らせた。
 台所に移動した私は、食器棚からコップを二つ手に取り、ガスコンロに置かれたヤカンからお茶を注ぐ。
茶透明の液体がみるみるコップを満たした。
それをもってトウ艾さんの元へ戻り、コップを手渡す。
 お茶はすぐに私の喉を潤した。トウ艾さんも同様だ。
底に少しだけお茶の残ったコップを傍に置いて、ふとした疑問をトウ艾さんに投げかけてみる。
「ちなみに、いつから起きてたの……?」
「貴女が玄関に入ってこられたあたりから」
「言ってくれればいいのに……」
「寝込みを襲いに来られるなら、寝たふりをしていた方がいいかと」
「そんな気遣いいりませんっ」
 至って真面目に答えるトウ艾さんにこっちの方が恥ずかしくなってしまう。
改めてトウ艾さんの横で正座を組んだ。心音も先程に比べればなんとか治まった。
 相変わらず窓からはオレンジ色の光が射していて、ここに来てまだほんの数分しか経過していない事実に気付かされる。
「熱は下がったの?」
「今朝よりは。咳も治まったし、夕方のバイトに行こうかと思っていたのですが、司馬昭殿にとめられまして」
「そりゃそうでしょ……」
 杞憂で終わってくれたらよかった不安が見事に的中していて、少々複雑な気持ちになってしまった。
トウ艾さんらしいと言えばそうなのであるけど、やっぱり自身に優しくない人だと心配にならずにはいられない。
 急に私が黙ってしまったのが気になったのだろう、トウ艾さんは私の名を呼んで少々困った顔を浮かべて首を傾げた。
私の事を心配してくれるのは嬉しいが、その気持ちを少しでも自身に向けてはくれないだろうか。
もう少しだけでも、自身に優しくしてはくれないだろうか。
「あんまり、無理しないで」
 素直に思ったことを口にすると、トウ艾さんは困り顔に少しだけ柔らかい笑みを見せてくれた。
すまない。小さく紡がれた謝罪の言葉が優しくて、胸の奥が疼いて熱くなる。
 心做しかまた顔まで熱くなってきたような気がしてならない。
そんな顔を見せたくなくて、思わず顔を伏せた。さっきみたいにまた心音が早くなったかもしれない。
ドクドク、心臓から送り出された血が熱を含んでいるようだ、どんどん体温が上昇しているような、そんな気がする。
 トウ艾さんに再び名前を呼ばれた。ゆっくり顔を上げようとしたが、その前にトウ艾さんの手に顎を掴まれた。
ぐいっ、と勢いよく顔を上げられたが、決して強引ではなく痛みはなかった。寧ろ優しくて、温かい。
顔を上げられたかと思えば、そのままトウ艾さんの顔が近づいてきて、額と額がピッタリと引っ付いた。
 いつの間に冷えピタを剥がしたのだろうか、なんて呑気な事を考えていた。でなくては自身を保てなかったからだ。
冷まされていたはずの額はすぐに熱を取り戻している、やはりまだ熱があるからだろうか、もしや私の額の熱を奪ったのだろうか、原因はよくわからない。
「と……がい、さん……?」
「この通り、熱は下がっている。そんなに心配しないでほしい」
「……私よりずっと熱いってば」
「自分の平熱が元々高いだけだ」
 だから、大丈夫だ。
はっきりと告られる大丈夫に、少しだけ怪しいなと感じはしたが、それについては何も言わないでおいた。
トウ艾さんが私を心配させまいとしている事は充分理解できたから。
 私の方が心配されてどうするんだ……と自分に少々呆れてしまうが、それと同時に嬉しさを感じてしまう私は不謹慎だろうか。
ふふっ、と思わず笑が溢れてしまった。それに安心したのか、トウ艾さんの口元も微笑んでいる。
「ご飯まだでしょ? お粥作るね」
「ああ、有難い」
「とりあえずもう一回ちゃんと熱測ってみて」
「了解した」
「測ったらちゃんと体温計見せてね?」
「……了解した」
 言わなきゃ絶対見せなかったな。念を押しておいてよかったと思った。
トウ艾さんから離れて再び台所へと向かう。
制服のポケットから携帯を取り出す、元姫ちゃんから送ってもらったお粥の作り方のメールを開いた。
 これまで料理など親の手伝いか、調理実習でしか作った事のない私がお粥の作り方を知っているわけもない。
こっそり元姫ちゃんにメールを送っておいてよかった。心の中で元姫ちゃんに感謝する。
 と、突然携帯が振動した。司馬昭くんからのメールが届いていた。
「寝込み襲えたか?」のタイトルから始まり、こちらの様子はどうかといった質問の内容だった。
先程の出来事を言ったらどんな反応をされるだろうか、と一瞬考えて絶対数日に渡って話のネタにされるからやめておこうと固く決意する。
(でもあれは……私が寝込みを襲ってもよかったって事なのかな……?)
 少なくとも拒絶の反応ではなかったし、どちらかといえば受け入れ態勢だったようにも思える。
そんなことは絶対しないと誓えるが、もし私があのままトウ艾さんの寝込みを襲っていて、トウ艾さんもそれを受け入れていたら……といらぬ妄想が働いてしまった。
 頭を思いっきり横に振って妄想を振り払う。何を考えているのか私は……。
膨らみかけた妄想を頭の片隅に無理矢理押し込み、とりあえずこちらは大丈夫、といった旨のメールを司馬昭くんに送って、お米の準備にかかる。
 今はお粥を作る事に専念しよう。雑念を封じ込めるように心の中で決心する。
またしても顔が熱いなんて、やっぱり私も熱が出てきたのかもしれない。


終。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -