シェゾ、と名前を呼びかけて止まる。相手の視線は足元の一点に固定されたまま動かない。にゃあ、と鳴く声にふにゃりと表情を緩ませると、視線を合わせるように屈み込んだ。
「どっから来たんだ、お前。」 視線を合わせて問いかける彼は、いつもの不適な笑みではなく、無邪気な笑顔を浮かべている。抱き上げても抵抗一つしない黒猫に「人懐っこいな」と嬉しそうに呟いて頬を寄せる姿は可愛いのだけれど、あまりに無防備だ。闇の魔導師がそんなに隙だらけでいいのだろうか。
ふと視線を感じて顔を上げると、蜂蜜のような金色をした目がこちらを見つめている。君は気づいているんだね。微笑んで人差し指を口にあてると、大きな丸い目がぱちぱちと瞬いた。 それにしても、出ていくタイミングを逃してしまった。手元の白い箱に目を落として溜息を吐く。中には、お裾分けと称して一つしか作っていないケーキ。何か口実がないと追い返されてしまうだろうから、と苦笑しながら用意したそれは、所在なさげに箱に収まっている。 どうしたものかと考えていると、ブーツの底が小石と擦れ合って音を立てる。弾かれたように肩を揺らして振り返った彼の驚いた表情と、場に落ちた沈黙に居たたまれなくなってひらひらと手を振ってみる。ただ開閉を繰り返すだけで何の音も漏れてこない口、次第に赤く染まっていく顔。彼の腕の中の黒は我関せずとばかりに丸くなって目を閉じている。
「なっ…!お前、いつから、」 「う〜ん…、結構前からいたんだけどなあ…」 君は気づいていたよね?と腕の中で目を閉じている黒猫に話しかけると、ちらりとこちらを見遣って応えるように「にゃあ」と鳴く。 最悪だ。何でよりによって彗星なんかに。その場にうずくまってぶつぶつと呪文のように繰り返す彼の銀髪から覗く耳は真っ赤になっている。それでも猫を離そうとしない辺りが、らしいと言えばそうなのかもしれない。 箒とケーキの入った箱を脇に置いてあー、とかうー、とか呻いている彼に視線を合わせる。「可愛いね」と言うと、一瞬の虚を突かれたような表情の後、微かに頬が緩んだ。だろ?と腕に収まる黒い塊を撫でながらどこか得意気な彼に、言葉の対象が猫ではなく彼であることを告げたとしたら、どんな表情をするのだろう。
(121118)
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