※榛名:高2、野球部ですが武蔵野ではありません。
※武蔵野の元希さんとは別人物。
梅雨の明けた暑い暑い、あつい日だった。
俺は熱と“もや”の渦巻く頭をぐらつかせながら、アスファルトの照り返しのなかを自棄気味に歩いていた。
そして、そこにたどり着いた。
「夏の日にあらわれる」
「あっつ…」
コンビニか小さい商店でもいいから何か飲み物の帰るところがあればよかったのだが、歩けど歩けど…いや歩けば歩くほどまわりには住宅地、そして空き家しか見あたらない。
汗が滴る。足がだるい。
まとわりつくような暑さと太陽の直射がみるみる体力を奪っていく。
全てがうまくいかない。
蝉がうるさかった。
「クソ…何なんだよ…」
春大会が始まってすぐ、膝に違和感がでるようになった。
少しのあいだ治療させてほしいと頼むと、今休むならエースナンバーはやれないと言われた。
部活に行くのが、嫌になった。
期待されているのは知っている。
エースは自分以外には務まらない、という自信もあった。
だけど俺には未来がある。そう言い聞かせての決断だった。
…それなのに。
もう何が何だかわからなくなって、炎天下の真昼に学校を飛び出してきたのだった。
「…投げてェ。」
しかし唯一の発散となる投球も、スランプに陥ってしまった今となっては気を晴らす役には立ちそうになかった。
もう自分ひとりではどうすることもできないのだ…これが絶望ってやつなのか。嘲笑すら、道路の先に遠く見える逃げ水に吸い込まれていくようだった。
ちりん、
ふいに、ジワジワと煩いアブラゼミの声に澄んだ高音がまじっているのに気づく。
立ち止まったそこには、年期の入った建物の古本屋があった。
「来栖書店」と掲げられた看板をしばらく見上げる。
…読めない。
頭がぼーっとして働かないせいだということにする。
開け放たれた引き戸には“営業中”という古びた木の板がかかっている。
の朝顔と花火が描かれたガラスの風鈴がほぼ無風状態の今日の気流にわずかに揺れていた。
「………。」
店内は暗く、外の世界と空気が違っているようだった。
太陽が遮られて体感気温がぐんと下がる。シャツは相変わらず張り付いたままだったが、そこが酷く心地よいものに感じた。
かびくさいような、古いインクやら紙のにおい。
学校の図書室の奥の方の誰も行かないような重たい古典文学書の棚を思い出させる。よく昼休みにそこに隠れて午後の授業をやり過ごすのだ。
奥で扇風機の回る音がする。かろうじて人の気配もする。
高い棚をきょろきょろ見回しながら奥へ進む。古本というよりほとんど古文書だ。日に焼けて黄色くなったりシミがついているものが目立つ。
一冊、“野球”という字に惹かれて手に取った。
「きたねぇ本…」
思わずそう呟いた瞬間、
ガシャン!
バサバサバサバサ…。
「?!」
すさまじい物音。
振り向くとレジカウンターの中に誰かいた。
(やべ…今の聞こえた…?)
にしてもそんなに怒ることではない。事実だし。
この店の店主であろうその男は、えも言われぬ形相でこちらを凝視していた。
歳で言うと30かその前後か。やや童顔で若く見えるのかもしれない。大きく見開いていてもわかるタレ目、かけていた黒で細いフレームの眼鏡はずり落ちている。
白いカッターシャツの裾が扇風機の風にはためいていた。
「……もとき…さん?」
「…へ?」
その顔のまま名を呼ばれた。
知り合い?
いや知らない。
(誰かと勘違いしてんのか?)
その間店主は暑さのせいかこめかみから汗を一筋たらし口をぱくぱくさせていたが、途端気がついたようにハッとなって、ばつの悪そうにうつむいた。
静かに椅子を引き小さくいらっしゃいませ、とだけ言って落とした本を拾い始める。
ちらりと見えた眉間にはタテ皺がよっていて、屈んだ合い間にため息がきこえた気がした。
(なんか…わかんないけど…)
胃のなかに黒いものが落ち、のどがつまった。
「かってに、がっかりすんなよ。」
「は…?」
勢いで言い放つと、きょとんとしてしまい、まるですごく変なこと言ったみたいな顔をされた。
あんな泣きそうな顔されると俺が悪いみたいで嫌だ…初対面のくせにとは思うし、自分でも本当にわからないが、自分のせいで落ち込まれるとどうにも気分が悪いというか、治まりが悪い。
そう思っての言葉だったが、伝わってはいないだろうな。そっちこそ勝手に悪態ついてんじゃねーよ、ぐらいに思っているに違いない。
そして店主はまたその顔のまま固まっていた。
まん丸にひらいた垂れ目…おまえその顔得意なのか。
なんでもない、と弁明しようと思ったが、数秒間見つめるうちについに笑いがこみ上げてきた。
ここで大人相手に噴き出してはさすがにシツレイかと、肩をふるわせてこらえていると。
「……おい。」
「くふ…ッ……え?」
「ひとの顔見て笑うな」
本を拾い上げながら横目で睨んでくる、呆れたような、照れたような表情。
(あ、その顔もいい。)
気づくと声を出して笑っていた。店主はまた笑うなと声を張ったが、それでも笑いはおさまりそうになかった。
面白い。
でも、そのでっけー垂れ目でガンつけたって、ぜんぜんこわくねーよ。
end