小説 | ナノ





ノックを二回。次いで、部屋にいるであろう二人の名前をそれぞれ一回づつ。何の反応も返ってこないのを不思議に思いながらドアノブを回すと、あっさりとドアは内に開いた。中からはサントハイムの書庫で嗅いだような、古びた紙の匂いが漂ってくる。足下に目をやると、表紙にうっすらと埃がかかった分厚い本が数冊積まれていた。匂いの元はここのようだ。奥に視線を動かすと、クリフトが机に向かっていた。ソロの姿はない。昔から日に焼けない白く長い指がページを繰る音だけが静かな部屋に響いていた。余程集中しているのか、ドアが開いたのも、私が入ったのも気づいていないらしい。
後ろ手にドアを閉めてそろそろと近づいて背後に立つ。部屋の明かりを受けた体が、クリフトの手元に陰を落とした。ようやく自分以外の存在に気がついたらしいクリフトが、ばね仕掛けのように勢いよく振り返る。丸く見開かれた目は、いつもと違ってガラスのレンズ越しにこちらを見つめていた。

「クリフトって、目悪かったっけ?」
「あ、これは……細かい文字を読むときにルーペ代わりに、」
「ふうん」

細い銀のフレームは、知的というか、繊細な印象を受ける。よく似合っていた。じっと見つめていると、栞を挟んで本を閉じたクリフトが、椅子を引いてこちらに向き直る。眼鏡をつい、と指で押し上げる動作は様になっていた。

「何か、ご用でしたか?」
「ううん、別に。」
「……あの、私の顔に、何かついてます?」
「ついてないわ。」
「えっと、その、姫様…?」

戸惑ったようなクリフトの呼びかけを無視して、銀のフレームに指をかける。軽く摘んで手前に引くと、簡単にそれは手の中に落ちてきた。思っていたよりもずっと軽い。試しにかけてみると、目の前がぐにゃりと歪に曲がった。ずっとかけていると酔ってしまいそうで、直ぐに外してクリフトに返す。受け取った眼鏡を再びかけようとした手を押し留めて口を開いた。

「…ない方がいいわ。」
「へ?」
「眼鏡、かけてない方がいいわ。」
「……そんなに、似合いませんか?」
「似合ってるけど。だって、邪魔だもの。」
「慣れてしまえば、気になりませんよ。」
「そういうことじゃなくて、」

言葉を切って、抵抗されないのをいいことに腕を掴んだまま身を乗り出す。後ろは机と壁だけ。逃げ場はない。あったとしても、クリフトはきっと逃げられない。もっと言えば、クリフトは私から逃げたりしない。
確信を持って迫って、にっこりと笑ってみせる。何か言おうとするクリフトの唇を自分のそれで塞いで1、2秒。

「──キスするときに、邪魔じゃない。」
唇を離して、さっきの続きを言って数秒。真っ赤になったクリフトが手の甲で口許を押さえるのを見ながら、ドアの外で困っているだろうソロに心の中で謝った。
長居しちゃってごめんね。あんまり可愛いから、つい。

ガラス越しじゃ遠すぎる
(120701)



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