『闇を切り取り、蛍火を嵌め込んで、黒猫を作った。』 幼い頃クリフトに幾度となく読んでもらった童話の冒頭の一文。深い森の奥に一人きりで住むことに寂しさを覚えた魔法使いが、魔法で黒猫を作り上げて一緒に暮らす話。
クリフトが来るまでは見向きもしなかった本棚の、一番手につきやすい位置にあったその本は、サントハイム地方に古くから伝わる童話を集めた短編集だった。うっすらと埃を被った装丁を軽く撫でたクリフトが、くるりと振り返って「姫様、この本読んだことありますか?」と小さく首を傾げる。貰った時に手に取ったことはあったけれど、何気なく開いたページには細かな文字が敷き詰められていて、絵も小さなモノクロのカットが隅の方にちょこんと載っているだけで、面白くなくて直ぐに本棚に差し込んでしまった。首を左右に振った私に「私、この本好きなんです」と微笑みかけて、クリフトがページを繰る。ぱら、ぱら、と紙が擦れる度に、古びた紙の匂いが辺りに散った。 普段自分をなおざりにしがちなクリフトの自己主張が珍しくて、本棚に戻しかけた手を掴む。不思議そうにこちらを見つめる彼を見つめて口を開いた。 「クリフトが、読んでよ」 「私が…ですか?」 「だって、どんな話なのか気になるけど、一人で読んだら眠くなっちゃうんだもの。」 「ええと……上手く読めるか分かりませんよ?」 「いいから」 頑として引こうとしない私に、クリフトが視線を彷徨わせながら「うう…」とくぐもった声を出す。目を逸らさないでいると、観念したように本を開いた。 「じゃあ、読みますね。いくつもあるので、最初のを。」 「待って、」 「何でしょう?」 「クリフトが一番好きな話が、聞きたい。」 「……それは構いませんが、姫様が気に入るか、分かりませんよ?」 「それはどの話だって同じでしょ?クリフト、普段そういうこと全然言わないんだもの。私、クリフトの好きなものが気になるし、知りたいわ。」 そう告げたら、クリフトは目を見開いてから俯いてしまったけれど、今思えばきっと真っ赤な顔をしていたのだろう。ややあって俯いたのを誤魔化すように小さく咳払いをして、言葉を紡ぎ始めた。普段話している声とも、教会で聖歌を歌っている澄んだ声とも違う、けれども、聞きやすい声。地の文は抑揚をつけて、台詞には感情を籠めて。気づけば夢中になっていて、感情移入して泣いてしまい、クリフトを焦らせた記憶がある。
「ねえ、クリフト。」 「はい、何でしょう。」 「黒猫と魔法使いの話、覚えてる?」 「…『闇を切り取り、蛍火を嵌め込んで、黒猫を作った。』ですか?」 キッチンで食事の準備をする後姿に問うと、クリフトは手を止めて私の方に向き直った。低く穏やかな声で冒頭のワンフレーズを呟いて、首を傾げる。あの頃とは随分違う声だけれど、それでも、私の好きな声に違いなかった。
やわらかい音に包まれて
(121217)
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