小説 | ナノ





露天風呂の脱衣場は、未だかつてない殺気に包まれていた。

「お前絶対クリフトの裸見たら襲うだろうが、さっさと失せろ万年発情期」
「万年発情期はどっちだ阿呆。貴様こそ目を離した隙に何をしでかすか分からん、消えろ」
「少なくともてめえよりはマシだっての、この変態が」
「黙れ、大体貴様など盛りのついた獣と大差ないだろうが」
地を這うような低音で放たれる台詞は、それだけ聞くと相当に怖いのだが、腰にタオルを巻き付けただけの状態ではいくら魔王と勇者と言えども迫力に欠けた。それにしても風呂の話で真剣になれる辺り、今日も世界は平和である。


磨りガラスのドア越しに見える二人分の人影をちらりと横目で見やって、クリフトは嘆息した。ガラス戸一枚隔てた向こうがどうなっているのかは、あまり知りたくなかった。高価な物が壊れていなければいいなあ、程度だった。
胃痛の原因を極力視界に入れないよう努めながら、シャンプーを泡立てて髪につける。シャカシャカと小気味良い音を立てるのと並行して向こうの方でガシャンガシャンと不穏な音がしているがきっと気のせいだ。いつもならば直ぐにでも様子を見に行くのだが、今日は違う。何せ一緒に風呂に入る相手が相手だ。背中を流すという口実でセクハラ紛いのことをされたのは、記憶に新しかった。仮に脱衣場が荒らされても片付ければ元に戻る。一方で一度奪われたら己の貞操は逆立ちしたって戻ってこないのである。正直言って、公共の福祉より自分の純潔の方が大事だった。
木桶に汲んでおいた湯で髪についた泡を十分に流し、ついでに体も手早く洗ってしまう。乳白色の湯に体を沈めると、長旅の疲れがじわりじわりと溶けていくような気がした。縁の岩に背中を預けていると、そのまま寝てしまいそうになる。暫くの間とろとろと微睡んでいると、先程までとは全く違う発音が聞こえてきた。まるで、呪文の詠唱のような…………詠唱の、ような?
理解した瞬間、背中を嫌な汗が伝った。湯から上がってタオルを引っ掴み、念のためにマホトーンの詠唱を済ませておく。対象との間に距離がある時に有効な遅効性の詠唱をクリフトが習得したのは、ひとえに二人の暴走を止めるためだった。神学校首席卒業の知性は世界の平和に割と直結していた。
戸を開くと同時に、今にも詠唱を終えそうな二人にマホトーンをかける。渦巻いていた魔力が霧散するのを感じ取って、クリフトは深く息を吐いた。長く湯に浸かっていた体は火照っていて熱い。ずるずると床に座り込むと、呼吸を整えながら二人を見上げる。注意をしようと口を開いた矢先に、ぐらりと体が傾いた。ぼやけていく視界の端に、慌てたようにこちらに駆け寄る銀と翠を認めた辺りで、クリフトは意識を手放した。


くたりと力の抜けたクリフトを前に、残された二人は互いに違う方向に顔を背けていた。湯中りだろうと予測はついたが、このまま見続けると確実に(鼻から)血を見ることになりそうだった。
この後どちらが体を拭いて服を着せるかを決めるのにうっかり街が壊滅しかけたのは別の話である。


(神官の)仁義なき(胃痛との)闘い

(120326)



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