古典部‖折木と福部
日曜日、僕は暇を持て余していた。計画していたサイクリングは雨のせいで中止だ。昨日の夜見た天気予報では晴れって言ってたのになあ。ベットに寝ころんで、何の気なしに携帯電話を手に取る。すっかり覚えてしまった友人の家の電話番号をプッシュした。数回のコール音の後、「はい、折木です。」と聞き慣れた声が電話に出る。
「やあ、ホータロー。サイクリングの計画が駄目になってしまって暇で仕方ないんだ。今、暇かい?」 「何だ、里志か。生憎今は取り込み中でな。それで『ちょっと、折木!次どうすんの?』ああ、もう、今行くから待ってろ!…悪い、切るぞ。」 ブツッ、と無機質な音を立てて電話が切れる。ツーツー、という音を聞きながら僕はかなり動揺していた。 電話の向こうでホータローに呼びかけた声は、間違いなく摩耶花のものだった。
***
古典部の部室には日の光があまり差し込まない。この時期のこの時間帯ということを鑑みるとやけに薄暗い部室で、僕とホータローは二人だった。いつもならとっくに来ている時間だというのに摩耶花はおろか、千反田さんまでいない。部室にはホータローがページをめくる音がするだけだ。 ズズ、と僕が紙パックの緑茶を啜る音が響く。中身が無くなったそれを無造作に机の上に置いた。噛み癖はない筈なのに、すっかり歯形がついてしまったストローを見て、どうやら考えている以上に自分は苛立っているらしい、と一人苦笑した。
「ホータロー、昨日、君の家に摩耶花がいただろう?」 極力感情を抑えた声で問うと、目の前の友人は読んでいたペーパーバックから顔を上げ、それがなんだ、と言わんばかりに首を傾げた。
「ああ。いたな。」 「千反田さんもいたのかい?」 「いや、二人だ。姉貴も出かけてたしな。」 「何をしてた?」 「何だ、今日は随分と噛みつくな。嫉妬でもしたか?」 薄く笑いながら問いかける友人に、僕は意趣返しのつもりでにっこりと微笑みながら答えてやった。
「まあ、そんなところだよ。」
言った瞬間、それまで気だるそうにしていた目が驚いたように少し見開かれる。パタリと呼んでいたペーパーバックを机に伏せて、ホータローは僕へと向き直った。頭を掻きながら何を話そうか考えているようだった。暫くして口を開く。そこから紡がれた言葉は僕の想像していたどんなものとも違っていた。
「伊原が来るまでは、言えない。」 「何で、」 「そうだな、ヒントくらいならやってもいい。今日は何月何日だ?」 黒板の右端に書かれていた文字を思い返す。確か、今日は―――。 ハッとした表情になった僕を見た後、ホータローはまた伏せていたペーパーバックを手に取った。 数分後、千反田さんと一緒にケーキを持った摩耶花が入って来る。
今日は、僕の誕生日だった。
***
「伊原は、菓子を作ったことがあまりないらしい。」 「……へえ、料理は得意なのにね。」 「千反田に頼もうとしてたんで、俺が止めた。」 「どうしてさ。」 「お前、千反田の料理のレパートリー考えてみろ。」 この前の文化祭と千反田の家柄考えれば、大体見当つくだろ。 そう言われて料理コンテストでの千反田さんのメニューと、「豪農の千反田家」が頭に浮かぶ。うーん、ここからイメージできるのは、
「…和食?」 「そうだ。伊原がお前の誕生日に豆大福や金鍔をあげたい、なんて考えると思うか?」
思わず首を左右に振る。
「だろうな。もし仮にお前がそう思うのであれば、俺はお前に脳外科の診療を進める。まあ、それはさておき、代わりに俺が教えてやったんだよ。」 「へえ、ホータロー、お菓子作れるんだ。」 「ケーキぐらいならな。」 無精とまではいかないものの、面倒なことを極力避ける友人が細やかな作業を要するケーキやら何やらといった類のものを作ることにも驚いたが、それにも増して休日を返上して人に教えるだなんて。僕は折木奉太郎という人物の認識を改める必要があるかもしれない。
「お前、何か失礼なこと考えてないか。」 不機嫌そうに仏頂面で訊ねてくるホータローが視界に入る。数時間前までくすぶっていた嫉妬はどこかへ霧散していた。それが無性におかしく思えて、僕は声を上げて笑った。
世界はまるで薔薇色
(110227)
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